名前福原忍(フクハラシノブ)
生年月日1976年12月28日
日本
出身広島県三次市
プロフィール広陵高を経て、東洋大学へ進学。1998年秋、同校を3季ぶりに1部昇格させた立役者。

1999年ドラフト3位で阪神に入団。同年中継ぎ、抑えで活躍し、10勝をマーク。2000年対巨人戦で初完封勝利を挙げる。セールスポイントは、140キロ台の速球で押す攻めのピッチング。2004年、初の二桁10勝をマークすると、2006年にはキャリアハイの12勝にリーグ2位の防御率でローテーションの柱となる。

2007年から怪我もあって長期スランプに陥り二軍降格も経験。しかし中継ぎへモデルチェンジを果たすと、2011年から5年連続50試合登板を達成し、2014年から2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトル獲得。阪神史上最年長39歳でのタイトルホルダーとなる。2016年、不調で二軍降格すると、一軍昇格できずそのまま現役引退。2017年からは二軍育成コーチに就任。

通算成績は595試合、83勝104敗29S、118ホールド。防御率3.49、1,338回1/3、1,081奪三振。最優秀中継ぎ投手2回。広陵高校卒、東洋大学卒、180センチ、83キロ、右投右打

小学校から広陵高校まで、同級生・二岡智宏と同じ道を歩む

福原忍は広島県に生まれ、小学生時代から野球を始めます。そのきっかけとしては同級生の二岡智宏、そして二岡の兄に影響を受けたからでした。十日市中学、そして広陵高校と二岡とともに進み、高校時代は二人が投手二枚看板として甲子園を目指します。優勝候補として県大会に挑みましたが、新井貴浩率いる広島工業高校に破れました。

卒業後は東洋大学に進学し、戦国の東都と呼ばれる厳しいリーグに挑みます。1年春からマウンドに上がり、主将の4年・清水隆行を中心に8度目の優勝を飾りました。しかしその後は1996年春、1997年春、秋と1部リーグ最下位が続き、入れ替え戦にも敗れて2部落ちまで経験します。しかし4年秋に阪神スカウト前で好投したことで自身の評価を高め、秋季リーグでは2部リーグで6連勝し、チームの1部リーグ返り咲きに大きく貢献しました。

ドラフト3位で阪神入団し、新人ながらフル回転して二桁勝利

1998年、阪神タイガースからドラフト3位指名を受けて入団します。この年、阪神は最下位に転落し、チーム再建を野村克也監督に託すことが決定していました。福原忍は、新監督にその実力を認められ、1999年の開幕巨人戦から起用されます。4番手として登板し2失点のほろ苦デビューでしたが、2日後の第3戦にもリリーフ起用されると、同年の新人で誰よりも早くプロ初勝利を手にしました。

その後も、150キロの速球を武器に、中継ぎ、抑えとフル回転し10勝7敗9セーブをマークしました。通常なら新人王選出されてもおかしくない成績でしたが、同年は上原浩治が20勝をはじめあらゆる投手タイトルを独占し、満票に近い得票で新人王を受賞しました。

ローテーション投手として確立し、2005年は自身初の優勝を経験

2年目から先発投手としても起用され始めますが、打線との兼ね合いが悪く黒星が先行するシーズンが続きます。チーム状況としても最悪で、1998年から4年連続最下位とまさに暗黒時代でした。2002年は、新監督に星野仙一が就任し、再びオールリリーフで登板しましたが、右肩を故障しオフに手術を選択します。チームは一気に上昇気流に乗って、2003年に優勝を飾りましたが、自身はわずか5試合の登板に終わりました。

2004年、3年ぶりに開幕ローテーション投手となると、4月に5勝0敗の成績で初の月間MVPに輝きます。その後は打線との巡り会わせが悪く、リーグワーストの15敗を喫しましたが自身初めての二桁10勝をマークし、防御率はリーグ7位の3.87でした。2005年も打線の援護に恵まれず、2年連続リーグワーストとなる14敗を喫し、勝ち星も8勝に留まります。それでも自身が活躍して初めてのリーグ優勝を経験します。2006年は、リーグ2位の防御率2.09という安定感抜群の投球で、12勝5敗とチームで最も多く貯金を稼ぎました。

一転して不調なシーズンが続き、4年間で8勝と大スランプに陥る

先発投手として3年連続規定投球回数もクリアした福原忍でしたが、2007年から長いスランプ期に入ります。開幕からローテーション投手として先発を重ねますが、黒星が大きく先行しました。夏場にはローテーションからはずれ、結局2勝8敗、防御率6.53と前年から大きく数字を落としました。

翌年は4月にバントを失敗して骨折で長期離脱します。2009年は開幕ローテーション投手としてスタートしましたが、3勝10敗と、3年連続で先発として結果を残せませんでした。ついに2010年は、二軍暮らしが長くなり、後半から中継ぎとして起用されましたが、プロ入り後初めてシーズン0勝とかつての輝きが失われてしまいました。

中継ぎへのモデルチェンジに成功し、2年連続ホールド王タイトル

若手も台頭し、引退説すら囁かされましたが、前年の二軍生活はスタイル変更する貴重な時間となりました。福原忍は、先発の道を捨てて、入団当初に経験したリリーフで活路を見出します。2011年、当初は敗戦処理の立場でシーズンをスタートさせます。着実に結果を重ねると、本来のセットアッパーであった久保田智之らが不調に陥り、そのポジションを奪う活躍を続けました。結局キャリアハイの55試合に登板し、2勝3敗11ホールドに防御率2.59と中継ぎとして頭角を現します。

自信を得ると2012年から圧巻の活躍を見せました。前年を上回る60試合に登板して2勝4敗1セーブ、18ホールドに防御率は1.76と完全にセットアッパーに定着します。さらに翌年も安定感をさらに増すと、途中クローザーを任される等、4勝0敗14セーブ、14ホールドと数字を残し、防御率は圧巻の1.20でした。

30代後半にしてメジャーからも注目されると、2014年には自身初タイトルを手にします。同年のクローザー呉昇桓へつなぐセットアッパーとして、60試合登板、4勝6敗38ホールドの成績で最優秀中継ぎ投手となりました。さらに翌年も5年連続50試合登板をクリアし、さらにはキャリアハイを塗り替える61試合に登板します。成績も6勝4敗1セーブ、33ホールドで、2年連続の最優秀中継ぎ投手のタイトルを球団最年長39歳で受賞しました。

40歳を目前にしたシーズン、衰えを隠せず現役引退を表明

プロ通算18年目の2016年、福原忍は投手キャプテンに任命されました。しかし勤続疲労、さらには年齢から来る衰えもあって開幕から不調が続きます。2戦連続で救援に失敗すると気分転換も兼ねて二軍での調整を言い渡されました。二軍で調整登板しましたが、数字が伴わず一軍昇格できない日々が続きます。シーズンも中盤に差し掛かり、来期40歳を迎えるベテランは力の衰えを感じ、9月引退を表明しました。阪神一筋で18年を過ごした右腕は、2017年から二軍育成コーチを務め、若トラたちの指導者として活躍しています。

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