名前石原慶幸(イシハラヨシユキ)
生年月日1979年9月7日
日本
出身岐阜県安八郡
プロフィール岐阜商時代の1996、1997年夏の甲子園に出場。東北福祉大進学後の2000年春、仙台六大学リーグでベストナインを獲得。

2001年、ドラフト4巡目指名で広島東洋カープに入団。3年目に早くも正捕手を掴み、打率.288、6本塁打と打撃でも貢献しました。その後、先輩捕手・倉義和との併用が続くも、2008年4年ぶりに開幕スタメン捕手を奪還。

2009年には、WBC日本代表に選出。2016年、チームは25年ぶりにリーグ優勝を達成。同年はともに初となるベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。

通算成績は1,450試合、4,031打数964安打、63本塁打、354打点、24盗塁、打率.239(2016年まで)。ベストナイン1回、最優秀バッテリー賞3回、ゴールデングラブ賞1回。県立岐阜商業高校卒、東北福祉大学、右投右打、177センチ、80キロ

高校通算57本塁打、大学時代は日本代表と経験を積んでプロ入り

石原慶幸は、岐阜県安八郡に生まれ、墨俣小学校時代からすでに強打の捕手を務めていました。6年生当時から、色々なスカウトからの誘いがある中リトルリーグにも進まず、東安中学、そして県立岐阜商業高校へと進学します。パンチある打撃に強肩を武器に正捕手に抜擢され、2年夏には甲子園にも出場しました。初戦に勝利しましたが、2回戦ではPL学園に4-11と大敗します。しかし、3年夏も再び聖地に帰還し自身初安打も放ちましたが、初戦で敗れます。高校通算57本塁打、強打の捕手として注目されましたが、東北福祉大学へ進学しました。

大学でも、2年時から3年連続でベストナインを獲得するなど、大きく頭角を現します。3年時には全日本大学選手権準優勝の立役者となり、シドニー五輪野球日本代表候補にも選出されました。同年代の細川亨ともに大学球界屈指の捕手となります。2001年のリーグ戦ではMVPも奪いましたが、2001年ドラフト会議では有力捕手も多く、広島東洋カープから4巡目指名を受けて入団が決まりました。

カープ史上初めて入団3年目で正捕手を確保し、打撃も好成績

正確なキャッチング、スローイング技術を持った石原慶幸は、ベテラン正捕手・西山秀二の後継者として期待されます。ルーキーイヤーのシーズン終盤に一軍初出場、初スタメンマスク、初安打を記録し順調なプロスタートを切りました。

2年目の2003年、先輩捕手・倉義和差し置いて、西山に代わって一軍でスタメンマスクを任されていきます。夏場以降は完全にレギュラーを奪い、116試合出場とチームの捕手で最多出場となりました。打率は.213と低迷しましたが、4本塁打すべてがランナーを置いた場面で打っており、満塁本塁打2本などで21打点と意外性を発揮します。同年ドラフトでは1位で捕手の白濱裕太を指名しましたが、2004年は石原が135試合出場と完全に正捕手となりました。広島カープの歴史において、3年目での正捕手は初の快挙でもあり、同年は規定打席にも到達して打率.288、6本塁打、35打点と打撃でも存在感を見せました。

倉義和、會澤翼らとしのぎを削り、WBC日本代表にも選出

石原慶幸の正捕手の座は安泰とはなりませんでした。2005年からは、倉義和との併用が続き、お互い100試合出場を達成できません。両名とも安定した打撃力を持たないため、決め手がなく3年間が経過しました。しかし競争によってレベルを上げた石原は、2008年、4年ぶりに開幕スタメン捕手の座を奪い返します。同年は勝負強い打撃を見せるようになり、時には6番打者を打ち、キャリアハイの50打点をマークしました。

2009年、シーズン前に第2回WBC日本代表に選出され、第3のバックアップ捕手としてチームを支え日本の連覇に貢献しました。同年シーズンは、打率.206と打撃不振に陥りましたが、広島捕手としては33年ぶりの二桁本塁打(10本)を記録します。2010年も、3年連続で120試合以上に出場し正捕手の座を守りました。同年は前田健太と最優秀バッテリー賞を受賞し、FA権も取得していたことからその去就が注目されます。地元球団の中日ドラゴンズが中心となって4球団が調査するも、行使せずに残留を決めました。

2012年、2度の故障によって戦線離脱している間に、中堅捕手の會澤翼が頭角を現し始めます。會澤の特徴は長打力にあり、2013年は121試合に出場しましたが、それ以外は併用での起用が続きました。

かつての正捕手・達川光男の系譜を受け継ぐような意外性を発揮

石原慶幸は、攻守において意外性と言われるプレーを見せました。それは、1980年代から90年代にわたって、広島正捕手を務めた達川光男を彷彿とさせます。ランナーとして、巨人守備陣を見事に欺いた偽装走塁をしたかと思えば、ランナーを背負った状態でボールを見失ったにも関わらず、砂を投げる牽制をして難を逃れたこともありました。

また特にサヨナラの場面で石原が打席に入ると、何かが起こります。2005年、2006年にもサヨナラ安打を放っていますが、2009年からは日本タイ記録となる6年連続サヨナラ打を記録しています。うち3本は本塁打と文句のつけようがありませんが、1本はサヨナラ押し出し死球、膝を突いてのサヨナラスクイズ、そして2014年のサヨナラ打は一歩間違えば併殺打という当たりがイレギュラーでヒットになりました。逆に、2006年には、自らの誕生日に、31年ぶりのサヨナラ打劇妨害というチョンボも犯しているように珍記録の宝庫です。

初のベストナイン、ゴールデングラブ賞でリーグ優勝に花を添える

石原慶幸のリードや、微動だにしないキャッチングは、広島投手陣から定評があり、それは新外国人ジョンソンも同様でした。2015年に来日し、14勝でいきなり沢村賞を獲得した左腕は、必ず石原を捕手に指名しています。初めてのバッテリー時に1安打完封という快挙を成し遂げ、以降、ジョンソンがサインに首を振ることは一度としてありません。まさに熟練のインサイドワークやリードは、球界から好評を受けています。

こうした高評価の石原は入団以来、一度も優勝経験がありませんでした。しかし2013年に久しぶりにAクラスに浮上した広島は、2016年、実に25年ぶりの優勝を飾ります。同年は106試合出場と完全正捕手とはいえませんでしたが、プロ15年目にして初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞しました。2017年も快調に首位を走っており、広島捕手史上史上初の1000本安打も間近に迫っています。


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