名前 | 石川雅規(イシカワマサノリ) |
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生年月日 | 1980年1月22日 |
国 | 日本 |
出身 | 秋田県秋田市 |
プロフィール | 秋田商3年の夏に甲子園に出場。青山学院大学に進み、1年春から登板。1999年春の東都大学野球で6勝を挙げMVP、最優秀投手、ベストナインの3冠を獲得。同年全日本大学野球優勝にも貢献。2000年シドニー五輪は4位。大学通算23勝。
2001年11月自由競争枠でヤクルトに入団内定。ルーキーイヤーから先発ローテーション投手に定着して12勝で新人王受賞。以後5年連続で二桁勝利(プロ野球史上3人目)。 2007年不調に陥るも、シュートを覚え復活し再び4年連続二桁勝利。2015年にはキャリアハイの13勝をマークして14年ぶりのリーグ優勝に貢献。2017年、8度目の開幕投手を務め、通算200勝に向けてまい進中。 通算成績は404試合、152勝137敗3ホールド、防御率3.76、2,436回1/3、1,358奪三振(2016年まで)。最優秀防御率1回、新人王、ゴールデングラブ賞1回。秋田商業卒、青山学院大学文学部、左投左打、167cm、60kg |
秋田商業校時代に甲子園出場し、シドニー五輪日本代表にも選出
石川雅規は、秋田県にて実に1,780グラムという未熟児として生を受けます。小学3年生から野球を始めましたが、ずっと食は細く身長もクラスで最も低い生徒でした。中学に入ると左利きをいかして投手となりましたが、監督からは高校では軟式野球部入りを薦められます。野球の名門・秋田商業へ進学すると、ストレートの球速は120キロ程度で、当時いた20人の投手中シンガリという選手でした。しかし、努力する才能を持っていた石川は、冬の間は毎日雪の中を走り強靭な足腰を作り上げます。すると抜群の制球力を手に入れ、2年秋にはエースを奪い、3年夏には見事甲子園出場を果たしました。
1回戦では、2年生和田毅投手(現ソフトバンク)率いる浜田高校と対戦し、見事完投勝利を収めます。2回戦、優勝候補の裏添商業戦では4回の打席で左手首に死球を受けたことも影響して敗戦しました。しかし、甲子園を経験したことでさらに上のレベルで野球がしたいと思い、青山学院大学へ進学します。
シンカーを覚えて2年から頭角を現すと春季リーグでMVP、最優秀投手、ベストナインを獲得して、全日本大学選手権でも優勝し、シドニー五輪日本代表にも選出されます。合宿では、後にバッテリーを組む古田敦也との出会いも果たし、本戦ではイニング数は少なかったものの無失点に抑えました。大学4年間で23勝をマークして2001年ドラフトでは注目選手の一人となっていました。
いきなり12勝で新人王に輝くと、そこから5年連続二桁勝利
当時は希望球団に入団できる自由獲得枠制度があり、石川雅規はヤクルトスワローズを選択して入団します。いきなり開幕5戦目に初先発するチャンスに恵まれると6回2/3を無失点に抑え、初勝利を手にしました。前年日本一を達成したヤクルトにおいて、先発ローテーション投手の地位を獲得し、チーム2位の12勝をマークします。全得票数の8割を抑えて見事新人王に輝きました。
その後も、ローテーションの軸となると、2004年からは2年連続で開幕投手も務め、入団以来5年連続二桁勝利というプロ野球史上3人目の快挙を達成します。しかし、その5年で3度二桁敗戦も喫したように、なかなかチームに貯金をもたらせず、防御率もルーキーイヤーの3.33から徐々に数字を悪くしていました。
新球シュートを修得すると、復活して最優秀防御率タイトル獲得
小柄ながらも何とか結果を残していた石川雅規は、プロ6年目スランプに陥ります。中継ぎや二軍に降格するなど2007年はわずか4勝に終わりました。しかし、二軍降格時にたまたま球場を訪れた安田猛(当時・編成部)に教えを請い、シュートのマスターに時間を費やします。実はシドニー五輪で古田にボールを受けてもらった際も、プロに入るならシュートを修得しなければ駄目だと助言を受けていました。
そして、投手キャプテンに就任した2008年、自身3度目の開幕投手を任されます。新球シュートも操れるようになっており、初の月間MVPを獲得するなど波に乗りました。12勝10敗と二桁敗戦を喫しましたが、防御率2.68で初の投手タイトル最優秀防御率を獲得し、ゴールデングラブ賞も手にします。完全に自信を取り戻した石川は、同年から5年連続で開幕投手を務め、4年連続二桁勝利とヤクルト投手陣の柱であり続けました。
14年目に経験した初優勝は、終盤に5戦5勝して自ら手繰り寄せる
2012年から再び不振に陥り一桁勝利が2年続くも、2014年10度目の二桁勝利を達成します。ここまでエースとして通算100勝もゆうに超えていましたが、2013年からは2年連続で最下位となるなど、石川雅規は一度も優勝の快感を味わっていませんでした。
しかし、プロ14年目の2015年、ついにそのチャンスがやってきます。同年、ヤクルトは開幕ダッシュに成功し首位に立ちました。その後5月に9連敗を喫するなど、一気に最下位に転落しましたが、同年のセ・リーグはまれに見る大混戦でした。後半戦、巨人、阪神と激しい優勝争いとなり、巨人との天王山3連戦初戦に中4日で先発します。5回まで巨人打線をノーヒットに抑えると味方も小刻みに得点し、7回2/3を2失点で先勝しました。この気迫はナインに乗り移り、見事な3連勝を飾ります。
石川は9月も絶好調で、27日の巨人戦も中4日で先発して勝利するなど、5戦5勝の活躍で月間MVPを獲得しました。エースが勝負ところで大活躍したヤクルトは、リーグを抜け出し14年ぶりの優勝を決めます。石川はキャリアハイの13勝をマークし自身初優勝に花を添えました。しかしその後行われたソフトバンクとの日本シリーズでは、2試合に先発して2敗しチームも1勝4敗と完敗してしまいました。
目標とする通算200勝に向かって一歩ずつ近づく小さな巨人
2016年、8勝と12度目の二桁勝利には届きませんでしたが、通算勝利を152勝としました。2017年も37歳にして8度目の開幕投手を任されるなど、年齢を感じさせないピッチングを披露しています。石川雅規が個人的に狙う数字は、やはり通算200勝という金字塔です。2016年末の数字で、日米通算の数字だと170勝をマークしている岩隈久志が最も近い位置にいますが、日本球界に限ると石川がトップを走っています。雪国秋田で鍛え上げられた足腰で、大きな目標に向かって今なお一歩ずつ歩んでいます。