香川真司について

名前香川真司(カガワシンジ)
生年月日1989年3月17日
日本
出身兵庫県神戸市
プロフィール幼稚園から地元でサッカーを始めると、小学生で早くも頭角を現す。中学時代に入ると、仙台のFCみやぎバルセロナへサッカー留学。高校2年生では、セレッソ大阪とプロ契約。

2009年、得点王にMVPを獲得する活躍を見せて、チームのJ1復帰へ貢献。2010年から活躍の舞台をドイツ・ドルトムントに移すと、主力として2連覇にも貢献。2012年には名門マンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍するも、不本意な成績に終わり、2014年から古巣ドルトムントへ復帰し、2017年現在もプレー中。

J2得点王1回。国際Aマッチ 86試合 28得点(2016年末現在)。175センチ、68kg

突出したサッカーセンスは中学時代のサッカー留学でさらに開花

兵庫県で生まれた香川真司は、幼稚園時代からサッカーを始めます。地元チームに所属してサッカーを続けると、小学4年生で神戸市選抜メンバーに抜擢されるなど、順調に成長していきました。そして暇さえあればボールに触れていたサッカー少年は、自然とドリブルが好きで武器となっていました。すると小学5年生時代に所属していた神戸NKサッカークラブの監督から、FCみやぎバルセロナへのサッカー留学を勧められます。

FCみやぎバルセロナは、パス禁止を奨励するという独特な育成方法を取り入れた、個の力を伸ばすことをモットーとするチームでした。

同チームのスタイルに魅せられた香川は、中学時代に同ジュニアユースへ入団する為仙台へ渡りました。最高のサッカー環境を手に入れると、ドリブル技術はもちろんのことシュート技術も磨かれていきます。飛び級で上の年代に交じっても全く遜色なくU-15日本代表など全国の舞台でも活躍を見せ始めていました。

史上初めて、Jリーグ下部組織以外でプロ契約した高校生

中学卒業後も、仙台に残りFCみやぎバルセロナのユースチームへ進みました。そして自身高校2年生時の2005年9月、大きく人生が変わる試合が行われました。飛び級でU-18東北代表に選出されると、仙台カップ国際ユースサッカー大会に出場します。

ブラジル、クロアチア相手に卓越した技術で魅了すると、圧巻はU-18日本代表戦でした。現在の日本代表選手でもある内田篤人、吉田麻也、槙野智章らが揃うディフェンスラインを、ことごとく翻弄し、自身の3アシストで5-2と快勝します。そしてブラジルに連れて帰りたいとも言わしめた当時16歳のもとに、驚きのオファーが飛び込んできました。

それは、自身の地元に近い大阪に本拠地を持つセレッソ大阪でした。Jリーグのクラブチームが、下部組織の若いタレントに対し、高校卒業前にプロ契約する事は例がありました。しかし、香川真司のように下部所属でもない高校生としては全く前例がないパターンです。もちろんこのオファーを受けて、仙台から大阪の高校に転校し、さらなるステージアップへ向けて走り始めました。

2009年ミスターセレッソとなり、得点王&MVPでJ1昇格に大貢献

セレッソ入団1年目は、出番が与えられず、チームは5シーズンぶりのJ2降格してしまいます。しかし2007年シーズンから徐々に存在感を示していきました。18歳にしてレギュラーに抜擢されて試合に慣れていくと、2008年シーズンには16得点をマークし主力に成長します。そして2009年は、チームのJ1復帰に大きく貢献する素晴らしい活躍を見せました。同年からミスターセレッソと呼ばれた森島寛晃の背番号8を譲り受けると、ハットトリックや4試合連続ゴールなど、44試合で27得点12アシストと大暴れしてゴールを量産します。20歳にしてJ2得点王にMVPを獲得して自らの力でチームをJ1に復帰させました。

チームでの活躍のほか、U-19日本代表にも選出されると、お得意の飛び級でU-20ワールドカップ、U-23の北京五輪日本代表、さらには平成生まれの選手として初めて日本代表にも選出されました。2008年5月には、国際Aマッチデビューも飾り、10月には代表初得点も記録とまさに飛ぶ鳥を落とす勢いをキープしました。

ドイツ・ドルトムントに移籍して、海外挑戦をスタート

©Getty Images

初めてJ1でのプレーとなった2010年、11試合で7得点と変わらぬ活躍を見せていました。それでも自分自身に満足しない向上心の塊だった香川真司に、またしても驚きのオファーが届きます。それはドイツ・ブンデスリーガのドルトムントへの完全移籍でした。

着実に階段を登ってきたドリブラーにとって初の海外挑戦であり、さすがに苦労すると思われました。しかし、新チームの水があったのか、いち早く溶け込んでプレシーズンで活躍を見せるとレギュラーに抜擢されます。開幕戦から出場を続け、第3節では早くもリーグ戦初得点をマークしました。

その後も18試合で8得点と大活躍し、ブンデスリーガ前半戦のMVPを獲得します。UEFAヨーロッパリーグでも8試合で4得点と世界を驚かせました。好調を維持したドルトムントは、9シーズンぶりにブンデスリーガ優勝を実現させます。自身は、日本代表戦での故障で、歓喜の瞬間をピッチで迎えることはできませんでしたが、1年も経たないうちに、ドルトムントサポーターの心をがっちりと掴みました。

2年目にはさらに飛躍します。序盤こそ不調が続きましたが、チームの好調に追随し復調していきます。結局31試合で13得点と前年を上回り、ブンデスリーガ連覇を達成しました。ESM(欧州スポーツ雑誌協会)に年間ベストイレブンにも選出されるという快挙も成し遂げました。

イングランドで海外挑戦第2章をスタートするも苦しいシーズンを送る

©Getty Images

香川真司の挑戦はさらに続き、サッカーの母国イングランドでの挑戦が始まります。2012年6月イングランドのプレミアリーグ名門マンチェスター・ユナイテッドFCへの完全移籍が発表されました。ドイツ時代同様、開幕戦にスタメン起用され、第2戦で初得点とプレミアリーグでも順調なスタートを切りました。

しかし、チーム戦術と香川のスタイルはなかなかフィットしません。怪我もあって戦線離脱も長く、プレミア1年目は20試合6得点と不完全燃焼に終わりました。さらに翌シーズンは、自身の不調や新監督の構想にも合わず、デビューして以降初めてのシーズン無得点に終わりました。

初めてのワールドカップ出場を果たすも、グループリーグ全敗

香川真司の日本代表デビューは、前述の通り2008年と早いものでしたが、2010年南アフリカワールドカップには登録メンバーに選出されませんでした。しかし2011年からは、エースの証・背番号10を背負い代表メンバーに不可欠な存在となります。

そして、2014年ブラジル大会出場の為の最終予選では2得点し、日本の5大会連続出場に貢献しました。海外組も多く前評判も高いチームでしたが、予選のグループリーグは3戦全敗と散々な結果に終わります。香川自身も、一度もフル出場できず無得点とチームへの貢献は出来ませんでした。

古巣ドルトムントへ復帰して、次期ロシアワールドカップを目指す

マンチェスター・ユナイテッドFCへの移籍は結果的に失敗に終わり、契約途中ではありましたが、移籍先を模索しました。そして2014年8月、古巣のドルトムントへの復帰が決定します。

かつて輝きを放ったチームで奮起が期待されましたが、2017年現在、伸び悩みが続いています。

2018年のワールドカップまでに残された時間は少ないですが、日本のエースとして君臨する為にも、クラブチームでの活躍は不可欠です。

VictorySportsNews編集部

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