シーズン最後の栄冠に向け、日本女子は最強の布陣で世界選手権に挑む

日本女子の快進撃はISU・GP(グランプリ)シリーズに始まった。シリーズの上位6人が進出できるGPファイナルには、村主章枝、荒川静香、恩田美栄の3人が名を連ねた。12月、アメリカ・コロラドスプリングスで行われたファイナルでは、シリーズを全勝し優勝候補筆頭で母国開催に臨んだサーシャ・コーエン(アメリカ、2006年トリノ五輪銀メダル)を村主が抑え、日本女子初となるファイナル女王の栄冠に輝いた。

年が明けての四大陸選手権では、前シーズンの世界ジュニア女王の太田由希奈が卓越した表現力をもって、シニア代表戦デビューにして優勝を飾った。ジュニアでは、女子シングル初の4回転ジャンプ(4サルコウ)を成功させ脚光を浴びた安藤美姫が、ジュニアGPファイナル、世界ジュニア選手権と圧倒的な強さで連勝した。

こうして日本女子は、シニアとジュニアの主要大会のタイトルを総なめにし、シーズン最終戦のドルトムント世界選手権(ドイツ、3月22-28日)を迎えたのであった。代表には、GPファイナル女王で世界選手権2年連続銅メダルの村主、世界ジュニア女王でシニアの全日本選手権も初制覇した安藤、GPファイナル・全日本共に3位に入った荒川が選ばれ、最強の布陣で臨んだ。

当時の世界選手権には、SP(ショート)の前にFS(フリー)を滑走する「予選」があった。ミスのあった村主はA組8位(総合15位タイ)からの苦しいスタートとなったが、荒川と安藤は高難度ジャンプを決めてミスを最小限に抑え、A組1位、2位に着けた。直前の全米選手権で会心の演技を見せ、世界選手権6度目の優勝を狙う前大会覇者ミシェル・クワン(1998年長野五輪銀メダル・2002年ソルトレイクシティ五輪銅メダル)は思うように奮わず3位となり、女王クワンを日本勢2人が上回るまさかの展開に衝撃が走った。B組ではコーエンが貫禄の1位、前大会銀メダルのエレーナ・ソコロワ(ロシア)が2位、欧州選手権女王のユリア・セベスチェン(ハンガリー)が3位となり、実力者達が順当に上位に揃った。

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ミス一つ許されぬSPの戦い

SPでは、予選下位となり競技前半に登場した村主が、予選から立て直しノーミスの演技を披露。SP7位で順位を大幅に押し上げた(当時の採点方式は得点制ではなく、各順位にポイントが設定され、予選・SP・FSの各ポイントの合計で順位を決めていた)。

最終グループ1番滑走の安藤は、3ルッツ+3ループの高難度コンビネーションを決めて勢いに乗ると、残りのジャンプも全て成功させた。出場選手中最高難度の構成を遂行するジャンプ力もさることながら、基礎のしっかりした爽やかな滑りや表現力も高く評価され、初出場ながら当然のように暫定1位に立った。

続いてクワンが気迫漲る演技を見せた。予選では、不本意な出来だったとはいえ技術点の評価が低く、6.0満点中の4点台(4.9)も見られた。クワンとしてはあまりに低いジャッジングに奮起したかのようなSPだった。演技後、ノーミスにも関わらず笑顔を一切見せないクワン。毅然とした表情を崩さぬ姿に、女王のプライドを大いに見せつけられた。ところが、タイムオーバーという思わぬミスがあり減点を受けた。暫定順位は安藤を下回り、キスアンドクライでは不満げな表情を浮かべていた。

3番滑走の荒川は、本大会の3週間前という直前に、コーチをアメリカ人のリチャード・キャラハンからロシア人の名伯楽タチアナ・タラソワに変更。ニコライ・モロゾフ振付によるモダンアレンジの『白鳥の湖(チャイコフスキー)』をタラソワ仕込みにブラッシュアップしてきていた。ステップはより複雑なものとなり、スピンやスパイラルの腕使い、フィニッシュのポーズといった、細部にまでこだわりもって仕上げられたプログラムとなっていた。

本大会の荒川は何かが違っていた。

3ルッツ+3トゥループの3ルッツが堪えた着氷で不安定な体勢になるも、守りに入らず3トゥループに繋げる。それまでの荒川は、勝負への貪欲さをそこまで出すタイプではなかったが、このコンビネーションからは、自信をもって力を出し切ってやるという気合が伝わってくるようだった。ジャンプを全て成功させ演じきると、観客の大歓声が響き渡ると共に、荒川らしからぬ派手なガッツポーツを見せた。

選手人生のターニングポイントになるであろう、このモロゾフ&タラソワのSP『白鳥の湖』。明らかな変貌を遂げた荒川は、安藤を上回り暫定1位に立った。3ルッツの後を2回転でまとめていれば、ここまでの結果は出ていなかっただろう。攻めに行ったことが功を奏した。

4番滑走のソコロワはジャンプで精彩を欠き、数多くの選手がノーミスの演技を見せる中で順位を落とした。

5番滑走のコーエンは、眩しいほどに真っ黄色の衣装で『マラゲーニャ』を舞った。冒頭の3ルッツ+2トゥループを完璧に成功させると、演技の勢い、切れ味はどんどん増していき、類まれなる柔軟性を生かしたスパイラルシークエンスで興奮は最高潮へ。圧巻のパフォーマンスに会場は大歓声に包まれた。採点では芸術点で「完全無欠」を示す6.0満点が4つも並ぶ(ジャッジ14人中4人)高評価を受け、コーエンが荒川をしのぎトップに躍り出た。

会場の興奮さめやらぬ中、最終滑走のセベスチェンは、欧州選手権からの好調そのままに、高いジャンプを決めおなじみのガッツポーツが炸裂。ハイレベルな争いとなった本大会のSPの締めくくりに、ノーミスの演技で花を添えた。

SP終了後の順位は、1位コーエン、2位荒川、3位安藤、以下クワン、セベスチェン、カロリーナ・コストナー(イタリア、2014年ソチ五輪銅メダル)と続き、この6名がFS最終グループとなった。

女子FSは第1滑走から、「J SPORTS」で初めて生中継された。日本勢が1994年千葉大会(千葉市・幕張メッセ)の佐藤有香以来10年ぶりに優勝を狙える展開で、インターネットのストリーミングもない時代にスポーツチャンネルでの初の生放送というおまけがつき、フィギュアスケートファンの興奮は否が応にも高まっていった。

スルツカヤのカムバック、GPファイナル女王村主章枝の渾身のFS

FS前半グループの12人の選手が演技を終え、整氷が行われるといよいよ、入賞争いが熾烈な第3グループの選手達がリンクに登場した。

3番滑走のSP後7位イリーナ・スルツカヤ(ロシア、2002年ソルトレイクシティ五輪銀メダル・2006年トリノ五輪銅メダル)は、病気による長期休養が影響し、演技では本来のキレが見られなかったが、試合に戻ってきた喜びを表わすかのように笑顔を見せて滑っていた。体力的に厳しくなる演技後半にかけて、観客は手拍子でスルツカヤをもり立てた。演技後には、復帰したスルツカヤを温かく歓迎するかのような大声援が送られた。

続く4番滑走は、予選15位タイからSPで8位まで順位を引き上げた村主。荒川同様に、村主の本大会にかける想いには並々ならぬものがあった。

2002年、持ち前の勝負強さを発揮し、日本女子として佐藤有香以来8年ぶりとなるワールドメダルを獲得した村主。2003年にはシーズン中の不調を乗り越え、土壇場で伊藤みどり以来の連続表彰台の快挙も成し遂げた。この時代の日本女子第一人者として、目指す3年連続のメダルはより美しい色を、という想いは人一倍強かっただろう。

村主はGPファイナル初制覇の後も更なる進化を求め、振付師ローリー・ニコルのいるカナダへと飛び、FSをアレンジして芸術面の向上を目指した。技術面でも、FSのジャンプ構成を変更してきていた。それまでは4種類6トリプル(3回転ジャンプ)の7回のジャンプ構成を組んでいたが、本大会では5種類7トリプルの8回のジャンプ構成に挑んだ。

本シーズンは、GPシリーズからファイナルまでは試験的に現行の新採点システム(ISU Judging System)が運用され、年明けのISUチャンピオンシップス(各国代表戦)からは従来の6.0ポイント制の採点に戻ったシーズンであった。新採点では女子FSのジャンプは「7回」に規定され、8回以上のジャンプは全て無効となるが、個々の技に得点がつかない旧採点では、ミスがあった際に8回目のジャンプでリカバリーするケースもしばしば見られた。

新たにアレンジを施したプログラムで、より多くのジャンプに挑んだ村主は、皮肉にもそのFSを滑った予選で失速。悲願の世界女王の夢は遠のいてしまったが、この日の滑りは村主の意地を見るような渾身の演技であった。3サルコウが2回転になった以外は、苦手な3ループも決め、8回目のジャンプとなる3フリップ+2トゥループまで完璧に成功させた。氷上のアクトレスと評される村主の叙情的な滑りと、持ち味のスピードも光った新生『モーツァルトメドレー』は、観るものを惹きつけた。

演技を終えると観客からは大歓声が送られ、スタンディングオベーションも見られた。村主は感無量の表情で涙をぬぐい、キスアンドクライではプレッシャーから解き放たれたような晴れやかな笑顔を見せた。暫定で総合1位、最終的にFS5位となり総合7位まで順位を上げ、4年連続の入賞を果たした。

第3グループ最終滑走のSP後9位ジョアニー・ロシェット(カナダ、2010年バンクバー五輪銅メダル)は、当時の若手成長株のひとり。冒頭の3ループ転倒があったが、質の高いジャンプを次々に成功させていった。ジャッジからも高い評価を受け、総合8位入賞。今後の飛躍が予見されるような爽快な演技であった。

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金メダルの行方は。荒川静香VSコーエン、因縁の頂上決戦

本大会にかけて、SP後1位のコーエンと2位の荒川には、少なからぬ因縁があった。

コーエンは前シーズンよりタチアナ・タラソワに師事していたが、GPファイナルで村主に敗れた後に、タラソワとの師弟関係を解消。ソルトレイクシティ五輪女子金メダルのサラ・ヒューズ(アメリカ)のコーチを長年務めたロビン・ワグナーに就いた。一方荒川は、アレクセイ・ヤグディン(ロシア男子)らを五輪王者に導いたタラソワからコーエンが去ったのを好機に、リチャード・キャラハンの下を離れてタラソワに就いたのだ。

本大会までの約3ヶ月間に、この一連の展開が巻き起こった。本番まで3週間という短期間ながら、タラソワの荒川への指導は一段と熱が入っていたことだろう。

そうして、雌雄を決する最終グループの6人が本番前の「6分間練習」で滑り出すと、会場の熱気は極限に達した。

最終組1番滑走は荒川。後に2006年トリノ五輪FSで日本初の金メダルをもたらす、オペラ『トゥーランドット』を滑る。冒頭の3ルッツ+3トゥループ+2ループの高難度コンビネーションを完璧に成功させ、続いて3サルコウ+3トゥループを決めると、会場の空気を完全に支配した荒川は、ゾーンに突入したかのようだった。

SPと同じくモロゾフ振付でタラソワにより磨き上げられたプログラムは、ヴァネッサ・メイのヴァイオリンの音色を一つひとつ、より一層繊細に拾ってみせた。ステップは以前にも増して複雑なものに変更されていたが、実はSP『白鳥の湖』と同じ構成のステップを踏んでいたという。短期間の指導の中で、賢明な判断もなされていた。最終盤には後の代名詞となるレイバックイナバウアーを組み入れた。前半のジャンプで回転が抜けるミスがあれば、イナバウアーを短くし最後にジャンプを1回入れるところ、パーフェクトのこの日は極上のロングイナバウアーで魅せ会場を熱狂させた。

フィナーレのスピンに入ると、予選では封印していた柔軟性を要するI字スピンでも魅せフィニッシュ。それまでは両手を真横に広げるポーズで終えていたが、この日の荒川は両手を上に掲げた。アドリブというよりは感情の高ぶりを抑えきれないようであった。“一瞬”泣きかけたが我に返り、観客に笑顔で応えた。総スタンディングオベーションが起きていた。リンクから上がると、タラソワが優しくも誇らしげに荒川を抱きしめた。

キスアンドクライで採点が発表されると、荒川はまた“一瞬”泣き崩れた。技術点で1人のジャッジから6.0満点の評価を受けたのだ。当時、女子では技術点の満点は滅多に出ることがなかった。加えて旧採点においては、満点をつけると必然的に以降の選手はそれ以下の評価となるため、序盤に滑走する選手には満点が出にくい傾向があった。それにも関わらず満点の評価がつき、荒川自身もその価値を理解し涙を見せた。自制の強い荒川がここまで感極まった姿を見せたのは、後にも先にもこのときだけだった。総合で暫定1位に立ち、後続選手の演技を待つこととなった。

2番滑走のSP後5位セベスチェンは、荒川の名演技の後というプレッシャーのかかる状況で臨むことになったが、崩れることなくセベスチェンならではの高さのあるジャンプの数々を決めた。ミスはあったが会場を沸かせ、満足げな表情で演技を終え、暫定2位に着けた。

そして3番滑走、SP後1位のコーエンが緊張の面持ちで現れた。タラソワが振り付けてワグナーがアレンジを加えた、バレエ『白鳥の湖(チャイコフスキー)』の演技を待つ。冒頭、3ルッツ+2トゥループが3ルッツの着氷で詰まりコンビネーションにならなかった。緊張がこちらにまで伝わってくるような瞬間だった。しかし本大会でも優勝候補でシーズンを席巻していたコーエンは、そこから着実にジャンプを決めていった。

最後のジャンプは、最も得意であり4回転にも挑戦していたサルコウ。この3サルコウを成功させ、初の世界選手権金メダルをたぐり寄せると思われたそのとき、飛び上がった途端軸が曲がり、2回転で着氷も崩れた。大きなミスはこの1つだけだったが、自身のあまりにもショッキングな失策にコーエンは呆然としていた。高評価ながらもFSで荒川に次ぐ2位。総合で暫定「2位」の結果を見たコーエンは、俯いた顔をしばらく上げられずにいた。

どんな逆境にも屈さない、女王クワンのプライドと底力。安藤美姫、初出場のワールドで4回転に挑戦。

続いて4番滑走、SP後4位の女王クワンが登場。本大会、クワンは6度目の世界女王の座と共に、実に9年連続となる表彰台もかかっていた。クワンが「ミス・パーフェクト」と称されたのは、大舞台でノーミスの演技を幾度となく披露した実績にとどまらず、ジャンプ・スピン・ステップ等の“技”、“スケーティング”、“表現力”が三位一体に揃った完璧なスケーターという意味合いも強かったように感じる。まさにリヴィングレジェンドと言えるクワンの、円熟の域に達した演技の開始のときが来ようとしていた。

ついに頂点が決まる……その佳境で、上半身裸の男が客席からリンクに乱入するアクシデントが発生した。クワンはすぐさま避難し、男はスケート靴で滑りリンクを縦断していた。幸い、男の目的はクワンの襲撃ではなくストリーキング(Streaking:裸体で公衆の面前を走り抜ける)だったようで、取り押さえられて事無きを得たが、クワンはその間待たされ続けた。滑走前のウォーミングアップで作り上げた状態を完全に乱されて本番を迎えることになってしまったのだ。

会場の誰もが心配する中滑り出したが、これが女王の底力なのだろうか、クワンは信じられないほどの演技を見せた。ジャンプをことごとく成功させ、モロゾフ振付のオペラ『トスカ』を情熱的に滑りきった。最後の3ルッツこそ2回転になったが、クワンにミスが続出すれば、このアクシデントはよりクローズアップされることになり、本大会に深刻な影を落としていただろう。暴漢に乱されず超人的な集中力で演技を成し遂げたクワンに、心からの感謝と畏敬の念を抱いた。採点では14人中6人のジャッジから芸術点満点という最上級の評価を受けたが、それでもFSの順位は僅差で荒川が上回った。クワンは総合で暫定3位となり、この時点で日本女子の10年ぶりとなる金メダルが確定した。

5番滑走のSP後3位安藤は、FSで荒川を上回れば優勝する。緊迫した中で、乱入騒ぎのために演技開始時間が遅れ、クワンへの大歓声を耳にしながらリンクに立った。

この正念場に、世界選手権女子シングルでの4回転初成功を目指して挑戦した4サルコウは2回転になった。しかし、もうひとつの武器である3ルッツ+3ループを軽々と成功させ、後半の3トゥループ+3トゥループを含むジャンプを全て着氷していった。終盤はスピードが落ちて疲れが見られる中踏ん張り、世界選手権初出場で堂々たるバレエ『火の鳥』を見せた。

4サルコウ以外は大きなミスなく、FSも出場選手中最高難度のジャンプ構成で演じきったが、演技後の安藤に笑顔はなく少し悔しさものぞかせていた。日本女子の未来のエースに頼もしさを感じるシーンであった。FS4位、総合4位となり、世界選手権デビューにしてメダルに肉薄という好結果を残した安藤は、世界のフィギュアスケートファンにインパクトを与えた。

2004年ドルトムント世界選手権、女子最終滑走はSP後6位コストナー。イタリア代表の選手だがドイツを練習拠点にしており、ホームのような大声援で迎えられた。冒頭、3フリップ+3トゥループ+2ループを素晴らしい質で成功させる。その後のジャンプはミスが続いたが、決まれば質の良い美しいジャンプに、長身から繰り出されるダイナミックな動き、そしてスピーディーでシャープなスケーティングは、大器の片鱗を強く感じさせた。コストナーはFS6位、総合5位で前大会10位から順位を上げた。

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世界を恐れさせた「ジャパニーズ・パワーハウス」

躍進する若手の勢いとベテランの意地が美しくぶつかり合った、2004年ドルトムント世界選手権女子。荒川は世界選手権初優勝を果たし、伊藤みどり、佐藤有香に続く日本女子3人目の世界女王に輝いた。銀メダルはコーエン、銅メダルはクワン、4位以下は、安藤、コストナー、セベスチェン、村主と並んだ。また本大会は、日本女子代表が初めて3選手全員入賞する世界選手権となった。

表彰式では微笑ましい一コマがあった。メダル授与、国旗掲揚後、メダリストのウイニングランとなるが、表彰台のてっぺんに立ち不慣れな様子でキョロキョロする荒川に、クワンが大先輩らしく言葉をかけ、荒川は促されるように観客に手を振った。その後のウイニングランもどこか初々しい雰囲気であった。荒川には、アジア大会やユニバーシアードでの優勝はあったものの、GPシリーズ含め主要大会での初優勝がこの世界選手権だったのだ。誰もが認める天才的な才能が、心技体揃ってついに発揮されたときであった。

2003-04シーズン、シニアとジュニアの主要大会完全制覇という快挙を達成した日本女子。この快挙は限られた選手によるものではなく、4人の選手によって成し遂げられた。その4人のすぐ側には、代表の座を脅かす強力なライバルや浅田真央ら有望なジュニア選手も控えていた。このときの日本女子の強さと層の厚さは、「ジャパニーズ・パワーハウス」と世界から評され恐れられた。

日本女子は以降の10年間で、金銀2つの五輪メダル、5つの金メダルを含む11個のワールドメダルを獲得するのだが、その栄光の道筋を示したかのような象徴的な大会であった。

ジェフリー・バトル どん底と頂点を共にした『アララトの聖母』~フィギュアスケート、あのとき~ Scene#1

思い出のシーンを伝える連載第1回目は【ジェフリー・バトル2008年世界選手権FS(フリー)】。ジェフリー・バトル(カナダ)といえば、フィギュアスケートファンにとってはお馴染みの名前である。2012-13シーズンから今季まで羽生結弦のSP(ショート)振付を担当、浅田真央が座長を務めるアイスショーにも毎年出演していて日本でも有名だ。現在は振付師、プロスケーターとして世界を股にかけ活躍している彼は、選手時代男子シングルのトップスケーターとして国際舞台で戦っていた。本来の茶髪をブロンドに染めていることが多く、そのルックスはまさに「氷上の貴公子」。当時も大変な人気だった。(文=Pigeon Post ピジョンポスト Paja)

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VictorySportsNews編集部