池谷幸雄について
名前 | 池谷幸雄(イケタニユキオ) |
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生年月日 | 1970年9月26日 |
国 | 日本 |
出身 | 東京都府中市 |
プロフィール | 小学校1年のとき大阪に移り、体操スクールに通い始めた。5年生から本格的に体操を習う。のち名門・清風へ、中学・高校と合わせた6年間計画の第1期生として入学。1987年インターハイ優勝、同年11月の全日本選手権で高校生として初めて3位に入賞し、西川大輔とともに体操界の新星として注目を集める。12月には史上初の高校生選手として全日本メンバーに選抜される。
1988年ソウル五輪ではエースとして団体銅メダルに貢献、種目別ゆかでも銅メダルを獲得。1989年第25回世界選手権(シュトゥットガルト)で種目別鉄棒銅メダル、個人総合4位。1990年北京アジア大会鉄棒2位、個人総合8位。鉄棒の難技“ゲイロード”に取り組む。1992年バルセロナ五輪では団体銅メダル、種目別ゆかで銀を獲得。 同年引退してタレントに転身、1993年4月からテレビ朝日「スーパー・モーニング」に出演。以後、バラエティ番組などで活躍。2001年東京・小平市に池谷幸雄体操倶楽部をオープン。ジュニア選手育成にあたる。1995年元タレントの樹あさこと結婚するが、1998年離婚。2000年建築事務所経営者と再婚するが、2004年再び離婚。関西スポーツ賞(第31回)、体操記者会賞、関西大賞さわやか賞。日本体育大学卒。170cm、61kg。 |
4歳で体操競技を始め、西川大輔とともに清風高校に推薦入学
池谷幸雄は、父が陸上選手、母がホッケー国体選手という、スポーツ選手のDNAを引き継いで東京に生まれます。公園では木に登り、家の中では逆立ち歩きするように、とにかく活発に幼少期を過ごしました。4歳から体操教室に通い始めますが、何が向いているのかを試すように、体操以外にも水泳、ピアノ、絵画など様々な習い事を経験しました。
小学1年生から家族で大阪に移り住むと、体操とピアノに絞り最終的には体操一本に集中します。特に5年生から所属した体操クラブでは全国で活躍する選手も多く、本格的に体操に打ち込んでいきました。中学進学にあたり、池谷は名門・清風高校のスポーツ推薦枠で入学します。これは清風高校の中高6ヵ年計画第1期生であり、その4人の中には西川大輔も含まれていました。
高校2年でインターハイ優勝そして全日本選手権3位と一躍全日本入り
小学生時代からすでに実力をつけていた4人が集まると、中学1年生だけでいきなり全国中学校体操競技選手権大会団体優勝を飾ります。同個人総合では、池谷幸雄が4人中トップの4位となり、西川大輔は大きく引き離された20番台でした。しかし、西川は中2で個人総合トップに輝くと中3でも連覇を飾り、池谷は西川越えを果たすべく切磋琢磨します。こうした二人のライバル関係は、両名のレベルアップにつながりました。
そして1987年、高校2年生の池谷は全国高校総合体育大会(インターハイ)で見事に個人総合優勝を飾ります。同年11月には高校生ながら全日本選手権に出場して、個人総合3位、および種目別のゆかでは優勝をしました。こうした活躍で12月には史上初めて高校生として全日本メンバーに抜擢されました。
18歳でソウル五輪に出場し団体戦、種目別ゆかでともに銅メダル獲得
池谷幸雄は、高校3年時のインターハイでも個人総合連覇を果たし、西川大輔とともに高校生ながらソウル五輪日本代表に選出されます。日本体操界としても異例の高校生抜擢であり、他の競技含めて若い選手の選出は大きな話題となり、「清風コンビ」としてアイドル的な人気を博しました。
世界選手権を一度も経験していなかったため、シニアとしての初の世界大会が日の丸を背負って戦うオリンピックという舞台となりました。本来ならば、緊張に押しつぶされかねない五輪本番ですが、二人の18歳はともに団体戦に出場して2大会連続の銅メダル獲得に貢献します。さらに池谷は、個人総合で8位、得意のゆかで銅メダル、さらに跳馬で7位、西川はあん馬で6位と、ともに個人でも入賞して結果を残しました。メダリストとして日本に凱旋帰国すると、二人の人気はまさにうなぎ上りとなっていました。
バルセロナ五輪でもエースとして2大会連続メダル獲得に貢献
清風高校卒業後は、日本体育大学に進学して体操を続けます。1989年10月には、世界選手権において種目別鉄棒で銅メダル、個人総合でも4位と日本のエースとして結果を残します。1990年のアジア大会でも、鉄棒2位、個人総合8位と貫禄を示しました。しかし、池谷幸雄は全日本選手権では西川大輔に遅れを取り続けました。1989年こそゆかで優勝しましたが、1990年は個人総合、ゆか、あん馬で西川が優勝を飾り、翌年も個人総合連覇を達成しました。
それでも世界大会での実績もあって、1992年バルセロナ五輪には日本のエースとして選出されます。前回は、最年少で先輩についていくだけでしたが、今度は池谷、西川以外は全員初出場でメンバーを牽引する立場となりました。そうした大きなプレッシャーを背負い、2度目のオリンピックへ挑みますが、しっかり実力を発揮します。団体戦においては、日本として3大会連続、自身2大会連続となる銅メダルを獲得しました。個人総合では23位と惨敗しましたが、種目別鉄棒では前回を上回る銀メダルを手にします。日本国民の期待に見事にこたえ、前回に続いて2個のメダルをぶらさげて帰国しました。
22歳で現役引退するとタレント転身、体操教室開催など幅広い分野で活躍
バルセロナ五輪後、1992年11月に日本選手権に出場しますが、池谷幸雄は個人総合2位に終わり、22歳にして現役引退を決意します。高校生時代から日本のエースを担ってきましたが、最後まで日本選手権個人総合優勝はできませんでした。
そして池谷は、スカウトではなく自ら志願して芸能界入りします。ホリプロへ所属して、多くのバラエティ番組などで天真爛漫なキャラクターが受け入れられました。一方で、大きく停滞した体操ジュニア選手育成のため、2001年に東京小平市に池谷幸雄体操倶楽部をオープンさせました。有力な選手たちも育成され、2013年の世界選手権4位を獲得した村上茉愛も同倶楽部出身者です。現在では、池谷幸雄体操倶楽部は拡大して10校を超えています。またこの他にも幅広い活動をしており、2007年には池谷銀牙としてプロレスデビューし元体操選手の運動神経を披露しました。さらに2010年には、参議院議員選挙に出馬するなど政治活動にも着手しました。