伊調馨について

名前伊調馨(いちょうかおり)
生年月日1984年6月13日
日本
出身青森県八戸市
プロフィール兄と姉の影響で地元、八戸クラブでレスリングを始める。レスリングの名門、愛知県の中京女子大学附属高校、大学は附属の中京女子大学へと進学した。2004年のアテネオリンピックから16年リオデジャネイロオリンピックまでの4大会で金メダルを獲得し、オリンピック4連覇を果たしている。

世界選手権優勝10回、全日本選手権優勝11回、アジア選手権優勝3回など、数々のメダルを獲得。最多連勝数は189連勝である。

生まれ育った青森から愛知の強豪校へ進学

青森県八戸市出身で、3歳の時、兄と姉の影響がきっかけでレスリングを始めました。姉はアテネオリンピックと北京オリンピックで銀メダルを獲得した伊調千春です。

高校まで地元の八戸クラブでレスリングをしていた伊調馨は、中学卒業後の1999年にレスリングの名門、中京女子大学附属高校へ進学。大学は附属の中京女子大学へ進みました。

高校時代から56キロ級だった伊調でしたが、同じ階級の吉田沙保里に勝てず、苦慮していました。そんな時、当時大学の監督だった栄和仁に勧められ、02年に63キロ級へ主戦場を移すことにしました。

階級を変えたその年、ジャパンクイーンズカップ63キロ級で優勝し、日本代表に選出されます。その年はアジア大会で2位、全日本選手権、世界選手権、ワールドカップで優勝と輝かしい成績を残しました。

姉妹そろってメダル獲得。そして姉妹で引退表明

2003年にもワールドカップなど4大会で優勝した伊調馨は、翌年のアテネオリンピックのレスリング63キロ級の日本代表選手に選ばれます。姉の伊調千春も48キロ級で選出され、姉妹で五輪に出場することになりました。しかし、千春は決勝で敗れて銀メダルに。姉の悔しさを晴らすために臨んだ決勝で、馨は見事に初のオリンピック金メダルを獲得します。インタビューで「千春と一緒に取った金メダルです」と答え、姉妹愛の強さが話題になりました。

アテネオリンピック後もその勢いは止まりません。02年から06年まで5回連続のワールドカップ(63キロ級)で優勝します。02年から07年までの世界選手権(63キロ級)でも6回連続優勝という驚きの成績を残しました。

08年の北京オリンピックでも姉とともに日本代表に選出され、63キロ級で出場しました。北京でも千春は銀メダル、馨は金メダルを獲得しました。姉妹で2大会連続のメダリストになったのです。その後の記者会見で「千春が辞めて、目標がないのでこの大会が最後になる」と姉妹そろっての現役引退を表明しました。しかし日本へ帰国後、母親の「戦う姿が見られなくなるのは寂しい」という思いもあり、引退を撤回しました。引退撤回後は半年ほど、カナダで留学という形で休養をとりました。

カナダから帰国した伊調は09年に復帰し、10年に3大会ぶりに出場した世界選手権63キロ級で優勝を果たします。11年の世界選手権でも優勝し、翌年のロンドンオリンピック63キロ級に臨みました。

靱帯の損傷、母の急逝がありながらも勝ち続けた

2012年8月、ロンドンでの練習中に左足首の靱帯を損傷してしまいました。それでも治療を施し、痛み止めとテーピングで試合に臨み、圧倒的な強さでオリンピック3大会連続の金メダルを獲得します。オリンピック後の会見で靱帯が切れてしまっていたことを明かし、改めて世間を驚かせました。また、同一競技での3連覇は柔道の野村忠宏に次いで二人目、女性としては初の快挙でした。

翌年の世界選手権63キロ級では15ポイント差がついた時点で試合終了となるテクニカルフォールで全試合勝利し、国際大会12度目の優勝を達成しました。

国際オリンピック委員会は14年、男女平等を目指すため、階級を4から6階級に増やしました。それを受けて伊調馨は今までの63キロ級から58キロ級へと階級を変更することになりました。

階級を変え、新たな気持ちで臨もうとした矢先のことでした。11月28日、母・トシさんが玄関先で倒れ、そのまま急逝してしまったのです。大会まで1カ月という中で訪れた突然の不幸により、伊調は失意のどん底にいました。大会に向けて満足な準備もできていない状態でしたが、「死んでも勝て」という生前の母の言葉に奮い立ち、11回目の優勝を決めてみせました。

階級を変えて初めて臨んだ58キロ級の世界選手権でも、全試合無失点のテクニカルフォールで圧勝し、9回目の世界選手権制覇を成し遂げました。

亡き母のためにも、五輪4連覇を果たす

2015年6月、レスリングの世界選手権代表選考会を兼ねた全日本選手権が開催されました。そこで女子58キロ級は伊調馨のほかに、大学生2人と計3人しか出場しないという珍事件が発生しました。その理由は当然、オリンピック3連覇中の伊調との対戦を避けるためです。

3人しかいないため、決勝戦から臨んだ大会は、56秒で10点差をつけ、伊調の圧勝。全日本選手権3連覇を達成し、世界選手権の出場を決めました。

約3カ月後に開催された世界選手権でも5試合すべてテクニカルフォールを決め、優勝しました。

16年1月に開かれたヤリギン国際大会決勝でモンゴル代表オーコン・プレブドルジと対戦し、0-10の大差でテクニカルフォール負けをしてしまいます。13年ぶりの敗戦と同時に、ケガによる不戦敗を除き、連勝記録が189でストップしました。

その年の夏、58キロ級で出場したリオデジャネイロオリンピックでも、当然のように決勝戦へコマを進めました。決勝戦ではロシア代表ワレリア・コブロワゾロボワと対戦します。今まで余裕で勝利を収めることが多かった伊調ですが、この試合は最後まで苦しい戦いとなりました。試合終了直前まで1点のリードを許しており、史上初の4連覇が危うい状況でした。しかし、残り数秒で2点を奪って逆転優勝し、見事オリンピック4連覇を成し遂げたのでした。このオリンピックでの4連覇は女子個人種目では史上初の快挙でした。試合後、スタンドで応援していた家族のもとへ駆け寄り、母親の遺影を受け取ると抱きしめ、号泣しました。

国民栄誉賞授与、そして東京五輪への想いとは

オリンピック終了後、日本政府では伊調馨に国民栄誉賞を授与する方向で検討しているとの報道がありました。そして、2016年10月、レスリングが正式種目となった04年アテネオリンピックからの4連覇の功績が讃えられ、日本政府から国民栄誉賞が授与されました。スポーツ選手として24例目であり、レスリング選手としては吉田沙保里に次いで2人目です。授与式では、記念品に鳳凰柄を刺しゅうした西陣織の金色の帯が贈られました。

5連覇が懸かった次のオリンピックは東京での開催になります。しかし、それまで現役を続行しているかは未定で、コーチとしてレスリングに関わることも考えていると伝えられています。2020年は選手としてではなく、別の形でオリンピックの舞台に臨んでいるかもしれません。

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