それまでも完璧な演技を幾度となく揃えてきたが、世界の大舞台では頂点にあと一歩届かないことが続いていた。2016年四大陸は、自身の強みが存分に発揮され、かつ優勝という記録に残る結果が伴った、スケート人生の“マイルストーン”になる試合と言えるだろう。優勝への期待を背負い、それに応えてみせた宮原の名演技を振り返る。

日本が誇る「ミス・パーフェクト」がチャンピオンになった日

ソチ五輪前後から女子シングルがますますレベルアップしていく中、宮原はミスが限りなく少なく、完璧な演技を何度も揃えられることで評価を上げていった。

2012年全日本でジュニアながら鈴木明子をしのぎ3位に入り、2014・15年全日本連覇、2015年世界選手権に初出場で2位と、着実に好成績を収めていった宮原。一昨季頃には、同じくパーフェクトな演技を誇ったかつての世界女王ミシェル・クワン(アメリカ)になぞらえ、「ミス・パーフェクト」とも呼ばれ始めていた。四大陸では2014・15年と2年連続で2位。「今年こそ優勝を」。周囲からの期待は自然と高まっていた。

豊かな表現とスタミナの強さ、日頃の練習成果が発揮されたFS『ため息』

SP(ショート)は、シーズンをかけて磨きあげた『Firedance』。情熱的な調べに乗って、自身にとって新境地の演技をノーミスで魅せた。当時の自己ベストを出して首位に立ち、初優勝をかけたFSの演技に大きな注目が集まった。

FS『ため息』には、宮原自ら「初恋」のテーマを掲げていた。当時は17歳で、少女から大人の女性になる変わり目。「初恋」の感情は、幼少期から練習に励んできたスケートそのものに向けられたものだ。大好きなスケートへの想いを表情にも込め、可憐かつ情感豊かな、この時期にしか見られない感性をリンクいっぱいに描き出す。

冒頭は3ルッツ+2トゥループ+2ループの3連続ジャンプ。宮原は、演技開始から闘志を感じさせた。前の試合では回転不足になることもあった2ループで、回転十分に降りてくるどころか、両手を上げてみせたのだ。通常両脇を強くしめて跳ぶジャンプの、しかも3つめで両手を上げることは決して容易ではない。それは、ジャンプの回転不足に苦しんできた宮原にとって、弱点と向き合い克服すること以上にチャレンジングだっただろう。

流れの中で次々と正確にエレメンツをこなしていく宮原。しかし強さは正確さだけではない。一つひとつの技に工夫が凝らされ、始まりから終わり、技と技の繋ぎ目まで神経が行き届いている。さらに、曲調に合わせてスピンをほどく動き、しなやかな腕から指先にかけての表現、ステップシークエンスやジャンプ後の多彩なターンは、宮原の確かな演技をより鮮やかに見せている。

宮原の四肢は自由自在に操られ、やわらかくもダイナミックなラインを見せる。身長151cmの宮原だが、氷上ではまったく小柄には感じられない。日頃の練習から、自身を氷上で大きく見せることを意識しているという。身体が柔軟に伸長しているかのようだ。

©Getty Images

すべての技が美しく完璧だった。最後のジャンプである2アクセル+3トゥループを決めると、会場内が大歓声で沸いた。プログラムの締めは得意のレイバックスピン。回りだすと会場の拍手も鳴り響いていく。回転数は十分、ポジションの変化も明確でジャッジが満点をつける出来だった。身体に負担の大きいビールマン・ポジションをとっているときであれ、微笑みを浮かべているように見え、余裕すらうかがえた。

FSも見事SPに続いて自己ベストをたたき出した。採点では、プログラム後半に跳んだ2本の2アクセル+3トゥループ、コレオシークエンス、そしてレイバックスピンと、終盤にかけて加点を積み重ねている。その強靭なスタミナで、宮原ならではの繊細で緻密な演技を、最後の最後までやり抜いたのだった。

けがからの復活を期する五輪シーズン、「和プロ」で勝負

昨季、宮原は四大陸選手権と世界選手権を左股関節の疲労骨折で棄権し、シーズン後半をリハビリに費やした。今夏も新たなけがに見舞われ、調整に専念するため、初戦に予定されていたISUチャレンジャーシリーズ・フィンランディア杯(10月、フィンランド)を欠場。ISUグランプリシリーズ・NHK杯(11月、大阪)で復帰することとなった。

練習量で他を圧倒してきた宮原だが、けがの完治までは具合を見ながら練習量を調節していくという。挫折を味わい、これまでとは異なる状況でシーズンに臨んでいるが、今季の目標に「初志貫徹」を掲げ、その視線は女子2枠の五輪代表の座をかけた年末の全日本選手権に向いている。日本女子のエースとして歩み続けてきた経験を武器に、完全復活へと近づきつつある。

“和”で揃えた新SP映画『SAYURI』と新FSオペラ『蝶々夫人』は、かつて宮原が飛躍するきっかけとなった2014-15シーズンのFSミュージカル『ミス・サイゴン』にも通ずる、繊細さとダイナミックさが融合されたプログラムだ。7月のアイスショーで『SAYURI』を初公開。ジャンプにミスは見られたが、氷上練習開始からわずかな期間で上々の仕上がりを見せた。

正確性に加え、最後まで流れの途切れないスケートを支える強靭なスタミナ、細やかで美しい所作、身体を大きく豊かに使える表現力を持ち合わせている宮原。とっておきの強みを生かし、自身に親和した新プログラムを携え、目標である五輪の舞台へと前進していく。

ジェフリー・バトル どん底と頂点を共にした『アララトの聖母』~フィギュアスケート、あのとき~ Scene#1

思い出のシーンを伝える連載第1回目は【ジェフリー・バトル2008年世界選手権FS(フリー)】。ジェフリー・バトル(カナダ)といえば、フィギュアスケートファンにとってはお馴染みの名前である。2012-13シーズンから今季まで羽生結弦のSP(ショート)振付を担当、浅田真央が座長を務めるアイスショーにも毎年出演していて日本でも有名だ。現在は振付師、プロスケーターとして世界を股にかけ活躍している彼は、選手時代男子シングルのトップスケーターとして国際舞台で戦っていた。本来の茶髪をブロンドに染めていることが多く、そのルックスはまさに「氷上の貴公子」。当時も大変な人気だった。(文=Pigeon Post ピジョンポスト Paja)

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フィギュアスケート、あのとき〜 Scene#2 2004年ドルトムント世界選手権女子、日本女子大躍進の軌跡。

思い出のシーンを伝える連載第2回目は【2004年ドルトムント世界選手権女子】。今や世界有数の強豪国となった日本女子フィギュアスケート。世界選手権の金メダル獲得数はアメリカ、ノルウェー、旧東ドイツら古豪に次ぐ4番目に位置している。その数はロシアやカナダといったスケート大国をも上回る。日本女子で初めて世界選手権の表彰台に上った渡部絵美(1979年)、初めて世界の頂点に立った伊藤みどり(1989年)らの時代を経て、日本女子が快進撃の狼煙を上げ、世界にその強さを決定づけた輝かしい時代がある。その栄光は2003−04シーズンに遡る。(文=Pigeon Post ピジョンポスト 岩重卓磨)

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町田樹「史上最高傑作」がスポーツを超えた日 〜フィギュアスケート、あのとき〜 Scene#3

思い出のシーンを伝える連載第3回目は【町田樹2014年さいたま世界選手権SP(ショート)】。2014年12月、全日本選手権終了直後に競技生活にピリオドを打った町田樹。それは突然で全く予想外の出来事だった。栄えある世界選手権代表選手発表の場で名前を呼ばれ、普通なら試合に向けての抱負を述べる場面での引退表明。会場の騒然とした雰囲気と、彼の凛としたたたずまいは忘れられない。現役引退に伴い2015年上海世界選手権の代表も辞退したため、2014年さいたま開催の大会が彼の最初で最後のワールド出場経験となった。初出場で銀メダル獲得という偉業とともに、SPの演技もまた鮮やかに思い出される。(文=Pigeon Post ピジョンポスト Paja)

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[引退]浅田真央の美しき記憶〜「最高傑作」/FS『ラフマニノフ・ピアノ協奏曲・第2番』

「その羽は青く鋭い光を放ち、豊かな翼と長い尾を飾る。雲のその上の宮殿に住み、この世の鳥族の頂点に君臨する。美しき青い鳥は、鷲の強さと、鳩の優しさを併せ持つといわれる」。幸運をもたらす「青い鳥」はロシアの伝承のひとつである。衣装はタチアナ・タラソワから贈られたものだ。

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音響デザイナー・矢野桂一が紡ぐ『フィギュアスケート音楽』の世界(前編)

日本のフィギュアスケート界に、矢野桂一という人物がいる。競技会、アイスショー共に、会場での全ての音に関わる仕事をしている。それだけではない。羽生結弦や宇野昌磨といったトップスケーターのプログラム音源の編集や、場合によっては一曲をゼロからまとめ上げることもある。選手たちの最も側にいて、「音」を通して演技を支える、その仕事や哲学に密着する。

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VictorySportsNews編集部