吉田沙保里について

名前吉田沙保里(ヨシダサオリ)
生年月日1982年10月5日
日本
出身三重県三重市
プロフィール父はレスリングの元日本選手権チャンピオン。父や兄の影響で3歳からレスリングを始め、5歳の時初試合を経験して以来、のめり込む。低い姿勢からのタックルに定評があり、久居高在学中の1998年全日本選手権準優勝。

1999年フランスで開かれた女子レスリングの世界大会ジョルベールショーブカップのカデット(16,17歳)56キロ級ですべてフォール勝ちを決め、4年連続でクラス優勝を果たした。2001年中京女子大学に進学。

綜合警備保障(ALSOK)2015年12月退社、TAGインターナショナル所属。156センチ、56キロ

元全日本チャンピオンの英才教育で、10代ながら世界レベルの選手へ

吉田沙保里は、1973年レスリングの全日本選手権覇者である父・栄勝と、テニスのインターハイ出場経験のある母・幸代との間に生を受けます。二人の兄の背中を追うように、父が自宅で開いていた一志ジュニア教室で、3歳からレスリングを始めました。すぐにレスリングにのめりこむと、元アスリート両親の血を受け継ぎ、あふれる才能を開花させていきます。

父もスパルタ教育を施すと、1997年には15歳で全日本ジュニア選手権に出場し3位と全国レベルの選手に成長します。久居高校(三重)に進学した1998年には全日本選手権準優勝に、世界カデット(16歳・17歳)選手権優勝と世界でも頭角を現しました。その後も安定した強さを誇り、2000年、2001年と世界ジュニア選手権を連覇し、カデットから続く4連覇を達成しました。

並み居るライバルを退けアテネ五輪出場すると、見事に金メダルを獲得

©Getty Images

2001年9月、女子レスリングが世間に注目される大きな決定がありました。それは2004年アテネ五輪より女子レスリングの正式採用が決定したことでした。俄然、吉田沙保里にも熱が入りましたが、世界選手権の7階級と異なり、オリンピックは4階級のみ。当然椅子の数は決まっており、ライバルが群がることになります。

吉田にとっての強力なライバルは、55kg級で争う2歳年上の山本聖子でした。2000年、2001年の世界選手権56kg級の覇者であり、2001年の全日本選手権では判定負けしていた相手です。しかし、この敗戦以降、吉田は国内外の大会すべてで連戦連勝をスタートさせます。

2002年に世界選手権で初優勝を飾ると翌年も連覇し、ジュニア時代から数えて4連覇を達成します。全日本選手権でも55kg級を制し続け、同階級では無敵の存在に成長しました。そしてアテネ五輪代表選考会を兼ねたジャパンクイーンズカップ決勝で、山本聖子に勝利し代表に選出されました。

そして迎えた本戦も、2試合連続テクニカルフォール勝ちで準決勝へ進出します。さらに準決勝、決勝でも危なげなく勝利し見事な金メダルを獲得しました。日本女子は伊調馨(63kg級)も金メダル、伊調千春(48kg級)が銀メダル、浜口京子(72kg級)も銅メダルと、代表4選手がすべてメダリストとなりました。実は、伊調馨も元は吉田と同じ階級でライバルとして争っていました。しかしあまりの強さに、階級をあげてその後無敵状態となったのでした。

最強タックルを武器に、オリンピック3大会連続金メダル

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その後も長きに渡って、最強ぶりを世界に披露していきます。そして吉田沙保里を語る上ではずせないのが得意技でもある高速タックルです。ノーモーションかつ高速のタックルは世界の実力者たちでも止められず、2001年から続く連勝記録を伸ばしていきます。

2005年から2007年の世界選手権も制し、万全の状態で北京五輪を迎えると思われました。しかし2008年1月の女子ワールドカップ団体戦で破れ連勝記録がストップし国際大会初黒星を喫します。それでも、しっかりと立て直した2008年8月の北京五輪では終始圧倒して、2大会連続の金メダルを獲得しました。

3つ目の金メダル獲得を宣言し、再始動すると、必殺技のタックルを封じようとライバルたちも研究に研究をし尽くします。挙句の果ては攻めにこないという作戦を取る相手も多くなりましたが、常にライバルたちの上をいきました。まさに次元の違う戦いぶりで、2009年から2011年の世界選手権も制覇と無敵ぶりを続け、自身3度目のオリンピックイヤーを迎えます。するとまたしてもオリンピック直前の女子ワールドカップ団体戦で敗北を喫します。

個人戦での連勝は継続した状態でしたが、一抹の不安をもってロンドンオリンピックへ臨みました。務めると金メダルを取れないというジンクスがあった開会式旗手を自ら買って出て本戦に挑むと、国民の心配は杞憂に終わりました。吉田は、全4試合で対戦相手に1ポイントも与えないという完璧な戦いぶりで、3大会連続の金メダルを獲得し、自らの実力でジンクスを打ち破りました。

世界大会16連覇を達成し霊長類最強女子とも呼ばれる

吉田沙保里の強さは鳴りを潜めることがありません。2012年9月、世界選手権を制しついに10連覇を達成し、オリンピックとあわせて世界大会13大会連続優勝を実現します。かつて世界選手権9連覇+3大会連続のオリンピック金メダルを達成したアレクサンドル・カレリン(ロシア)の記録を更新したのです。カレリンが「霊長類最強の男」という異名で知られていたこともあって吉田は、霊長類最強女子と呼ばれるようになりました。

前人未到の大記録はギネス世界記録として認定され、さらには日本政府もこの功績を称え、国民栄誉賞が贈られました。こうした栄光にも手綱を緩めることなく、2013年から2015年も世界選手権で勝利し、ついには世界大会16連覇を達成します。しかし、2015年の同大会ではわずか1ポイント差での逆転勝利と圧倒という勝利ではなくなっていました。

リオ五輪で銀メダルとなり、15年守り続けた世界女王の座から陥落

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2015年12月、実に13度目の全日本選手権優勝を飾り、リオデジャネイロオリンピック代表に選出されます。伊調馨とともに世界初となるオリンピック4連覇を目指すことになりました。さらに前回の旗手に続き、日本選手団の主将という大役にも抜擢されます。主将も金メダルや活躍できないという逆ジンクスがありましたが、前回大会で見事ジンクスに打ち勝った女王に託す形となりました。

日本女子選手団は、初日に登坂絵莉、伊調馨、土性沙羅の3人すべてが決勝戦を逆転で勝利し金メダルと好発進します。そして、それに続けとばかりに自身もロンドン大会同様、相手に1ポイントも与えることなく順調に決勝へ進出します。この時点では、一足先に前人未到のオリンピック4連覇を達成した伊調に続いてくれるものと全国民が思っていました。第1ピリオドを1-0と僅差でリードしたまま、第2ピリオドへ向かいます。

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しかし、相手に4ポイントを奪われ逆転を許します。前日の金メダリスト3人に続き、再逆転を期待されましたが、そのまま試合終了のホイッスルが鳴り響きます。この瞬間、世界大会連覇記録ならびに個人戦での連勝もストップしました。女王でさえ主将のジンクスを破れず、霊長類最強といわれたカレリン同様、オリンピック4連覇目前で力尽きました。

試合終了後は涙にくれましたが、2020年東京五輪出場を目標に現役を続行します。レスリング日本女子代表コーチという肩書きも背負い、次の世代の育成を支援する傍ら、自身も再び頂点を目指しています。

VictorySportsNews編集部

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