知っておきたい年寄制度

冒頭で触れた「年寄名跡」は、親方になるためのいわば免許状のようなもので現在105ある。稀勢の里は年寄「荒磯」を襲名したため、その名前を冠した荒磯親方になる。例えば八角理事長は元横綱・北勝海。引退して年寄「八角」を襲名し八角親方となった。その上で部屋を興した。それが八角部屋というわけだ。理事長であっても親方の1人であることには変わりない。

現在46ある相撲部屋の師匠は、その部屋の名前と同じ年寄名跡を取得している。そして部屋の師匠以外にも親方はいる。それが部屋付きの親方だ。それこそ荒磯親方は自分の部屋を持つわけではなく、現在は田子ノ浦部屋の部屋付き親方ということになる。わかりやすく言えば105ー46=59人の親方は部屋付き親方なわけだ。

それではなぜその数に制限があるのか?
その答えは決して難しくない。簡単に言えば親方になるというのは協会の職員になるからだ。職員である以上、給料が支払われる。親方は最も下の階級の「年寄」でも年収およそ1200万円。有資格者の引退した力士を全員職員にしてしまえば、協会の財政はパンクする。「年寄名跡」という免許状の数を制限することで、職員数を一定に保っているというわけだ。まあこれは相撲協会の伝統的な制度で、先人の知恵とでも言うべきものだ。

親方になれば65歳の定年まで1200万を超える給料が保証される。「年寄名跡」は力士にとって喉から手が出るほど欲しい代物なのだ。となれば、必然的に値が上がる。バブルの頃は3億円を越えたという話もある。最近でも1億数千万円が相場と言われる。相撲協会が公益財団法人となって「年寄名跡」の売買は禁止され、協会が一括管理することになった。とは言っても「年寄名跡」の継承者は、前所有者に指導料を支払うことができるから、それくらいが事実上の相場だろう。

稀勢の里の退職金は1億円?

では、引退した横綱が手にするお金はどのくらいか。まずは退職金から見てみよう。

引退した力士には地位に基づく養老金と実績に基づく加算金をあわせた金額が退職金として支払われる。横綱の場合は、養老金が1500万円。そのほか関取として何場所活躍したか、例えば横綱在位場所は1場所につき50万円、大関在位の場所は40万円などと決まっていて全休した場所に対しては支払われない。稀勢の里の場合は2500万円を越え、あわせて4000万円あまりの退職金が支払われる。
さらに横綱・大関には引退時に特別功労金が支払われるという規定がある。実際これまでも横綱経験者は1億円前後の功労金が支払われてきた。暴行事件でやめた朝青龍にも1億2000万円の功労金が支払われてと言われている。稀勢の里は短命の横綱といえども、大関在位は31場所。人気や相撲界への貢献度を考えると1億近くが支払われるのは確実と見られている。そう考えると退職金で「年寄名跡」を取得するくらいの額は稼ぐ計算になる。

引退相撲で1億円以上の収入が

もうひとつ引退した力士の収入源となるのが引退相撲だ。断髪式として知っている人も多いのではないだろうか。力士の象徴「大銀杏」を師匠が切り落とす儀式のことだ。
横綱ともなると、断髪式の前に幕内力士の取り組みや自身の最後の土俵入りなど、巡業と同じような出し物が用意される。それで引退相撲と言われるのだ。稀勢の里の場合はおそらく「横綱・稀勢の里引退断髪、荒磯襲名披露大相撲」などの呼び名になると考えられる。

この引退相撲は、引退する力士にとって大事な収入源となる。というのも興業を主催するのが当該の力士や後援者だからだ。例えば今年9月に引退相撲を行う元里山の佐ノ山親方の引退相撲の主催は里山断髪式実行委員会。本人や後援者が中心となってチケットを販売しお客さんを集めなければいけない。国技館のキャパシティーは1万人弱。招待客もいるだろうからすべてを販売する訳ではないが、個人的なつながりでチケットを売るのは大変なことだ。
しかし、自主興行である分、支出は極端に少ない。というのも引退相撲を盛り上げる力士たちはみな無償で出演しているからだ。角界の伝統と言ってもいいだろう。力士は十両以上の関取になれば力士会に所属する。一般で言う労働組合に近いものだと考えればいいと思うが、待遇の改善や協会への意見などを力士の意見をまとめる組織だ。会長は横綱が順番に回すのが通例だ。力士会は場所の番付発表(初場所を除いて初日の13日前)の翌日に行われるのが慣わしで、東京であれば国技館の教習所、地方であればレストランなどで行われる。引退した力士は、そこに挨拶に行くのがこれまた通例だ。もちろん「これまでお世話になりました」という儀礼的なものである一方で、「引退相撲ではご協力よろしくお願いいたします」というお願いも行われる。すなわち、引退した力士の餞にみんなで引退相撲を盛り上げようというのが力士会の慣習なわけだ。
協力を要請された力士たちは、引退相撲に無償で参加し相撲を取ったり土俵入りを披露したりして興業を盛り上げるわけだ。そして、自分が引退するときには、こんどはみんなに盛り上げてもらう。相撲界の伝統が生み出した餞別の形だ。かくして、力士たちの協力を得て手弁当で作り上げた引退相撲で得た収益は、第二の人生を踏み出す力士にとって大事な収入となる。

【資料:引退相撲】

まだ見ぬ”横綱”のために

横綱にとっての第二の人生とは何か?
突然退職の道を選んだ貴乃花親方や、事件を起こして土俵を去った朝青龍や日馬富士を考えると、その問いは難解になる。しかし、相撲界で脈々と引き継がれてきた伝統に鑑みれば横綱を育てることだろう。横綱を育てるのが至難のわざとすれば、少なくとも関取を育てることだろう。そのためには部屋を興さなければいけない。力士を集めてこなければいけない。地方場所の宿舎や土俵を用意しなければいけない。弟子を食わせなければいけない。それを個人でやるとなると、いったいいくらかかるのだろうか?もちろん地方場所の経費や力士の養成費などの一部は相撲協会から支給されても、全く足りないだろう。そう考えると支援者を集めること、そして親方が身銭を切ること。駆け出しの師匠なんてそんなに大きな支援者がいるわけではない。ましてや雇われ社長が増えた現在の日本で大口のタニマチになってくれる人なんてそうはいない。そう考えれば新米親方にとってお金はいくらあっても足りないくらいだ。

まだ見ぬ横綱の卵を発掘して横綱に育て上げたい。そういう強い信念を持った親方にとっては、引退相撲の収益は貴重な貴重な蓄えになる。そういう親方が1人でも多くいて欲しいと思うのは僕だけではないだろう。


羽月知則

スポーツジャーナリスト。取材歴22年。国内だけでなく海外のスポーツシーンも取材。 「結果には必ず原因がある、そこを突き詰めるのがジャーナリズム」という恩師の教えを胸に社会の中のスポーツを取材し続ける。