長谷部誠について

名前長谷部誠
生年月日1984年1月18日
日本
出身静岡県藤枝市
プロフィール3歳からサッカーを始め、高校時代には静岡の名門校、藤枝東高校へ進学します。02年に浦和レッズに入団すると、2年目の03年にブレイクします。04年にはクラブの2ndステージ優勝に貢献し、ベストイレブンにも選出されました。06年からは日本代表にも選出されるようになり、ボランチとしてチームに欠かせない存在になります。08年にドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルグに移籍を果たします。09年にはブンデスリーガ優勝を経験します。13年にFCニュルンベルク、14年にアイントラハト・フランクフルトへそれぞれ移籍し、活躍を収めます。16年9月1日のUAE戦で日本代表通算100試合出場を果たしました。180センチ、73キロ。

エリートコースを歩むも、浦和レッズ入団まで日の目を見ず

現在の日本代表の精神的支柱とも言える中心選手の長谷部誠ですが、意外にもアマチュア時代は名の知れた選手はありませんでした。サッカーどころとして知られる静岡県出身の長谷部は3歳でサッカーを始め、高校時代には静岡サッカー界の名門校、藤枝東高校に進学します。長谷部自身も2年でレギュラーになりますが、肝心のチームが低迷してしまい、高校サッカー選手権大会等のビッグタイトルに無縁でした。

長谷部自身も名門校でレギュラーを獲得する実力こそありましたが、フィジカル面でもろさがあり、評価が上がらない理由になっていました。このため、長谷部は自身が目指していた静岡県内のプロクラブへの入団は叶いませんでした。

しかし、そんな長谷部に注目していたのが浦和レッズでした。県選抜などでの長谷部のプレーを高く評価していたこともあり、02年に長谷部は浦和レッズへ入団します。

代表を経験して成長。ヴォルフスブルクへ移籍も

浦和レッズに入団した長谷部誠ですが、1年目はほとんど出場機会が与えられませんでした。しかし、2年目のシーズンとなった03年にトップ下のレギュラーを掴むと、シーズン中盤以降は鈴木啓太とダブルボランチを組むようになります。そして長谷部の台頭で浦和の守備力が増し、クラブの2ndリーグ優勝につながります。長谷部はこの年のオフにナビスコカップ・ニューヒーロー賞とJリーグベストイレブンに選出され、一躍注目の選手となります。

この年を皮切りに、長谷部は浦和レッズに欠かせない選手に成長していきます。繊細なボールタッチを持ち味とした司令塔として台頭し、ダブルボランチを組んだ鈴木啓太とのコンビは浦和の名物となりました。クラブのJ1優勝やAFCチャンピオンズリーグ優勝をはじめとした浦和レッズの黄金期の中心メンバーとして君臨し続けました。

浦和で中心選手となった長谷部は、日本代表にも招集されるようになります。06年1月に初めて日本代表に招集されると、翌2月のアメリカ代表との親善試合で代表デビューを果たします。後半途中から出場機会を与えられた長谷部は、持ち味であるドリブル突破やスルーパスを放ち、随所に質の高いプレーを見せました。

2月22日に行われたアジアカップ予選のインド戦では先発出場を果たし、後半13分に巻誠一郎の得点に絡む活躍を見せます。ドイツワールドカップへのサプライズ招集も期待されましたが、残念ながら落選となりました。その後、長谷部はJリーグでのプレーに専念していましたが、07年には故障したこともあり、代表からは遠ざかってしまいます。

ドイツでクラブを渡り歩いて、自分のプレーをこなす

故障から復帰した08年、長谷部誠はドイツ・ブンデスリーガのVfLヴォルフスブルクへ移籍、新たなステージへと活路を見出しました。2月のビーレフェルト戦で初出場を果たすと、4月27日のレバークーゼン戦でブンデスリーガ初得点を記録します。この長谷部の活躍がもとでドイツのサッカーリーグが日本でも注目されるようになります。

2008-09シーズンは今までのボランチに加え、右サイドハーフ、右サイドバックなど様々なポジションでプレーをしました。高いゲームメイク能力を持つ長谷部ならではの起用法をされます。これで選手としての幅が広がった長谷部はさらにチームに貢献するようになり、クラブのドイツ国内主要大会初優勝の原動力となります。

ちなみに長谷部のブンデスリーガ優勝はこのシーズン途中に移籍してきた大久保嘉人とも分かち合い、さらに日本人としては31年ぶりの快挙となりました。またこの年の9月にはUEFAチャンピオンズリーグに出場し、日本人としては史上5人目のチャンピオンズリーグ出場選手になりました。

そして10年、長谷部は南アフリカワールドカップの日本代表に選出されました。この大会を前に、長谷部は岡田武史監督から長らくキャプテンを務めていた中澤佑二に代わるキャプテンに指名されます。

責任が増した中で迎えたワールドカップ本戦、長谷部はグループリーグ3試合と決勝トーナメント1回戦に先発出場し、日本代表のベスト16入りに貢献しました。その献身的なプレースタイル、存在感やリーダーシップでファンからは支持されました。南アフリカW杯後に日本代表の監督に就任したアルベルト・ザッケローニ監督も、引き続き長谷部にキャプテンを任せました。

ドイツでもヴォルフスブルクの中心選手として活躍を続けており、クラブでも、代表でも重要な存在になっていきます。11年1月にカタールで開催されたアジアカップには全6試合にフル出場し、日本代表の2大会ぶりの優勝に貢献。グループリーグのシリア戦では先制点を挙げるなど、攻撃的な能力を示します。一方、ドイツ国内リーグでは本職とは違うサイドバックで起用されたことが影響したか、あまり良い成績は残せませんでした。

2012-13シーズン、長谷部は開幕から8試合連続でベンチ入りを逃すという苦難を受け、翌シーズンに出場機会を求めてFCニュルンベルクへの移籍を決断します。この年に行われたブラジルワールドカップにも出場しますが、2月に手術した右ひざの炎症の影響からかフル出場したものの本来の動きとは程遠く、チームはグループリーグ予選敗退の憂き目にあいました。

代表通算100試合出場達成。後進育成の道も

ブラジルワールドカップと時を同じくして、長谷部誠はアイントラハト・フランクフルトへ移籍しました。ここで再びボランチとして起用されると、本来の活躍を見せ、2014-15シーズンはブンデスリーガ移籍後では最多となるリーグ戦33試合に出場し、チームを支えました。

2015-16シーズン、長谷部は右サイドでプレーすることになりますが、監督が変わった影響からかチームは低迷してしまいます。長谷部自身はレギュラーとして起用され続け、16年の1月にはブンデスリーガ通算200試合出場を達成しました。日本人では奥寺康彦に続く快挙です。また、2016年9月1日に行われた2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のUAE戦では、日本代表史上6人目となる通算100試合出場を達成しました。

現在も日本代表、フランクフルトで活躍をする長谷部ですが、2017年には地元の静岡にサッカースクールを開校し、後進の育成にも着手し始めました。

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