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フィギュアスケート
アイスダンス世界最高の戦いの最中、真駒内の観衆の心を奪った“夢”のひと時。~フィギュアスケート、あのとき~Scene#6
思い出のシーンを伝える連載第6回目は【2016年NHK杯アイスダンスFD(フリーダンス)】。3組もの世界チャンピオンが集結するという史上稀に見るエントリーが実現し、世界中のフィギュアスケートファンの注目を浴びたこの大会。現在の最高峰の技術や表現が競われたこの試合と、その中で観客のハートを奪ったとある若手カップルの演技を振り返る。(文=Pigeon Post ピジョンポスト)
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フィギュアスケート
羽生結弦。男子フィギュアスケート新世紀へ、時代を切り開く伝説の演技~フィギュアスケート、あのとき~Scene#5
思い出のシーンを伝える連載第5回目は【羽生結弦2015年NHK杯】。現在ISU・GP(グランプリ)ファイナル4連覇中の羽生は、ジャンプ・スピン・ステップ各要素の質の高さを誇る、五輪王者そして現世界王者である。2014年ソチ五輪SP(ショート)で初めて100点の大台を超えた選手でもある。ソチ五輪以降、FS(フリー)でも200点・総合300点を期待され続けていた羽生が、その壁を越えてみせたのが2015年ISU・GPシリーズNHK杯だ。(文=Pigeon Post ピジョンポスト 中田みな)
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フィギュアスケート
宮原知子 世界を見据え四大陸の頂に立った“マイルストーン”『ため息』~フィギュアスケート、あのとき~ Scene#4
思い出のシーンを伝える連載第4回目は【宮原知子2016年四大陸選手権FS(フリー)】。全日本選手権3連覇中の宮原知子は、ジュニア時代から頭角を現し、熾烈な戦いが繰り広げられている日本女子を牽引している。宮原が初めて国際スケート連盟のチャンピオンシップス(各国代表戦)で優勝したとき、それが2016年四大陸選手権だ。(文=Pigeon Post ピジョンポスト 尾崎茉莉子)
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フィギュアスケート
町田樹「史上最高傑作」がスポーツを超えた日 〜フィギュアスケート、あのとき〜 Scene#3
思い出のシーンを伝える連載第3回目は【町田樹2014年さいたま世界選手権SP(ショート)】。2014年12月、全日本選手権終了直後に競技生活にピリオドを打った町田樹。それは突然で全く予想外の出来事だった。栄えある世界選手権代表選手発表の場で名前を呼ばれ、普通なら試合に向けての抱負を述べる場面での引退表明。会場の騒然とした雰囲気と、彼の凛としたたたずまいは忘れられない。 現役引退に伴い2015年上海世界選手権の代表も辞退したため、2014年さいたま開催の大会が彼の最初で最後のワールド出場経験となった。初出場で銀メダル獲得という偉業とともに、SPの演技もまた鮮やかに思い出される。(文=Pigeon Post ピジョンポスト Paja)
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フィギュアスケート
フィギュアスケート、あのとき〜 Scene#2 2004年ドルトムント世界選手権女子、日本女子大躍進の軌跡。
思い出のシーンを伝える連載第2回目は【2004年ドルトムント世界選手権女子】。今や世界有数の強豪国となった日本女子フィギュアスケート。世界選手権の金メダル獲得数はアメリカ、ノルウェー、旧東ドイツら古豪に次ぐ4番目に位置している。その数はロシアやカナダといったスケート大国をも上回る。日本女子で初めて世界選手権の表彰台に上った渡部絵美(1979年)、初めて世界の頂点に立った伊藤みどり(1989年)らの時代を経て、日本女子が快進撃の狼煙を上げ、世界にその強さを決定づけた輝かしい時代がある。その栄光は2003−04シーズンに遡る。(文=Pigeon Post ピジョンポスト 岩重卓磨)
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フィギュアスケート
ジェフリー・バトル どん底と頂点を共にした『アララトの聖母』~フィギュアスケート、あのとき~ Scene#1
思い出のシーンを伝える連載第1回目は【ジェフリー・バトル2008年世界選手権FS(フリー)】。ジェフリー・バトル(カナダ)といえば、フィギュアスケートファンにとってはお馴染みの名前である。2012-13シーズンから今季まで羽生結弦のSP(ショート)振付を担当、浅田真央が座長を務めるアイスショーにも毎年出演していて日本でも有名だ。現在は振付師、プロスケーターとして世界を股にかけ活躍している彼は、選手時代男子シングルのトップスケーターとして国際舞台で戦っていた。本来の茶髪をブロンドに染めていることが多く、そのルックスはまさに「氷上の貴公子」。当時も大変な人気だった。(文=Pigeon Post ピジョンポスト Paja)