阿部慎之助について

名前阿部慎之助(アベシンノスケ)
生年月日1979年3月20日
日本
出身千葉県浦安市
プロフィール安田学園高校では通算38本塁打をマークしプロに注目されるが、卒業後、中央大学に進学しました。1998年東都大学二部リーグ秋季リーグ戦で本塁打王と打点王の二冠を獲得しました。また大学1年時から全日本代表に選抜され、同年7月世界選手権では4番打者を務めました。11月バンコク・アジア大会では全試合に出場、準優勝に貢献に大きく貢献しました。2000年シドニー五輪は4位入賞に貢献しました。同年ドラフト会議に際し巨人を逆指名、1位で指名され、2001年巨人に入団し同年3月、23年ぶりに開幕戦で先発、新人初となる4打点を挙げる活躍をみせました。

2002年には、巨人捕手として1987年以来の規定打席に到達するなど早くも正捕手となり、2004年には月間16本塁打のタイ記録を達成するなどシーズン33本塁打と長距離打者としての素質も開花させました。2007年からは主将という役割も加わり、2007-2009、2012-2014と2度の3連覇に貢献しました。2012年には打率、打点の2冠王も獲得しました。国際経験も豊富で、第2、3回WBC日本代表、さらには北京五輪でも日本代表として出場しました。2017年からは内野手登録に変更になりました。

通算成績(2016年まで)は1,963試合、6,703打数1,917安打、373本塁打、1,136打点、13盗塁、打率.286。首位打者1回、打点王1回、最高出塁率1回、MVP1回。安田学園高校、中央大学卒、右投左打、180cm、97kg

大学時代には強打の捕手として活躍し、シドニー五輪にも出場

阿部慎之助は、父の影響で小学生時代から野球を始めます。というのも父は実業団でも野球を続けた経験者であり、習志野高校時代は4番として甲子園にも出場した経験がありました。そしてその当時3番を打っていた人物は、後に阪神タイガースの4番を務めた掛布雅之でした。こうした縁で、野球にのめりこむようになり、小学2年生の時には掛布選手同様に右打ちから左打ちに変更しました。

安田学園高校時代は38本塁打放ち、父と同じく中央大学に進学しました。すると1年生から大学全日本代表に選出されるほどの実力をつけ、2部リーグながら本塁打と打点の2冠王にも輝きました。大学屈指の打力を持つ捕手となり、2000年にはプロアマ混同で挑むことになったシドニー五輪日本代表にも選出されます。全9試合中8試合に出場しましたが、メダルを逃し4位と悔しい思いをしました。そして同年末にはドラフト1位(逆指名)で読売ジャイアンツに入団が決まり、プロの門を叩くことになりました。

巨人に入団すると、新人開幕スタメン捕手としてプロデビュー

1990年代の巨人はリーグ優勝3回に、Aクラスを逃したのは2度と好調を維持し、2000年には日本一に輝いていました。しかし正捕手・村田真一は併用が多く、一度も規定打席に到達する事はありません。すると当時の長嶋茂雄監督は、2001年シーズンの開幕スタメン捕手に、ルーキーの阿部慎之助を起用しました。山倉和博以来の23年ぶりの出来事であり、将来的な正捕手を託す意味での大胆な起用でした。

同年、阿部は127試合に出場し、大きな経験を得ます。守備、リード面では課題がまだまだありましたが、13本塁打とバットで大きく貢献しました。そして2年目には初めて規定打席に到達し、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞するまでに成長します。勝負強いバッティングは、4本のサヨナラ安打を生み、一時は3番打者としても起用されていました。

正捕手に成長すると、巨人史上最強捕手への階段を登り始める

完全に巨人の正捕手となると、2004年には打者として大きく成績を伸ばします。特に4月は神がかり的な働きで、球団記録を更新する月間16本塁打を放ちました。実に開幕33試合で20本塁打と世界記録すら更新する勢いでしたが、トータルで33本塁打に終わりました。しかし巨人捕手として30本塁打を達成したのは史上初めてであり、打率も3割と攻守でチームの要となっていました。

2007年に主将に任命されると、同年には自身初の100打点も達成します。チームは2007年からリーグ3連覇を果たしましたが、中軸には小笠原道大、李承燁、ラミレス、高橋由伸ら強打者揃いでした。しかし本来打撃力を期待されない捕手に阿部慎之助がいることは他球団にとって大いなる脅威となっていました。2010年には主に5番を務め、5月には早々と10年連続二桁本塁打を達成します。そして同年はそのペースが落ちることなく、リーグ3位の44本塁打を記録しました。捕手で40本塁打は野村克也、田淵幸一に次ぐ史上3人目であり、憧れの掛布氏が記録した349本塁打にあと100本程度にまで近づいた時期でもありました。

正捕手・4番・主将と三足のわらじを履き、リーグ3連覇に貢献

2008年からの4年間、巨人には不動の4番ラミレスが座っていました。しかし2011年限りで退団し、2012年からは阿部慎之助が4番に固定されます。グラウンド内の監督といわれる捕手、そして主将のほかに、4番打者も背負い、まさに三足のわらじを履くことになったのです。常人ならプレッシャーに押しつぶれそうになりますが攻守にチームを牽引します。

同年の成績は、打率.340、27本塁打、104打点で首位打者と打点王の2冠に輝きました。古田敦也が残した打率も上回る捕手最高打率、また100打点を超えたのも12球団でただ一人でした。本塁打数も2位と3冠王目前の素晴らしい成績でした。さらに捕手としても、チーム防御率2.16でダントツの数字を引き出します。日本シリーズをも制し、シーズン、シリーズのMVPダブル受賞とまさに自身最高のシーズンを送りました。そして、その後も同様の役割をこなすと、巨人は見事にリーグ3連覇を達成しました。

統一球影響を感じさせない独特のツイスト打法は、安打に絞ればお手の物

プロ野球では、2011年から統一球が導入され、皆一様に打撃成績を落としました。しかし阿部慎之助は好調を維持します。それにはツイスト打法と呼ばれる高等技術によるものです。スイング途中に、腰の回転を逆にさせるという技術ですが、強靭な下半身がないと簡単には実現できません。

また特に短期決戦における集中力も見逃せません。一発勝負の国際大会やプレーオフなどは、ホームランを捨ててヒット狙いに徹しました。2015年のヤクルトとのクライマックスシリーズはまさに顕著であり、全4試合でアーチはありませんでしたが、16打数11安打で打率.688と打ち出の小槌ばりの状態でした。

一塁手一本に絞り、2000本安打、400本塁打を目指して再スタート

長年巨人の正捕手を務めてきた阿部慎之助でしたが、負担が大きいポジションの為、通算15年目にもなると体はボロボロでした。2015年には一塁手へのコンバートにも挑戦しましたが、チーム事情からすぐに捕手復帰など、中途半端なシーズンとなります。

すると2017年からは、捕手登録を外れ一塁手一本で17年目のシーズンを迎えています。2016年末現在で、1,917安打、373本塁打を記録しており、ともに憧れの掛布の数字を上回っています。次に狙うは通算2,000本安打、そして400本塁打という大記録達成であり、ついにプロ野球生活も終盤に差し掛かりました。

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