山田哲人について

名前山田哲人(ヤマダテツト)
生年月日1992年7月16日
日本
出身兵庫県
プロフィール幼少期から何をやらせてもスポーツ万能で、小学2年からはその才能を野球一本に絞ります。運動神経の塊は、野球でも天才的な才能を発揮し続け、高校時代は履正社を甲子園に導きました。

甲子園夏初勝利も実現し、スカウトの注目の的となると、2010年ドラフト1位でヤクルトに入団。4年目の2014年に一気に頭角を現すと、2015年には史上最年少で打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーを達成し、チームのリーグ優勝に貢献。2016年も、史上初の2年連続トリプルスリーと日本を代表する打者に成長。WBC日本代表。

通算成績は539試合、2,028打数632安打、109本塁打、318打点、88盗塁、打率.312(2016年まで)。最多安打1回、本塁打王1回、最高出塁率1回、盗塁王2回、MVP1回。履正社高校卒、右投右打、180cm、76kg

幼少期からあらゆるスポーツ万能で、履正社時代も巧打者として活躍

山田哲人は、兵庫県に生まれると、スポーツマンだった父の影響で様々なスポーツにトライします。小学校入学前には空手を習うとわずか3ヶ月で大会出場してベスト8、小学校1年生からサッカーを始めると市の大会で得点王など、抜群の運動神経を発揮しました。いよいよ小学2年から野球を始めリトルリーグに所属すると、打ってはヒットを量産、守っては俊足外野手としてファインプレーを連発していました。

中学に入ると身長もグングン伸びて内野手に転向します。バランス感覚にも優れており、プロ入団会見で見せた逆立ち歩きは当時からお手の物でした。しかし、この頃は、ホームランバッターというよりはアベレージヒッターとして有名でした。履正社高等学校に進学すると、ここでも野球センスは秀でており、1年夏からベンチ入りし2年夏にはレギュラーを獲得します。それでも激戦区大阪のレベルは高く、3番打者として打率.348と貢献しましたが、ベスト4止まりでした。

しかし山田に大きな転機が訪れます。2年秋に、OBのT-岡田(オリックス)が履正社を訪れて一緒に練習する時間を経験しました。プロとしてまだまだ実績を残せていない段階でしたが、そのスイング、打球の違いに愕然とします。するとそれまでの野球に対する取り組みが一変し、自身も初めて強くプロという目標を口にするようになりました。

母校の夏甲子園初勝利に大きく貢献し、ドラフト目玉に成長

一皮向けた山田哲人が3年生となると、野球の実力もさらに身につけます。そのスイングスピードは高校生離れしており、先輩T-岡田すら凌ぐ154km/hという数字をたたき出していました。パワーも身につけ、本塁打も量産するようになると、春季大会では4割を超える打率に鉄壁の守備で大阪大会優勝に近畿大会準優勝を成し遂げました。聖地をかけた夏予選も、打率.414、13打点とチームをリードし、チームとして13年ぶりの甲子園行きの切符を手にしました。

自身初の甲子園でも、臆することなく大暴れして、自らの名前を全国に売り込みます。初戦の天理戦では、50m5秒9の俊足を披露して、ホームスチールを成功させました。続く聖光学院戦でチームは惜敗するも、レフトスタンドへホームランを叩き込みます。わずか2試合でしたが、遊撃手での守備含めてアピールには十分でした。9月の練習試合ではサイクルヒットも記録し、メジャースカウトすらうならし、母校の先輩になぞらえてT-山田とも呼ばれていました。

外れ外れ1位指名だったが、2014年に一気に大ブレイク

高校通算31本塁打に抜群のスイングスピード、さらには俊足で守備も高レベルという打者には、数球団が注目していました。しかしこの2010年ドラフト話題の中心は斎藤佑樹、大石達也をはじめとする即戦力大学投手がメインでした。実際、大石には6球団、斎藤には4球団と1位指名が競合します。そんな中、外れ外れ1位でオリックスとヤクルトから指名され、ヤクルトが交渉権を獲得しました。

プロの門を叩いた一年目は、体作りのため一軍出場なしに終わります。しかし非凡な才能に目を付けた当時の小川淳司監督は、クライマックスシリーズでいきなりスタメン抜擢という驚きの作戦を見せました。翌年からは一軍出場を増やし、3年目の2013年は守備位置を二塁手に固定され94試合の経験を積みました。

ここまで3年で4本塁打だった山田哲人でしたが、2014年一気にブレイクして強打者の仲間入りを果たします。当時の杉村二軍打撃コーチと出会い、試合前の11種類のティーバッティングを欠かさないようになりました。するとチームの1番打者に定着して安打、本塁打を量産していきます。最終的に右打者のシーズン最多安打記録となる193安打で最多安打のタイトルを獲得しました。さらに打率.329(3位)、29本塁打(3位)、89打点(4位)と3冠王すら狙える打者に成長しました。

史上最年少でトリプルスリーを達成しセ・リーグ優勝に貢献

©Getty Images

2015年序盤こそ苦しんだものの、5月以降は高いレベルで好調を維持します。7月からは3番に定着して3ヶ月連続の月間MVPを獲得しました。前年の盗塁数も倍増させ、打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーを史上最年少23歳で達成します(史上9人目)。同年のセ・リーグは稀に見る大混戦となりましたが、2番川端慎吾、3番山田哲人、4番畠山和洋の超強力クリーンナップでチームは14年ぶりのリーグ優勝を実現しました。唯一の全試合フルイニング出場で、史上初の本塁打王と盗塁王のダブル受賞ばかりか、シーズンMVPにも輝きました。

ソフトバンクとの日本シリーズでは、第3戦で圧巻の3打席連続本塁打で勝利に貢献します。結果的に1勝4敗と初の日本一の実現は出来ませんでしたが、一人気を吐き日本シリーズ敢闘賞を受賞しました。

ミスタースワローズとして史上初の2年連続トリプルスリーを達成

一気に球界の大打者となった山田哲人は、ミスタースワローズの称号とも言える背番号1を譲り受けて、2016年シーズンをスタートさせます。相変わらず好調の打棒はどのチームも止められず、順調に数字を伸ばしていきます。2年連続トリプルスリーを狙える数字をキープしていましたが、マークは当然のように厳しくなり、内角狙いが外れることによって多くの死球を食らいます。出場登録を抹消せざるを得ないような怪我にもつながりましたが、終盤に復活すると再び打ちまくり、打率.304、38本塁打、102打点、30盗塁を記録しました。2年連続トリプルスリーという史上初の快挙に、連続盗塁王と前年と変わらない活躍を見せましたが、チームは5位に沈みました。

まだ若く走攻守に優れた打者にはメジャーリーグも食指を伸ばす

©Getty Images

長いプロ野球の世界で前例のない大記録を達成した山田哲人は、国際試合でも日本代表として当たり前のように選出されるようになりました。2015年のWBSCプレミア12や、2017年のWBCにも主力として参加し、持ち前の打力、走力を披露します。20代前半と年齢的にも若いこともあって、メジャーからも大注目されています。ヤクルト球団はポスティングシステムを認めており、背番号1の先輩・青木宣親が海を渡ったように、近い将来、メジャーリーグでプレーしている可能性を否定することはできません。

VictorySportsNews編集部

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