田中雅美について
名前 | 田中雅美 |
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生年月日 | 1979年1月5日 |
国 | 日本 |
出身 | 北海道紋別郡 |
プロフィール | 小学2年から水泳を始める。中学3年の時に全国中学で4位に入賞し、94年東京・八王子高へ留学。同年日本選手権100メートル平泳ぎで1分10秒31で初優勝、日本歴代2位の好タイム。200メートルでも優勝し、世界選手権代表に。同年広島アジア大会では200メートルで銅メダル、100メートルで銀メダル。
95年日本選手権100メートルでは1分10秒00で11年ぶりに日本記録を破った。 96年日本選手権兼五輪代表選考会100メートルで優勝。アトランタ五輪では200メートル5位、100メートル13位。同年8月高校水泳選手権100メートルで自身の持つ日本記録を更新。 97年中央大学に進学。同年短水路日本選手権100メートルで1分8秒25の日本新、200メートルで優勝し2冠。同年日本選手権200メートルで優勝。同年8月パンパシフィック選手権200メートルで2位。 10年世界選手権400メートルメドレーリレーで日本初の銅メダルを獲得。同年4月日本短水路水泳選手権100メートルで1分6秒87の日本新、200メートルで2分21秒94の日本新で優勝。同年6月日本選手権200メートル3連覇、100メートルでも1分9秒18をマークし、自身の日本記録を更新。12月バンコク・アジア大会100メートル銅メダル、200メートル、400メートルメドレーリレー金メダル。 11年4月世界短水路選手権200メートルで2分20秒22の短水路世界新記録をマークした他、50メートル、100メートル、400メートルメドレーリレーで優勝。同年6月日本選手権200メートル4連覇、100メートルで1分8秒86をマークし自身の持つ日本記録を更新。同年8月パンパシフィック選手権400メートルメドレーリレーで3位。 12年4月日本選手権50メートルで31秒75、100メートルで1分7秒27、200メートルで2分24秒12の日本新をマークし優勝。同年シドニー五輪個人種目では100メートル6位、200メートル7位に終わるが、400メートルメドレーリレーは4分4秒16の日本新で女子リレー初の銅メダルを獲得。JSS東京八王子所属を経て、13年スポーツマネジメント会社のスクランブル・エンターテイメントと契約し、アディダスともアドバイザリー契約を結ぶ。164センチ、58キロ。 |
卓越した水泳センスで選手権2冠を達成
後に4大会連続で水泳日本代表に選出される田中雅美が水泳を始めたのは小学生の頃でした。姉とともに水泳を習い始めた田中はメキメキと頭角を現し、その実力は全国レベルでした。中学を卒業する頃には通っていたスクールでも田中の実力は頭一つ抜けているようになります。
競泳選手として高いレベルでの指導を受けるよう、当時のスクールは田中を強化選手に選抜しました。田中は15歳にして上京することになります。上京して早々の94年、田中は日本選手権に出場し、100m平泳ぎと200m平泳ぎを制していきなり2冠を達成しました。中でも100m平泳ぎで記録したタイム1分10秒31は日本歴代2位の好成績で、この活躍が決め手となり、世界選手権代表にも選出されました。この後行われた広島アジア大会では100m平泳ぎで銀メダル、200m平泳ぎで銅メダルを獲得します。
翌95年の日本選手権で田中は100m平泳ぎで2連覇を飾りますが、前年に記録したタイムを大幅に更新しました。この時記録した1分10秒00は長崎宏子が所持していた記録を破り、11年ぶりにレコードタイムを打ち立てました。
アトランタ五輪には岩崎恭子とともに選出
田中雅美が高校3年生になるころ、同年代のバルセロナ五輪金メダリスト、岩崎恭子との比較が始まります。ともに同年代の2名は良きライバルとして大会等でも対戦を多く積みますが、その対決の舞台がこの年はオリンピックの舞台になりました。
オリンピックの代表選考会を兼ねていたこの年の日本選手権で田中は100m平泳ぎを優勝しアトランタオリンピックの切符をつかみます。ライバルの岩崎もこの大会に選出され、18歳の高校3年生がオリンピックの舞台で戦うことになります。
初のオリンピックとなったこの大会で田中は200m平泳ぎで5位と善戦しますが、期待された100m平泳ぎでは13位に終わってしまいます。しかしこの年の8月に行われた高校水泳選手権では100m平泳ぎで自身の持つ日本記録を更新。高校3年間の有終の美を飾りました。
高校を卒業した97年、田中は中央大学へ進学しました。当時の中央大学水泳部は女子部員を取っていませんでしたが、彼女がその第1期生になりました。この頃にライバルの岩崎は病気が原因で競技の第一線を退いただけに田中は平泳ぎのエースとして注目を集めるようになります。
ライバルが不在となった田中を止める選手はいませんでした。大学1年生の頃に出場した短水路日本選手権では100m平泳ぎで1分8秒25の日本新記録を樹立して優勝、200m平泳ぎも制して2冠を達成します。
さらに日本選手権の200m平泳ぎで優勝し、8月に行われたパンパシフィック選手権200m平泳ぎでも2位に入ります。98年は世界選手権で400mメドレーリレーに出場し、日本初の銅メダルを獲得に大きく貢献します。
平泳ぎの主力選手としてシドニー五輪でメダル奪取
世界水泳でも大活躍した田中雅美ですが、選手としてピークを迎えたのがまさにこの頃でした。日本短水路水泳選手権では100m平泳ぎで1分6秒87、200m平泳ぎで2分21秒94と2つの距離で日本新を記録するという圧倒的な強さを見せて優勝します。12月のバンコク・アジア大会では100m平泳ぎで銅メダル、200m平泳ぎと400mメドレーリレーで金メダルを獲得し、向かうところ敵なしという状態でした。まさに平泳ぎ界のエースにふさわしい成績を残します。
99年には世界短水路選手権の200m平泳ぎで2分20秒22の短水路世界新記録をマークした他、50m平泳ぎ、100m平泳ぎ、400mメドレーリレーで優勝します。さらに日本選手権では200m平泳ぎを4連覇、100m平泳ぎで1分8秒86をマークし自身の持つ日本記録を更新します。
こうなるとオリンピックでのメダルが期待されるようになる田中ですが、オリンピックイヤーとなった2000年、まずは日本選手権で50m、100m、200mとそれぞれの平泳ぎで日本新をマークして優勝するという圧倒的な成績を残してシドニーオリンピックへと挑みます。
迎えたシドニーオリンピックの舞台。田中は100m平泳ぎでは6位、200m平泳ぎでは7位に終わり、メダル獲得はなりませんでした。しかし、400mメドレーリレーでは4分4秒16の日本新記録を叩き出す快走。田中の活躍もあって、日本は女子リレーでは初の銅メダルを獲得します。
現役への電撃復帰で4度目の五輪へ
オリンピックの舞台で活躍した田中雅美ですが、大学卒業とともに競泳選手としての現役生活にピリオドを打ちます。その後は北米に渡って留学し、02年にはソルトレイクシティオリンピックのリポーターを行いますが、やはりオリンピックの舞台で活躍したいという思いから、03年に現役に復帰しました。翌04年に行われるアテネオリンピックの出場を目指しました。
そのアテネオリンピックには出場が叶い、200m平泳ぎに出場しました。成績こそ4位とメダルには届きませんでしたが、これで悔いがなくなった田中は翌05年、2度目の現役引退を発表しました。