北島康介について
名前 | 北島康介 | |
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生年月日 | 1982年9月22日 | |
国 | 日本 | 出身 |
東京都荒川区 | プロフィール
小学入学前から水泳を始め、ジュニアオリンピック10歳以下の50メートル平泳ぎで優勝。97年中学3年の時、全国中学校選抜大会100メートル、200メートルで2冠を達成し10年本郷高に進学しました。同年6月日本選手権100メートル平泳ぎで自己最高をマーク。同年高校総体100メートル平泳ぎで、日本選手権2位に相当する1分3秒00をマークし、優勝しました。 12年1月ピープル優秀選手招待大会200メートルで2分9秒43の短水路日本新をマークし優勝しました。同年4月日本選手権100メートルで1分1秒41の日本新記録をマークし、初優勝を遂げました。同年シドニー五輪100メートル4位、200メートルにも出場しました。 13年には日体大へ進学し、同年日本選手権50メートル優勝を果たす。同年7月世界選手権200メートルで2分11秒21の日本新記録をマークし、男子平泳ぎでは26年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得しました。 176センチ、65キロ。東京SCに所属。 |
学生時代から開花した水泳の才能
後に水泳の金メダリストとなる北島康介が水泳を始めたのは5歳のときでした。学業と並行しつつ行っていた水泳では次第に上達していき、ジュニアオリンピック10歳以下の500m平泳ぎで北島は優勝を果たします。これがキャリアでの初タイトルとなりました。
中学2年生になった北島はコーチの平井伯昌に才能を見出されます。平井コーチのマンツーマン指導もあり、中学3年生になった97年には全国中学校選抜大会で100m、200mの部門をともに優勝して2冠を達成します。
高校進学後も北島の成長は止まらず、入学間もない98年の6月には日本選手権で100m平泳ぎに出場して自己最高記録をマークします。さらに高校総体でも100m平泳ぎで優勝。この時のタイム1分3秒00はなんと日本選手権でも2位に値するという好タイムでした。
00年の1月にはピープル優秀選手招待大会の200m平泳ぎで2分9秒43という短水路日本新をマークして優勝を果たす。北島が3年生になった4月には日本選手権100m平泳ぎで1分1秒41の日本新をマークして初優勝を飾ります。さらにこの年に行われたシドニーオリンピックでは100m平泳ぎ、200m平泳ぎに出場しました。北島は100m平泳ぎで4位に食い込み、日本新記録を果たします。
アテネオリンピックで「チョー気持ちいい!」金メダル
2001年に日本体育大学に進学した北島康介。学業と並行して水泳に精を出すのは変わらず、この年も日本選手権で男子50m、100m、200mの平泳ぎにそれぞれ出場して、すべてで優勝という離れ業を演じます。さらに世界水泳選手権競泳競技では200mの平泳ぎに出場して2分11秒21という日本新記録を叩き出して銅メダルを獲得しました。北島の銅メダルは男子平泳ぎでは26年ぶりのメダルという偉業でした。
それ以降も北島は出場する大会で優勝するのが常となる無敵ぶりで、オリンピックが近づくにつれて金メダル獲得の期待が高まりました。中でも03年は100mと200mの平泳ぎで世界新記録となるタイムを叩き出すという圧巻の成績を残します。
そして迎えたアテネオリンピック開催年の2004年、22歳の北島は、調整が順調であることを示すように様々な大会で優勝していきます。日本選手権では男子50m、100m、200mの平泳ぎのすべてで優勝を果たします。01年から4年連続で優勝するというのは北島が史上初の快挙でした。
アテネオリンピックでは金メダルの大本命として期待され大会に臨みます。北島はその期待に応えるかのように男子100m平泳ぎで1分00秒08という好タイムを残して見事に金メダルを獲得しました。北島は嬉しさのあまりインタビューで「チョー気持ちいい!」と絶叫。これは04年の流行語大賞にもなりました。
その後に行われた男子200m平泳ぎでも北島は優勝し、見事に2冠を達成しました。さらに男子400mメドレーリレーでも銅メダルを獲得します。
「何も言えねえ」北京オリンピックの金メダル
オリンピックの金メダリストとなった北島康介ですが、当時は22歳の若者でした。それだけにさらなるメダル獲得の期待をかけられるのはもちろん、選手としてのピークもこれから来ると思われていました。
アテネオリンピック翌年の05年、北島は世界水泳選手権の100m平泳ぎで銀メダル、50m平泳ぎで日本新記録のタイムを更新して銅メダルを獲得するという活躍を見せます。しかし、そのすごさを最も知らしめたのは08年に開催された北京オリンピックでした。
「金メダルを獲って、世界新を更新する」と公言して臨んだこの大会、男子100m平泳ぎに出場した北島はノルウェーの新鋭・アレクサンドル・ダーレ・オーエンらを相手にせず、人類史上初となる59秒の壁を破る58秒91という記録で金メダルを獲得。戦前の発言を見事に現実のものにしました。
レース直後のインタビューでは「何も言えねえ」とコメント。前回のアテネオリンピック時は喜びを爆発させた北島でしたが、このときは大きな責任から解放され、涙交じりにコメントしました。
この勝利にも北島の集中は切れることなく、続く男子200m平泳ぎでも2大会連続の金メダルを獲得し、男子400mメドレーリレーでも銅メダル獲得に大きく貢献しました。
オリンピックで2大会連続2種目制覇を成し遂げたのは日本人として史上初、平泳ぎで2大会連続2種目制覇を成し遂げたのは世界初の偉業でした。
「手ぶらで帰らせるわけにはいかない」思いで獲った団体メダル
オリンピックでは抜群の強さを見せる北島康介ですが、この頃から肉離れを発症するなど、肉体面で徐々に衰えが見られるようになりました。各大会で上位に食い込みましたが、タイムとしてはかつてのような爆発力がないものが増えていきました。
そんな中で12年に行われたのがロンドンオリンピックでした。北島は3大会連続の金メダルを狙って男子100m平泳ぎに出場しましたが、金メダルはおろか表彰台さえ逃す5位に甘んじました。続く男子200m平泳ぎでも4位に終わり、北島は3大会連続のメダル獲得が危ぶまれるようになります。
北島の危機を救ったのは男子400mメドレーリレーでした。このレースで北島は第2泳者として58秒64で泳ぎ、アメリカを抜いて2位から1位へと押し上げる会心の泳ぎを見せました。そして、北島の頑張りに奮起したのがメドレーメンバーたちでした。中でも後輩の松田丈志は「康介さんを手ぶらで返らせるわけにはいかない」と語りました。
ちなみにこの言葉は12年の新語・流行語大賞にノミネートされ、トップテンに選ばれました。いかに北島が後輩から慕われているかがわかります。
リオ五輪を逃し、現役引退へ
オリンピックで3大会連続となるメダルを獲得した北島康介ですが、衰えは隠せなくなっていきます。14年には日本選手権もジャパンオープンも選考基準を満たすことができず、国内の主要大会でタイトルを獲ることはできませんでした。
2016年、北島は日本選手権兼リオデジャネイロオリンピック代表選考会の男子100m平泳ぎで2位に入りましたが、この時のタイムは59秒93でした。基準タイムを惜しくも突破できずに代表入りを逃します。さらに200m決勝も5位に終わり、リオデジャネイロオリンピック出場は叶いませんでした。
大会終了後、北島は「これが最後。この興奮を2度と味わうことはない」と語り、引退を表明。15年以上にわたった競泳生活にピリオドが打たれました。