安藤美姫について

名前安藤美姫(アンドウミキ)
生年月日1987年12月18日
日本
出身愛知県名古屋市
プロフィール8歳で友人の誘いがきっかけでスケートを始め、1998年に行われた全日本ノービス選手権Bクラスで3位、1999年と2000年の全日本ノービス選手権Aクラスを連覇するなどの成績を残します。

ジュニア進出後も2001〜2002年シーズンの全日本ジュニア選手権優勝、ISUジュニアグランプリ、JGPファイナルを含む3戦すべてで優勝、シニアクラスの全日本選手権でも3位に入るなどの成績を残しました。そして翌2002〜2003年シーズンのJGPファイナルでは、フリースケーティングで女子シングル史上初の4回転サルコウを成功させ、3連覇を達成しました。以降、安藤美姫は「4回転ジャンプ」が跳べる選手として広く一般にも知られるようになりました。

2003〜2004シーズンには世界選手権でも4位、2004〜2005年シーズンには全日本選手権連覇を達成しましたが、以後ジャンプの回転不足や転倒が目立つようになり、2006年にトリノオリンピックでは15位の成績に終わります。

2007年からはモロゾフコーチに師事を受け復調。2010年のバンクーバーオリンピックにも出場しましたが5位入賞に終わりました。2010〜2011年には全日本選手権でパーソナルベストの更新や世界選手権優勝など、出場6戦で5勝と安定した強さを見せていました。しかし、長女を出産し引退を宣言した2013年は、全日本選手権に出場するも3大会連続のオリンピック出場を逃しました。引退後、はプロスケーターやタレント、振付師として活躍しています。

主な実績としては、世界選手権優勝2回(2007年、2011年)、四大陸選手権優勝(2011年)、全日本選手権優勝3回(2003年、2004年、2010年)、バンクーバーオリンピック5位入賞、トリノオリンピック15位など。パーソナルベストは2011年の四大陸選手権で記録した201.34、中京大学付属中京高等学校、中京大学体育学部、トヨタ自動車、新横浜プリンスクラブ、162 ㎝50㎏。

8歳の時にスケートを始め、才能を開花させる

安藤美姫は8歳で友人の誘いがきっかけでスケートを始め、翌年に門奈裕子氏の名東フィギュアスケートクラブに入会しました。

すぐに才能を開花させ、2回転アクセルや3回転サルコウ、3回転トゥーループを習得するなど技術を磨き、1998年に行われた全日本ノービス選手権Bクラスで3位、1999年と2000年の全日本ノービス選手権Aクラスを連覇するなどの成績を残しました。

史上初の4回転ジャンプ!「天才少女」で一躍話題になる

ジュニアに活躍の場を移した後も勢いは変わらず、2001〜2002年シーズンには全日本ジュニア選手権優勝、ISUジュニアグランプリ、JGPファイナルの3戦すべてで優勝。シニアクラスの全日本選手権でも3位に入るなどの成績を残すなどの輝かしい実績を残しました。

翌2002〜2003年シーズンに出場したJGPファイナルでは、フリースケーティングで女子シングル史上初の4回転サルコウを成功させ、荒川静香以来2人目となる3連覇を達成しました。この頃から安藤美姫は「4回転ジャンプ」が跳べる才能に満ち溢れた選手として、広く一般にも知られるようになりました。

代名詞のジャンプが不調!不本意に終わるトリノオリンピック

2003〜2004シーズンには世界ジュニア選手権で初優勝、シニア大会の世界選手権でも4位、次の2004〜2005年シーズンには全日本選手権の連覇を達成するなど好成績を残しますが、この頃から代名詞であった4回転ジャンプの回転不足や転倒が目立つようになり、徐々に演技は不安定になっていきます。

そして2006年、壮絶な代表争いを経て臨んだトリノオリンピックでは、4回転ジャンプに失敗するなど満足なパフィーマンスが発揮できず15位に終わりました。

コーチ変更で復調も、オリンピックでは5位!メダルには惜しくも届かず

2007年からはモロゾフコーチに師事を受け、2008年全日本選手権2位など復調し、2010年にはバンクーバーオリンピックに2大会連続で出場しました。

トリノオリンピック時とは対照的に安定した演技を見せたものの、回転不足の判定を取られるなど思うように得点は伸びず、5位入賞に終わりました。

師弟関係解消や子育てを乗り越えてのオリンピック出場は叶わず引退

オリンピック翌年の2010〜2011年シーズンは、出場した6戦のうち5大会で優勝。全日本選手権でのパーソナルベスト更新や、世界選手権優勝など、最も安定した強さを誇ったシーズンでした。

翌シーズンは休養に当て、復帰を目指していた2012〜2013年シーズン、モロゾフコーチとの師弟関係解消や、スポンサーだったトヨタ自動車の退職、長女出産などを経験し、競技以外のトピックが目立った年になりました。

2013年12月、翌年に迫ったソチオリンピック出場をかけ全日本選手権に出場しますが、7位に終わり引退。現在はプロスケーターやタレント、振付師として活躍しています。


VICTORYアスリート名鑑

VICTORYアスリート名鑑編集部のアカウントです。