名前小菅麻里(コスゲマリ)
生年月日1975年10月16日
日本
出身東京都小平市
プロフィール3歳の時から体操を始め、1983年朝日生命クラブに入会。

1988年第42回全日本体操選手権で13歳1カ月の史上最年少全日本チャンピオンに輝く。1989年パンアメリカン大会で個人6位となり日本女子としては最高の成績を収めた。1990年北京アジア大会では床で銀メダルを獲得。1991年のインターハイでは14年振りに個人総合、種目別を完全制覇。同年世界選手権12位、国際ジュニア優勝。

1992年バルセロナ五輪代表として個人総合17位。1993年全日本ジュニア個人総合で4連覇。1994年広島アジア大会個人総合6位、団体で銀メダル。1995年NHK杯で5度目の優勝。同年世界選手権では日本の団体10位に貢献。10月現役を引退。

1996年芸能界入りし、日本テレビ「ニュースプラス1」でスポーツキャスターを務める(1998年9月まで)。藤村女子高卒

史上最年少全日本チャンピオンも年齢制限でソウル五輪に出られず

小菅麻里は、1975年東京都小平市で生まれます。3歳のときに地元小平の体操教室で体操を始めました。1983年、7歳で元五輪選手・塚原千恵子が運営する「朝日生命体操クラブ」に入会します。天性の才能に効果的な指導が加えられると、幼くしてどんどん実力を付けていきました。小学6年生で、国際ジュニア選手権大会個人総合8位を収め、多くの注目を集めます。

藤村女子中学校に進学すると、全国中学校大会個人の部で総合優勝し、圧巻は1988年の全日本選手権でした。13歳1ヶ月で出場した小菅は、史上最年少で優勝を飾り誰もがソウル五輪出場に期待を抱きます。同年7月の全日本のジュニア選手権・個人総合では、真田マキ子に次ぐ2位を確保しましたが、全日本チャンピオンに壁となってふさがったのは、年齢制限でした。ソウル五輪には、同クラブの先輩真田や、信田美帆(ともに当時高校1年生)らが日本代表として出場しました。

和製コマネチと称され、国内外の大会でエースとしての力を見せる

まさかの年齢制限で五輪出場を逃しましたが、小菅麻里はその後も日本のエースとして活躍を続けました。全日本選手権は、2017年現在でも最長タイとなる5連覇を達成します(1988-1992年)。NHK杯でも1990年から4連覇と、国内主要大会で強さを見せ付けました。同年に北京で行われたアジア大会では、日本勢唯一のメダルをゆかで獲得します(銀メダル)。当然世代別大会でも力を発揮して、1990年の全日本ジュニア選手権では、ライバルの高校3年生3人(瀬尾京子、信田美帆、真田マキ子)らを抑えて、個人総合初優勝を飾りました。

1991年、藤村女子高に進学してからも、高校1年生にして団体戦、個人総合、そして種目別(跳馬、段違い平行棒、平均台、ゆか)すべてを制覇するインターハイ完全優勝を成し遂げます。同年の世界選手権個人総合12位、国際ジュニア選手権も優勝とまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。種目別どれをとっても、穴がないオールラウンダーだった小菅は、当時流行りのムーンサルトも得意とし、様々な種目に取り入れます。端正なルックスも手伝い、「体操界のゴクミちゃん」また完璧な体操演技から「和製コマネチ」などと呼ばれ、1992年のバルセロナ五輪には当然のように日本代表に選出されました。

バルセロナ五輪では、個人総合17位と本来の実力を発揮できず

17歳で初めての五輪出場を果たした小菅麻里でしたが、日本は団体戦の出場枠12ヶ国に入ることができなかったため個人総合だけでの出場となります。メンバーも瀬尾京子、三浦華子含めた3名と少なく、当時、池谷幸雄、西川大輔でフィーバーとなっていた男子と比べると寂しい布陣でした。それでも実力的には日本女子のエースとして、初の五輪舞台に挑みます。しかし初の大舞台での緊張もあって、本来の力を発揮できず個人総合では17位に終わりました。

1995年、NHK杯を制すもアトランタ五輪を前にして現役引退

初の五輪は残念な結果に終わりましたが、日本での活躍は続きます。1993年、朝日生命体操クラブから所属先をチャコットに変えて臨むと、全日本ジュニア選手権の連覇を4年に延ばし、高校3年のインターハイでも、団体優勝、個人総合優勝、種目別でも段違い平行棒とゆかで2冠を獲得しました。1994年には、広島アジア大会で団体戦銀メダル、個人総合6位と貢献します。しかし同年の世界選手権では個人総合26位と世界とのレベル差はかなり開いていました。

1995年、NHK杯で5度目の優勝を飾りましたが、同年の世界選手権では個人総合に出られず、団体でも怪我のため2種目出場の10位に終わります。そしてアトランタ五輪を翌年に控えていましたが、同年20歳にして選手生活を引退しました。アトランタには、小菅に代わって菅原リサがエースとして挑みましたが、団体は最下位の12位、個人総合は菅原の29位が最高位でした。

一時スポーツキャスターに転身するも、現在は主婦業に専念

現役生活を退くと、セントフォースに所属して、スポーツキャスターへの転身を図ります。およそ2年間、NNNニュースプラス1のスポーツコーナーを担当しました。1998年9月にキャスターを辞めると、その後はアメリカに渡りロサンゼルスの体操クラブで体操コーチも務めました。現在は、主婦業に専念しています。

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