鳥谷敬について

名前鳥谷敬(トリタニタカシ)
生年月日1981年6月26日
日本
出身東京都小平市
プロフィール小学2年の時、東村山ジュニアメッツで野球を始める。以来投手一筋。聖望学園高に進み、1999年春の埼玉県大会で優勝。同年夏の甲子園に出場。2000年早稲田大学に進学。2001年春の東京六大学で三冠王を獲得。大学時代は2度の首位打者を取るなど、早大史上初の4連覇に貢献。

2003年、自由獲得枠で阪神タイガースに入団。2年目から遊撃手のレギュラーを掴み、2017年現在も続けている連続試合出場をスタート。2010年には自身初、遊撃手としては史上初の100打点をクリア。2011年は初のゴールデングラブ賞を獲得。2011年から3年連続リーグ最多四球を選ぶ選球眼のよさも見せる。2014年オフ、海外FA権を行使してメジャーリーグ挑戦を表明。しかし条件面で合意に至らず、5年契約で阪神に残留。2016年、極度の打撃不振に陥り、連続フルイニング試合出場が667試合で途切れ、遊撃手レギュラーの座も奪われる。2017年から三塁手としての出場が多くなるも、連続試合出場は継続中で、単独2位に浮上。

通算成績は1,831試合、6,648打数1,872安打、133本塁打、755打点、121盗塁、打率.282(2016年まで)。最高出塁率1回、ベストナイン6回、ゴールデングラブ賞4回。聖望学園高校、早稲田大学卒、右投左打、179cm、82kg。

高校時代は母校の甲子園初出場、早大時代は史上初の4連覇に貢献

鳥谷敬は東京都に生まれ、幼い頃から野球のほか柔道もおこなっていました。小学2年から東村山メッツで本格的に野球を始め、中学時代も瑞穂シニアに所属して腕を磨きました。西東京で大活躍した後、埼玉県の聖望学園高校に進学します。同校は、以前から野球に力を入れていましたが、甲子園出場は果たせていませんでした。しかし、鳥谷は入学直後に遊撃手のレギュラーとなると、チームをリードします。投手も兼任するようになり、3年最後の夏についに埼玉県大会を制して初の甲子園出場を手にしました。憧れの聖地初戦、自身もマウンドにあがりましたが、3-5で敗れて甲子園1勝は叶いませんでした。

高校卒業後は、早稲田大学に進学します。2年生から大学リーグでもトップクラスの実力を付け、春には史上最速タイとなる3冠王を達成しました。当時から打撃力、選球眼も抜群で大学時代、2度の首位打者も獲得しました。同期の青木宣親を筆頭として、上下の年代に後にプロ入りする選手を多く備え、早稲田大学は史上初の4連覇を達成します。鳥谷は多くの試合で3番打者として出場し、通算96試合、345打数115安打、打率.333、11本塁打、71打点という成績を残しました。

阪神入団2年目から阪神主力として、フル試合出場をスタート

即戦力のゴールデンルーキーとしてプロスカウトの注目となった鳥谷敬は、自由獲得枠で阪神タイガースを選択しました。本拠地・甲子園が人工芝ではなく天然芝の球場だったことに加えて、当時の岡田彰布監督も早稲田大学出身だったことが理由です。そして、前年オフに空き番となった背番号1を譲り受けました。

さすがの大型新人もルーキーイヤーは苦労します。特に打撃でプロの壁に苦しみ、打率.251と結果を残せませんでした。しかし、2年目からは遊撃手としての安定した守備力で、レギュラーに定着します。途中から2番打者に固定されると、遊撃手としてフル出場を果たし、現在なお続いている連続試合出場をスタートさせます。同年は打率.278、9本塁打、52打点と攻守でチームに貢献しました。

その後も阪神不動の遊撃手として、試合に出場し続け、2006年、2008年はフルイニング出場も達成します。打率3割の突破こそないものの、毎年コンスタントに150安打前後を放ちました。2008年は、キャリアハイの80打点を稼ぎ、自身初のベストナインに選出されました。

安定した守備力と抜群の選球眼でリーグを代表する遊撃手に成長

その後の鳥谷敬はさらに階段を登り、リーグを代表する遊撃手へと成長します。この当時から3番を任されることも多くなり、2009年には20本塁打、そして2010年には共に初となる打率3割、100打点をクリアしました。遊撃手を務めながらも100打点をマークしたのは、プロ野球史上初でした。2011年には、自身の持つ球団記録を更新する守備率.991を記録し、初のゴールデングラブ賞を獲得します。同年中に、国内FA権、2012年には海外FAも取得した鳥谷が選ぶ次の球団は、阪神ならずとも12球団から注目されるような選手となっていました。

大学時代からその選球眼は折り紙つきでしたが、2011年からは3年連続のリーグ最多四球を記録しています。その数も、78、94、104と年々上昇させ、2013年には出塁率も4割を超えるほどになりました。また目立ちこそしませんが、走塁技術も高いことも特徴です。2013年には第3回WBCに日本代表として出場し、あと1アウトで敗戦という場面で起死回生の盗塁を成功させます。失敗すれば即ゲームセットという場面で成功させ、日本は同点に追いつき、延長戦で勝利しました。

海外FA権行使するも折り合いつかず、阪神残留を選択

2014年、通算1500本安打を達成するなど、キャリアハイの打率.313(リーグ7位)を記録し、5度目のベストナイン、3度目のゴールデングラブ賞も受賞します。同年までの3年連続でフルイニング出場と鳥谷敬はまさに絶対的な存在となっていました。そして同年オフ、去就が注目される中、海外FA権を行使してメジャーリーグ挑戦を表明します。複数球団が名乗りを上げましたが、最終的には条件面の折り合いがつかず、阪神と長期5年契約を締結して残留しました。

新たな気持ちで臨んだ2015年シーズンも、全試合フルイニング出場を達成し、当たり前のようにベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞しました。しかしシーズン中に34歳を迎えた鳥谷は、少しずつ衰えが目立つようになります。同年の打率は.281で終了し、42打点はレギュラーを獲得した2年目以降でワーストの数字でした。

フルイニング出場は途絶えるも、連続出場記録単独2位に浮上

2016年、チームの監督に金本知憲が就任し、鳥谷敬に対し再奮起の意味をこめて野手キャプテンに指名しました。当然、開幕から出場を続け、守備の負担が大きい遊撃手のみで、公式戦600試合連続フルイニング出場という前人未到の記録を達成します。しかし、自身ワーストの28打席連続無安打など、打撃不振から抜け出せません。4番、9番以外の全打順でスタメン出場しましたが、復調の兆しは見えませんでした。

そして2016年7月24日、ついに鳥谷の名前がスタメンから消えます。この瞬間、連続フルイニング出場は667試合で途切れました。さらに遊撃手として台頭してきた北條史也にポジションを奪われる日々も続きます。結局、同年は打率.236、36打点とともにレギュラー獲得後ではワーストの成績でした。

2017年、遊撃手レギュラー争いには敗れるも、三塁手として出場を続けます。4月19日に、金本を上回る1,766試合連続試合出場を記録し、衣笠祥雄に次ぐ単独2位に浮上しました。2016年末現在で、残り128本に迫っている通算2000本安打達成に向けて、出場を続けています。


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