2008年、イエテボリ世界選手権でついに世界王者に

曲表現に長けていてクラシックやオペラ、ジャズに映画音楽、ロックなどなんでも演じてみせた。踊りもうまく、時にはキレキレのダンスで、時にはうっとりするような身のこなしで観客を沸かせたが、それらは基礎のしっかりした美しいスケーティングがあるからこそより氷上で映えた。また、定番の曲でも風変わりなアレンジを使ったり、あまり知られていないナンバーを演じたりと、プログラム選曲でも独特のセンスが光った。
 
実績も十分で、国内選手権では2005年から3連覇、ISUグランプリシリーズやISU選手権の表彰台も数多く経験し、荒川静香が金メダルを獲得した2006年トリノ五輪では銅メダルを獲得している。ところが、まぎれもない世界のトップスケーターでありながら頂点に立つにはあと一歩及ばない。ワールドの優勝候補に名を連ねることがあっても、優勝を手にすることはない……常に二番手というイメージもあった選手だった。
 
そんなバトルがついに世界王者の栄冠に輝いたのが、2008年イエデボリでの世界選手権である。
 
トリノ五輪以降、バトルは怪我に苦しんだ時期もあり、いまひとつ成績が振るわないシーズンが続いていた。それでも国内では負けなしだった彼だが、2008年1月のカナダ選手権では新鋭パトリック・チャンに王座を譲った。しかし復調の兆しは見せていた。それを証明するように翌2月の四大陸選手権では自己ベストを更新して2位となり、3月のこの大会ではSPをノーミスで終えてトップに立っていた。
 
男子シングルFS最終グループはバトルの他、ジョニー・ウィアー(アメリカ)、髙橋大輔、トマシュ・ベルネル(チェコ)、ステファン・ランビエール(スイス)、ブライアン・ジュベール(フランス)。人気・実力ともに兼ね備えた華やかな顔触れがそろった。SP1位から6位までの得点差が4.35点という接戦だったからか、あるいはワールド独特の緊張感からか、選手達の失敗が相次ぐ中、登場した5番滑走は2007年の世界王者、ブライアン・ジュベール。
 
SPでは6位と出遅れたジュベールだが、この大一番で会心の滑りを披露した。4トゥループ、3サルコウ、3アクセルと次々にジャンプを成功させて勢いに乗る。ダイナミックさにどことなく茶目っ気のある、メリハリのきいた振付の『Metallica メドレー』はジュベールの魅力を余すところなく引き出し、演技はテンポよく進んだ。さすがディフェンディングチャンピオン、ジャンプ構成を予定より難易度の低いものに変えて安全策をとるという試合巧者な面も見せた。
 
終盤のステップ直前には客席に右手でガッツポーズ。演技終了後は両手でガッツポーズをし、ひざまずいてリンクにキス。ジュベールのド派手な演技とパフォーマンスに、会場は彼が逆転優勝を成し遂げたかのような雰囲気に包まれた。
 
得点が発表されSP6位から総合暫定1位に躍り出ると、観客の興奮は一層高まった。

©Getty Images

持てる能力をすべて発揮し、完璧にやりきった末の勝利

それは、前大会の2007年世界選手権男子FS最終グループを彷彿とさせる光景だった。

東京で行われたこの大会でも、最終滑走者はバトルであった。直前に滑った髙橋の素晴らしい演技に会場が沸き、熱狂冷めやらぬ中で滑り出したがジャンプを2度転倒。得意のスピンでもバランスを崩すなどのミスでFS8位に終わっている。優勝したのはSP1位のジュベール。バトルはSP2位と優勝を狙える位置で折り返したにもかかわらず総合6位、優勝はおろか表彰台にも届かなかった、という苦い経験があるのだ。

奇しくも1年前と同じような状況でむかえた最終滑走。プログラムは『アララトの聖母』。衣装や演技構成を変えてはいるが、これもまた前年と同じである。

あまり耳慣れない映画音楽の、どこか物悲しい音色に乗せてスタート。静かだが印象的なポーズから滑り出し3アクセル+2トゥループ+2ループを成功、続く3フリップ+3トゥループも決め会場は沸いたが、おごそかな曲調で粛々と演技は進んでいく。

1つのミスも許されない緊張感の中、流れるように美しいトランジションがひときわ際立つ。足を止めることがほとんどない。勇壮なパート、エキゾチックなメロディ、様々に印象を変える曲調に合わせて変化するバトルのスケーティングは、曲と一体化し一つの作品を作り上げているようだった。ジャンプが次々と決まるたび、その作品は完成形に近づいていく。

終始曲と同化しているかのようなバトルだったが、最後のジャンプを降りると一瞬だけ感極まった素顔がのぞいた。カナダ選手権では2回転になり、四大陸選手権では転倒した3ルッツだ。曰く付きのジャンプを成功させ、最後に持ってきた2つの見事なスピンで演技を締めくくると、手を叩いて喜び感情を爆発させた。1年前と同じ滑走順、同じプログラムで雪辱を果たした。

4回転を跳ばない構成ではあったがノーミスの演技。ジャンプの転倒がないのはもちろんのこと回転不足もエッジエラーもなく、結果FSの自己ベストを更新。総合得点でも自己ベストを更新した。世界選手権初優勝。それもSP1位、FS1位での完全優勝。持てる能力をすべて発揮し完璧にやりきった末につかんだ勝利だった。

同年9月に突然競技からの引退を発表したため、この演技はバトルの選手生活最後のFSとなった。母国開催のバンクーバー五輪を2年後に控えての世界王者の決断に、誰もが驚いた。だが当時彼は26歳。フィギュアスケート選手としては決して若いほうではなく、人知れず進退を考えていたとしても不思議ではなかったのだ。

アスリートの挫折と栄光、土壇場で見せる精神力の強さ。試合での駆け引きや、偶然とは思えぬほど劇的な巡り合わせ。それらが絡み合って生まれる思いもよらない結末。フィギュアスケートの高い芸術性のみならず、スポーツとしての醍醐味を感じさせてくれたこの最終グループ、そしてバトルの演技は、10年近く経った今も強く心に残っている。

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VictorySportsNews編集部