れっきとしたスポーツの一部

なぜ、アイスホッケーでは殴り合いが許されるのでしょうか? その理由には、“ファイティング”が戦略性を秘めたれっきとしたスポーツの一部であると認められている背景があります。本稿では、アイスホッケーの世界最高峰リーグNHL( National Hockey League ) におけるファイティング文化を、そのルールの概要と戦略的な必要性から紹介します。

強調しておきたいのは、「ただ怒り任せの喧嘩が認められているわけではない」ということ。アイスホッケーにおける“ファイティング”にはルールがあり、ペナルティ(罰則)もあります。例えば、一人の選手が殴り合いをしようとふっかけ、相手が殴り合いに応じなかった場合は、ふっかけた選手だけがペナルティを受ける場合があります。(二分間の退場、その間チームは一人少ない状態でプレーする。)また、1試合に何度も殴り合いに参加すると、出場停止処分を受ける場合もあります。

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“ファイティング”にもルールがある

ルールの概要を紹介します。第一に、ファイティングは必ず1対1で行なわれます。2人目以降に加わる選手には重いペナルティが課せられ、乱闘に至れば両チームに多くのペナルティが課せられます。 第二に、闘いを始める前にはスティックを手放し、グローブを外して、お互いに準備を整え、必ず素手で行なわれます。ファイティングで武器を使った場合は、重い罰が下ります。そして第三に、闘いが始まっても審判は手を出しません。どちらかが氷上に倒れこむか、お互いに疲れ果てたのを見計らって闘いを止めに入ります。その後にファイティングを行なった両選手はペナルティを受け5分間は退場させられます。 ファイティング後の態度が紳士的でなかったり、重度のけがを負わせた場合などは、レフェリーのさじ加減で罰金や出場停止など重い罰を受けることもあります。また一試合に一回なら5分の退場で済みますが、ファイティングを一人で何度も行なうと回数に応じて罰則を受け、5回目で最高6試合の出場停止を言い渡されます。 このように、しっかりとしたルールも罰則もあることが、ただの殴り合いとは大きく違うところです。アイスホッケーで認められるファイティングは単なる喧嘩ではなく、リスクを背負うことと引き換えにさまざまな思惑のもと、タイミングを見計らって行なわれているのです(まれに、ホントの喧嘩の時もありますが……)。

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ファイティングの役割とは?

ファイティングの役割の一つは、チームの勢いづけです。例えば、「ここから気合いを入れなおすぞ」というスイッチの一つとして活用されることがあります。殴り合いに勝てばモチベーションが上がりますし、負ければ「かたき討ち」としてチームが奮起します。観客としてもファイティングが見られればエキサイトし、会場全体のボルテージも一気に上がります。ファイティングは、チーム内の雰囲気と会場の雰囲気を一気に変えることができるのです。

仮に他のスポーツでファイティングが採用されれば、「いつファイティングを行なうか」という戦略的な議論が深まるに違いありません。ファイティングはアイスホッケーにおいて他のスポーツにない面白い側面を担っているのです。実際、ファイティング専門の充実したWebメディアがあるほど。ファイティングにはもちろん勝てたほうがいいですが、負けても効果があり、モチベーションコントロールに優位に働くように戦略的に行なわれます。

もう一つの大きな役割をあげるなら、「スター選手を守ること」でしょう。各チームには、戦況を大きく変えるスター選手が存在します。彼らに簡単にプレーさせないことが相手チームの第一に考える事であり、荒いボディコンタクトで戦意を喪失させたり、苛立ちを誘うプレーで精細を欠かせたりします。

そういった相手の工作に対しても、ファイティングで対応するのです。スター選手はチームの象徴であり、ファンにも人気があります。スター選手に何かしようものならファイティング要員を派遣し、因縁のプレーヤーとファイトさせます。スターに手を出したらこうなるぞ!とみせしめることで、逆に相手の意欲をそぎ、スターが働きやすいよう試合の展開を持っていきます。

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用心棒“エンフォーサー”とは?

チームの中には、“用心棒”的にファイティングを任される選手たちもいます。彼らは“エンフォーサー”と呼ばれ、スター選手を守る用心棒であり、チームの勢いをつける重要なポジションを担っています。エンフォーサーが毎回必ずファイティングをするわけではないですが、監督の指示を受けて戦略的にファイティングを請け負います。

映画「GOON」(邦題:俺たち喧嘩スケーター)では、エンフォーサーが主人公であり、その重要性や役割をわかりやすく描いています。まじめな主人公が腕っ節の強さを武器にファイティングでチームを勢いづけ、自信を失ったスター選手を復活させ、大活躍するといった内容です。

主人公が行なったエンフォーサーとしての重要な役割は、スター選手の用心棒であり、チームの勢いづけです。この役割はただの喧嘩屋が担えるものではありません。ファイティングを生業とし、チームの為にと身を賭して貢献することができる、騎士道的な精神をもった選手の尊敬すべき行為なのです。

とはいえ、エンフォーサーと呼ばれる彼らには、その仕事の過酷さから自殺を図る人が少なくないようです。特にNHLの下部リーグにおいては、よりファイティングが好まれる文化があり、彼らを取り巻く環境はさらに過酷になります。戦略を超えて酷使される上、サラリーもNHLには劣る、彼らに尋常でない負担がかかっている事実があります。

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昨今では、ファイティング否定傾向も


昨今では本場アメリカやカナダでも、昔よりファイティングを賛美する人が少なくなっています。

それは、今のファイティングの意味が、これまでのファイティングがスポーツの一部として認められてきた理由からかけ離れてきたからなのかもしれません。

1917年のNHLの発足時は5つであった構成チームが、90年の歴史を経て、2017-2018シーズンからラスベガスの新チーム・ゴールデンナイツを加えた31チームにまで増えました。そして数多くのチームは下部組織を育て、下部リーグもいくつか生まれました。

最近はアイスホッケーがビジネスとして大きく成長する中で、ファイティングが商業的に起こされるようになっているのかもしれません。先に述べたように下部リーグでは必要以上のファイティング要請がまかり通っていて、ファイティング目当てのファンが多くいるようです。商業的判断でファイティングが扱われてしまえば、エンフォーサーやファイティングを行うプレイヤー達が自身の騎士道精神に沿ってファイティングができなくなります。そうなると、その活躍はどう考えても持続的とは言い難いですよね。

殴り合いは本来したいものではないはずですから。そういった空気がファンにも伝わり、特に選手の両親が反対の立場をとることがしばしばあるようです。(映画「GOON」でもそうでした。)あぶないからやめなさい、体が心配だという意見のほかに、殴り合いで金を稼ぐなんてふざけているといったように。

このようなファンから支持されない行為はスポーツから淘汰されるでしょう。アイスホッケーを提供する側が、興業でなく文化としてファイティングにリスペクトをもたなければ、いずれはNHLにおいても殴り合いが禁止される日が来るやもしれません。

<了>

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VictorySportsNews編集部