羽生結弦について

名前羽生結弦(ハニュウユヅル)
生年月日1994年12月7日
日本
出身宮城県仙台市
プロフィール4歳から姉の影響でスケートをはじめると、天才的な才能を発揮。荒川静香のトリノオリンピック金メダルに大きく影響を受けると、ジュニア時代には、中学生ながら世界チャンピオンに登りつめる。

東北高校2年時には、大震災に見舞われるも、不屈の精神でスケートを続ける。2012年から練習拠点をカナダに移し、4回転ジャンプを極めると、同年全日本選手権で初優勝。2013年グランプリファイナルで初優勝、全日本選手権連覇。2014年ソチオリンピック男子シングルで金メダル獲得。同年世界選手権初優勝も飾り、主要大会3冠を達成。その後も歴代最高得点記録を保持するなど、世界ランキング1位を保持するフィギュアスケート選手の第一人者。

東北高校卒業、早稲田大学、全日本空輸 (ANA)所属。 所属171cm、56kg

いまや世界を牽引する存在も、そのきっかけは喘息の克服

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10代で金メダリストとなり、今や世界のフィギュアスケート界を牽引する羽生結弦ですが、スケートとの出会いは意外にも持病の克服という理由からでした。というのも幼少期から体が弱く、2歳の頃から喘息に悩む日々を過ごしていました。母はその克服には、埃を吸い込むことが少ない屋内スポーツであったスケートが適していると考えます。そして、羽生は姉が通うスケート教室について行き、4歳からスタートさせました。

すると、すぐにあふれる才能がすぐに開花します。負けず嫌いの性格もあって、姉に追いつけ追い越せとジャンプやスピンをこなしていき、6歳の時には大会で初優勝していました。いつしか喘息は改善され、途中父が好きだった野球への興味を持った時期もありましたが、悩んだ末にスケート継続を自ら決断しました。すると才能にたゆまぬ努力が加わり、スケート選手としてさらに成長していきます。当時個人レッスンを施していた都築章一郎コーチは、若干8歳当時の羽生に対して、オリンピックで世界一になろうと本気で声をかけていたほどでした。

中学生にして、初の世界ジュニアチャンピオンの称号を得る

小学4年生となった2004年、全日本ノービス(ジュニアの下クラス)で初優勝を飾ります。しかし直後に自身の練習拠点が経営難のため閉鎖され、万全な練習が出来ないという状況に陥りました。伸び悩んだ時期となってしまいましたが、その2年後には自身の目標が定まる瞬間が訪れます。

2006年、トリノオリンピックで荒川静香が日本人として初となる金メダルを獲得したのです。フィギュアブームに火がつき、当時11歳だった羽生結弦は天才少年として大きくクローズアップもされると、ソチオリンピックでの金メダルを高らかに宣言しました。

中学生となると、ノービスの選手ながら全日本ジュニア選手権で3位入賞と次元の違いを見せ付けます。翌年は、同大会で初優勝し、世界ジュニア選手権出場と世界レベルの大会に出場するようになります。そして中学3年生時代には、全日本選手権で総合6位、世界ジュニア選手権でもパーソナルベストを更新して優勝を飾るまでに成長しました。

日本人優勝者としては4人目でしたが、羽生は初の中学生チャンピオンでした。

東北大震災という大きな精神的苦痛を味わうもスケートから離れず

2010年4月からは東北高校に進学します。全日本選手権では年々順位を上げる4位、初出場の四大陸選手権では銀メダルとまさに順風満帆なスケート人生を送っていました。しかし2011年3月、練習中に地元東北が大震災に見舞われます。自身の避難所生活は4日に留まりましたが、そうした時期にスケートを続けることに対して疑問を抱くようになります。それでも復興支援目的のアイスショーなどに出演しつつ、オリンピックへ向けた練習を再開しました。

同年、全日本選手権では最高位の3位を勝ち取り、初となる世界選手権代表に選出されました。同大会でも銅メダルを獲得して、日本男子史上最年少のワールドメダリストとなると、さらなる飛躍を目指して2012年から練習拠点をカナダ・トロントへ移しました。

宣言どおりのオリンピック金メダル獲得、そしてシーズン3冠も達成

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羽生結弦がカナダに拠点を移した理由は、ブライアン・オーサーにコーチを依頼したからした。オーサーは、サラエボ、カルガリーとオリンピックで連続銀メダルに輝き、引退後はキム・ヨナ(韓国)をバンクーバーで金メダルに導いたコーチング技術でも有名でした。そして羽生の最大の目的は、4回転ジャンプの精度をあげることでした。

通常、オリンピック2年前にコーチを替える事は無謀といわれましたが、結果でそれを証明しました。2012年から全日本選手権を連覇、グランプリファイナルでも優勝と大一番を前に自身の調子を最高潮にします。そして満を持して、ソチオリンピック本番を迎えました。ショートプログラム(SP)で史上初の100点越えを果たし首位に立つも、フリーでは自己ベストに程遠い得点に終わります。金メダル獲得は難しくなりましたが後続も得点が伸びず、逃げ切りで金メダルを獲得しました。

男子シングルにおいて日本人初の快挙でしたが、興奮冷めやらぬ翌月にも世界選手権優勝と、主要3大会を全て制する3冠を達成します。19歳にして世界王者となり、ライバルたちに追われる立場となりました。

五輪連覇を目指す若人の成長は留まることを知らない

オリンピックでの金メダルという大きな目標を達成した選手は、燃え尽き症候群に陥ることがあります。しかし羽生結弦にとって、それは杞憂に終わっています。全日本選手権は4連覇(2016年は欠場)、グランプリファイナルも4連覇中、そしてシングル競技におけるショートプログラム、フリープログラム、トータルスコアのすべてにおいて世界歴代最高得点記録を保持しています。

さらに、2013年10月から世界ランキング1位も継続し、ショートで100点、フリーで200点、トータルで300点を初めて越えた選手でもあります。スケートに対する飽くなき挑戦する心を持ち、誰よりも向上心を持っている証明です。まさに世界のフィギュアスケート界を牽引する存在であり、二つ目の金メダルを目指し、今なお成長し続けています。


VictorySportsNews編集部