里谷多英について

名前里谷多英(サトヤタエ)
生年月日1976年6月12日
日本
出身北海道札幌市
プロフィール小学5年の時にモーグルを始め、小学6年生のとき全日本選手権初優勝。1991年も優勝すると以後、1996年まで6連覇。1993年FIS北米杯モーグルで優勝、W杯最終戦25位。1994年リレハンメル五輪に出場し、日本女子スキー五輪史上最高の11位。同年世界ジュニア選手権は初出場で初優勝。1996〜1997年W杯総合7位。

1998年長野五輪モーグルで冬季五輪日本女子初の金メダルを獲得。同年3月W杯フントフェーレ大会でW杯初優勝。1999年2月W杯猪苗代大会で優勝し、1998〜1999年W杯総合4位。同年3月世界選手権を最後に引退し、4月フジテレビに入社。のち現役に復帰。

2000年W杯サンデーリバー大会(米国)で2位、総合8位。2002年ソルトレイク五輪では2大会連続メダルとなる銅メダルを獲得。2003年一般男性と結婚するも、2005年暴行事件を起こし2006年に離婚。その後は全日本スキー連盟強化選手から外れるも個人で活動し、トリノ、バンクーバーと日本女子では最多タイの5大会連続五輪出場。しかしバンクーバーでは15位に終わり、2013年1月現役生活を引退。

JOCスポーツ賞(新人賞)、朝日スポーツ賞、北海道東海大学卒、166cm、55kg。

小学5年からモーグルを始めると、6年生で早くも全日本制覇

里谷多英は、札幌に生まれると早くも3歳からスキー靴を履きました。幼少期からスポーツ万能で、本格的にスキーに目覚めると、父と二人三脚で猛練習に取り組みます。当初からこぶ斜面を難なく滑っており、父から与えられた課題も次々とこなしていきました。そして小学5年生からモーグルに取り組むと、史上最年少の6年生で全日本選手権制覇を成し遂げます。中学1年時こそ2位でしたが、1991年からは6連覇と敵なし状態が続きました。

リレハンメル五輪では、日本女子スキー史上最高位となる11位

モーグル種目は、1988年のカルガリー五輪で公開種目となり、1992年のアルベールビル五輪で正式種目となりました。俄然、里谷多英もモーグルにやる気を注ぎ、1994年リレハンメル五輪では、女子モーグル唯一の出場枠を18歳にして掴みました。予選こそ27位でしたが、決勝は11位と日本女子スキー五輪史上最高位を達成しました。

さらに、同年の世界ジュニア選手権では初出場初優勝を飾るなど、里谷は日本のモーグル第一人者となりました。そしてその華麗な滑りは、3歳年下だった上村愛子に大きな影響を与え、アルペンスキーからモーグルへの転向の大きなきっかけにもなりました。

1998年長野五輪モーグルで冬季五輪日本女子初の金メダルを獲得

里谷多英は、1996-1997年W杯総合7位となるなど、2大会連続の五輪出場へ向けて視界良好でした。そして札幌五輪以来、26年ぶりの日本開催となる長野五輪では、21歳の里谷、18歳の上村愛子の二人が女子モーグル日本代表として選出されました。しかし、開催半年前にまさかの出来事に直面します。二人三脚で歩んできた父が肝臓がんで他界し、一時は競技引退すら考えるほどの精神状態に陥りました。それでも父と歩んできた時間を無駄にしないためにも、五輪の舞台に立ちました。

里谷が11位、上村が13位で予選を通過すると、すべてが決まる決勝で二人とも順位を上げてきます。初出場の上村は健闘して7位入賞となりましたが、里谷はそのはるか上を行きました。持ち味である力強いすべりに加えて、ダイナミックなエアを決めて日本女子としてはじめての冬季五輪金メダルをもたらしました。天国の父が見守る中でとったメダルは、2016年現在でもスキー・モーグル競技の中で男女通じても唯一の金メダルです。優勝直後のシャンパンパフォーマンスや、表彰式で脱帽しなかったことなどがメディアで取りざたされましたが、五輪の舞台で最高のパフォーマンスを引き出した精神力は大いに賞賛されました

ソルトレイク五輪では日本女子で唯一となる2大会連続メダル獲得

長野五輪で里谷多英が金メダルを獲得したため、日本のモーグル人気は大きく引き上げられました。また年齢的にも若いため、その後も競技を続けましたが金メダリストとしては乏しい成績が続き、左足首骨折という大怪我も負って一度は選手生活を引退しました。1999年4月からはフジテレビに入社し、スキーから離れた生活を送ると、再び競技に復帰します。

2002年ソルトレイクシティ五輪では、上村愛子、畑中みゆきとともに自身3度目の五輪へ挑みました。予選で上村4位、里谷6位となり、二人が決勝に進出します。そして上村が6位と伸びきらず終わると、本番に強い里谷は驚きの集中力を発揮し、3位に食い込みました。この瞬間、日本女子として2大会連続メダルを獲得した史上初の選手となりました。3大会連続で五輪に出場し、すべての大会において決勝の成績が予選成績を上回るという精神力を見せました。

トラブルを乗り越えつつ、日本女子タイ記録の5大会連続五輪出場

里谷多英は、W杯総合グランプリや世界選手権で優勝した経験はありません。表彰台にすらあがったことがないにもかかわらず、4年に一度の五輪ではまさに水を得た魚のように輝きました。しかし、ソルトレイクでの銅メダル獲得以降は脚光を浴びることは少なくなっていきます。それどころか、2005年の暴行事件など世間を騒がすトラブルのほうが大きく報道され選手生活から身を引くのではとも思われました。

それでも里谷は現役にこだわりました。先の事件で、強化選手から自ら外れてワールドカップには個人参加を続けるも、2006年トリノ五輪の参加枠を勝ち取ります。しかし、予選9位、決勝15位と惨敗し、全日本スキー連盟からも引退勧告に近い扱いを受けました。すでに年齢的にも30歳を超えていましたが、3歳下の上村愛子がワールドカップで優勝するのを尻目に最後の挑戦をスタートします。

2008年、進退をかけて全日本選手権に出場すると、12年ぶり8度目の優勝を飾ります。ワールドカップ、世界選手権でも及第点をクリアし、ついに自身5度目の五輪出場を手にしました。5大会連続の五輪出場は、岡崎朋美と並び日本女子最多タイの記録です。そして実に33歳でバンクーバー五輪に挑むと、予選13位で、上村愛子、村田愛里咲、伊藤みきと共に決勝に進出しました。競技人生集大成として、決勝での爆発力を期待されましたが、エアでバランスを崩して転倒し結局19位と惨敗に終わりました。

その後誰もが引退するものと思われましたが、ソチへ向けて始動しました。しかし 2012年12月の国際スキー連盟公認レースで結果を残せず、事実上6度目の五輪出場の可能性が消滅します。そして2013年1月、記録にも記憶にも残った里谷は25年という長い競技生活に終止符を打ちました。


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