羽生はソチ五輪シーズンからFS190点台・総合290点台に何度か達っしており、FS200点・総合300点にあと一歩のところまで迫っていた。2015年GPシリーズ初戦スケートカナダで悔しい結果に終わり、その悔しさを原動力に2戦目NHK杯で大きな成長を見せた羽生の、長野ビッグハットでの伝説の演技を振り返る。

羽生を成長させたあの悔しさ

シリーズ初戦スケートカナダでは、SP後半の4トゥループが2トゥループに抜け、3ルッツ+3トゥループの3トゥループが2トゥループとなった。当時のルールで、このコンビネーションジャンプは0点となり、73.25点でSP6位に沈む。キス&クライの羽生は何が起きたのか整理ができていない様子だった。しかしFSでは羽生らしさを発揮する。前半のジャンプを立て続けに成功させ勢いに乗った。後半にジャンプのミスはあったものの、186.29点とSPの出遅れを挽回し総合2位となった。だがSP・FSを通して納得のいく演技ができず、悔しさが残る大会となった。

その翌日のエキシビション練習。羽生の練習内容に驚かされた。

イーグル(足を左右に開いた姿勢で滑る)から4トゥループや4サルコウを跳んでみせたのだ。この飽くなき向上心こそ、羽生が世界のトップを走る要因だ。

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課題を収穫に変え、歴史的瞬間をもたらしたNHK杯

1ヶ月後のシリーズ2戦目NHK杯開幕直前、驚きのニュースが飛び込んできた。羽生が、SPで2本の4回転を組み込む構成に変えるというのだ。当初の予定から難度が上がるため、リスクが高いのではという見方もあった。

前シーズンから2季連続となるSP、ショパンの『バラード第1番』は流れるような美しいスケートで始まった。新たに組み込んだ4回転、冒頭の4サルコウはやや堪えた着氷になったが、4回転をイーグルから跳びただちにイーグルに繋げた羽生に、会場からは驚きの声があがった。その後、2本目の4回転となる4トゥループ+3トゥループのコンビネーションも決め、ミスなく演技を終えた羽生は、自身の持つ当時の世界最高得点を更新する「106.33」点を叩き出した。

この100点超えのSPから、FS200点・総合300点への期待がさらに高まっていった。

男子FSの競技が始まると、その日の競技を終えたアイスダンスやペアの選手が続々と観客席に集まってきた。会場の熱気が上がっていく中、羽生の滑る第2グループの6分間練習が始まった。羽生は、6分間練習から調子のよさを窺わせていた。

映画『陰陽師』の曲を使った和のプログラム、FS『SEIMEI』は羽生の息を吸う音と共に演技が始まる。高難度ジャンプを次々に成功させていくと、徐々に会場の歓声が大きくなっていく。最終盤のジャンプ、3ルッツを完璧に決めると、会場が揺れた。

客席の選手たちは「Oh My God!」と叫んでいる。鳥肌が止まらない。演技最後のコンビネーションスピンが終わる前から、場内にはスタンディングオベーションが起き始めている。フィニッシュと同時に、羽生から笑みがこぼれた。

この日の羽生は、ただジャンプを決めただけではなかった。特に強い印象を残したのはコレオシークエンスだ。音に合わせるのではなく、羽生の滑りから音楽が奏でられているかのような感覚に陥るほどであった。羽生が音楽そのものだったと言えるだろう。

会場は手拍子でその得点を待っている。発表された点数は、FS「216.07」点・総合「322.40」点。

電光掲示版に得点が写し出された瞬間、全てを見届けていた選手たちが写真を撮り始めた。200点と300点の前人未到の壁を、FSで16点、総合で22点も越えていた。羽生とブライアン・オーサーコーチは点数に驚いて顔を見合わせ、しばらくして会場と共に歓喜に包まれた。嬉しそうに互いの腕を掲げ合っていた。まさに歴史的瞬間だった。2015年NHK杯は、男子シングルの新たな時代への突入を予感させる、伝説の大会となった。

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羽生の演技が引き上げた限界、いざ平昌へ

NHK杯の演技のおよそ2週間後、GPファイナルで伝説が繰り返されるとは誰も予想しなかっただろう。羽生はSP・FS共にもはや満点に迫る演技を披露し、2週間前に記録した自身の世界最高得点を更新した。

また、GPファイナル男子FSは歴史に残る名試合だった。羽生は「みんなが良い演技をした上で一番になりたい」と語っているが、羽生にとって、まさにそんな試合だっただろう。

翌シーズンの昨季は、羽生に引き上げられるように、多くの選手がより高難度のジャンプに挑み、羽生同様に加点を得るべく、ジャンプの前後に工夫を凝らしていった。

勝負の五輪シーズンの今季、羽生は“傑作”とも言えるSP『バラード第1番』とFS『SEIMEI』を再び選んだ。再演ではあるが、当時とは違うものになっている。

この2シーズンの間に、羽生は新技の4ループを決め、さらに今季に入り先日のGPシリーズ1戦目ロシア杯で4ルッツを初成功させている。ジャンプ技術が向上し、構成が大きく変わった。

それだけではない。羽生の演技には新たな“色”が加わったように思える。

記憶に新しい昨季のFS『Hope&Legacy』は、音楽がプログラムを盛り上げるのではなく、羽生自身の滑りで盛り上げていかなければならない、難曲だった。羽生はその『Hope&Legacy』を、世界選手権で現世界最高得点の演技として完成させた。羽生が表現面で昨季得たものは非常に大きく、『バラード第1番』も『SEIMEI』も、両プログラムで一つひとつの動作に深みが増したように見える。

ロシア杯を終え、課題と収穫を得た羽生。これからシーズンを進むごとに、羽生にしかできない、質の高い演技を突き詰めていくのだろう。シリーズ2戦目となる今週末のNHK杯(11月10-12日、大阪)での演技にも注目が集まる。“挑戦者・羽生結弦”の平昌五輪シーズンはまだ始まったばかりだ。

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VictorySportsNews編集部