文=いとうやまね

ロシアの地に鳴り響いた美しき鐘の音

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 氷上で大きく翼を広げると、響き渡る鐘の音を背に受け、浅田は滑走をはじめる。『ピアノ協奏曲第2番』。あの時、競技人生最後を飾るプログラムという覚悟で選んだのは、ロシアが誇る大作曲家セルゲイ・ラフマニノフのコンチェルトだった。ロシアで行われる五輪を意識してのものだ。振り付けもタチアナ・タラソワ、ロシア人である。

 楽曲を提案したのはタラソワだ。五輪という大舞台において、ラフマニノフで教え子が頂点に立つことを夢見てきたという。「真央は、私の夢を実現してくれる唯一の人間」。タラソワは大会前にそう語っていた。浅田とタラソワ、そしてラフマニノフの組み合わせは、バンクーバー五輪の『鐘』以来の2度目になる。

 演技冒頭の厳かなピアノの響きは、ロシア正教会の鐘の音をイメージしたものだという。大きな鐘は低く、小さな鐘は高い音を奏で、それらが混ざり合って独特の音色をつくりあげる。

「教会の鐘の音はロシアのあらゆる町を支配していた。ロシア人の誰もが、ゆりかごから墓場まで、鐘の音に付き添われている。この影響から逃れられる作曲家はひとりもいない」

 ラフマニノフが生前に語った言葉である。彼の作品には、鐘をモチーフにしたものが多い。鐘の音には、すべての人の人生が投影されているのだという。浅田もまた、このプログラムに自らの人生を込めた。嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと……。その一つひとつが、朗らかに、あるいは哀調を帯びた調べに重なって紡がれていく。

 ピアノがアルペジオを奏ではじめると、雄大な弦楽合奏が大河のように浅田の生き様を語り始める。そして、しばらく成功していなかった大技を“ラストダンス”で次々とクリアーしていくのである。

神童の苦悩

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 ラフマニノフは1873年、ペテルブルグ南方のセミョノフに生まれた。裕福な家庭だった。才能豊かなセルゲイは、18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を首席で卒業すると、ピアノ協奏曲第1番を完成させる。しかし、初演を批評家から酷評され、ノイローゼ状態に陥る。評論文化の発達したロシアでは、容赦ない論評が常に飛び交うのだ。この国の芸術に骨太なものが多いのは、その辺にも理由がありそうだ。みな試練を超えている。

 若き音楽家を救ったのは、精神科医ニコライ・ダール。心理療法と暗示療法で自身を取り戻したラフマニノフは、28歳の時に『ピアノ協奏曲第2番』を完成させるのである。

 浅田は、15歳でシニアデビューし、天才の名をほしいままにした。もちろん、努力は人一倍だったに違いない。バンクーバー五輪では、最大のライバルである韓国のキム・ヨナと、これ以上ないであろうレベルの高い戦いを見せ、敗れた。身体の成長とともにバランスが崩れ、スランプに陥ったこともある。母の死という何より辛い経験もした。可憐な少女は気づくと大人の女性へと変貌を遂げていた。

 曲調が変わるポイントで、浅田の笑顔が見える。甘く感傷的な調べの中で、何を思うのだろうか。前人未到の8トリプルを終えると、最後の見せ場であるステップシークエンスに入る。

「さあ行きなさい」

 タラソワが後押しする。その強い言葉には包容力が溢れている。力強く、一歩一歩、魂を込めたステップに、会場の手拍子が呼応する。そして、涙のフィニッシュを迎えるのだ。浅田真央のスケート人生の第一章は、こうして幕を閉じたのである。

遠い旅路の果て、第三章へ

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 その後の現役復帰には、国を超えたすべてのフィギュアスケートファンが喜びの声を上げた。その中には、もちろんタラソワの声もあった。浅田のスケート人生第二章は、一年の休養期間を経て幕を開けたのだった。

 ラフマニノフは、浅田真央の代名詞ともいえる。ソチでの『ピアノ協奏曲第2番』、バンクーバーでの『鐘』と、浅田は最高傑作といえるプログラムをフィギュア界に残した。後進がラフマニノフを演じるとき、これは大きな壁となって立ちはだかるであろう。でも、その壁を超えることこそ、浅田に対する最大のリスペクトなのだと考える。かつて彼女が、伊藤みどりという高い壁を超えてきたように。

 第三章では、浅田が後進のためにラフマニノフを振りつけるかもしれない。それはまだ、先のはなしである。

[引退]浅田真央の美しき記憶〜あの日の初恋/SP『ノクターン』

「初恋」をイメージしたという23歳の『ノクターン』。その見つめる先には、16歳の浅田真央がいた。引退の報を聞いたとたんに頭の中で『ノクターン』が鳴り出した。繰り返し、繰り返し、止まらない。ソチ五輪での失敗を清算したかたちになった世界選手権。その見事なまでの演技は、記憶の宝石箱の中で今も燦然と輝いている。しばしその記憶に浸りたい。

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浅田真央のためにあるプログラム『蝶々夫人』その風景を心に刻む。

かわいい妻よ、バーベナの香りよ…。夫の愛を一途に信じ、健気に帰りを待つ若き蝶々夫人の悲哀と気高さを、浅田真央が情感豊かに表現する。演者のトレードマークともいえる薄紫は、ここではラベンダーではなく「バーベナ」に譬えたい。開催中の『浅田真央展』でも人だかりのできる衣裳のひとつだ。(文=いとうやまね)

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浅田真央演ずる"強気な女"。人気のプログラム『素敵なあなた』に思いを馳せる。

10月発売の映像集にも収録されている人気の高いプログラムである。強烈なローズピンクにポニーテール。斜に腕を組み「ふんっ」と笑う。そんな強気の浅田真央に世界中が魅了された。日本橋高島屋で開催中の『浅田真央展』にも、思い出深い当時のままの衣裳が飾られている。コーラルなのか、はたまた紫なのか?カメラやライティングによって色味の印象が変わる魔法のようなピンクは話題になったものである。解説リクエストも多かった『素敵なあなた』を今一度振り返ってみたい。(文=いとうやまね)

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愛は炎、そして戦い…。浅田真央が『リチュアル・ダンス』に込めた“熱”を回想する。

映像集『Smile Forever』の発売を記念して開催されている、『美しき氷上の妖精・浅田真央展』。連日たくさんのファンを迎える日本橋高島屋の会場には、思い出深い衣装やスケート靴、メダル、浅田本人がセレクトしたという写真パネルが所狭しと飾られている。同展示会のアイコンであり、浅田最後の演目になった『リチュアル・ダンス』を振り返ってみたい。(文:いとうやまね)

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羽生結弦=安倍晴明は、世界に呪(しゅ)をかける。完全復活を掛けて挑む『SEIMEI』

フィギュアスケーターの生命線ともいえる足に大怪我を負った羽生結弦が帰ってきた。世界が待ち望んだこの瞬間に、自身も緊張と喜びをにじませている。今月2月3日は晴明神社の節分星祭であった。陰陽道において節分とは「陰」から「陽」へ「気」が変わる一年の節目だという。開会式で韓国国旗の太極(陰陽)が随所に演出されていたのも、ソチ五輪開会式での『トゥーランドット』を思い出させた。風が良い方向に吹き始めている。ここでは著書『氷上秘話』(東邦出版)より『SEIMEI』についての考察をお届けしたい。羽生選手の周りにたくさんの式神が飛んでいるのが見えるはずだ。文=いとうやまね

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坂本花織の新たな魅力を引き出す『アメリ』 シニア1年目の戸惑いから強くなった理由

羽生結弦、宇野昌磨が歴史的快挙を成し遂げた平昌オリンピック、フィギュアスケート男子シングル。21日からはいよいよ女子シングルが始まる。今季シニアデビューを果たした坂本花織は、1年目にして平昌オリンピックへの出場権を手にした。順風満帆にも見えるデビューイヤーだが、環境の変化に戸惑いも感じていた。坂本はいかにして新たな魅力と強さを手にしたのか、その日々を振り返る――。(文=沢田聡子)

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宮原知子が描く“日本女性の美しさ” 苦難の日々が導いた滑る喜びと新たな魅力

熱戦が繰り広げられる平昌オリンピック、21日からはいよいよフィギュアスケート女子シングルが始まる。羽生結弦が66年ぶりの2連覇、宇野昌磨も初出場で銀メダルと、男子が歴史的な快挙を成し遂げた中、女子にかかる期待もまた大きくなっている。ソチオリンピックの代表落選から4年。大きく成長を遂げた宮原知子は、平昌の舞台にどんな想いを抱いているのだろうか。苦難の日々と、新たに放つ魅力の源泉を振り返る――。(文=沢田聡子)

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いとうやまね

インターブランド、他でクリエイティブ・ディレクターとしてCI、VI開発に携わる。後に、コピーライターに転向。著書は『氷上秘話 フィギュアスケート楽曲・プログラムの知られざる世界』『フットボールde国歌大合唱!』(東邦出版)『プロフットボーラーの家族の肖像』(カンゼン)他、がある。サッカー専門TV、実況中継のリサーチャーとしても活動。