名前福嶋晃子(フクシマアキコ)
生年月日1973年6月29日
日本
出身神奈川県横浜市
プロフィール10歳の時、元プロ野球大洋捕手の父の勧めでクラブを握り、小学時代から青木功の師匠・林由郎プロにコーチを受け続ける。スポーツ万能で丸山中時代はソフトボール部に所属し、バスケットボール、テニスにも熱中。

1989年、1990年の関東女子アマゴルフ連覇、1989年日本ジュニア優勝(以来3連覇)、1990年世界ジュニア2位、12月オレンジボウル国際ジュニア選手権(フロリダ州ビルトモアゴルフクラブ)で優勝。1991年大京レディースチャレンジ(豪州ケアンズ)で5位(ベストアマ)。同年非公認ながら、ドライビングコンテストで女子プロを凌ぐ257ヤードを飛ばした。10月大京女子世界選手権(豪州ケアンズ)に唯一のアマ選手として出場。アマタイトル28個。

1992年プロテストに合格。1993年9月広済堂アサヒカップで日本女子プロ史上3人目のアルバトロスを記録。1994年3月ダイキンオーキッドレディスでツアー初優勝。同年賞金ランク5位。1995年2勝し賞金ランク3位。1996年10月年間9イーグルの日本新記録を達成。同年最年少で賞金女王となる。

1997年7月全米女子オープン9位。9月日本女子プロゴルフ選手権優勝、公式戦初タイトルを獲得。同月東海レディース東海クラシックに優勝し、初の2週連続優勝。10月広済堂レディースでも優勝し、史上3人目となる3試合連続優勝を達成。同年、2年連続賞金女王となる。1998年賞金ランク5位。1999年1月ジ・イノーギュラルで米国プロゴルフツアーに初参戦し9位。2月豪州マスターズ6位。5月フィリップス招待で米国ツアー初優勝。6月全米女子オープン20位。10月AFLACチャンピオンズ優勝。2000年6月全米女子オープン9位。2001年3月ナビスコ選手権でメジャー自己新最高の2位タイ。

2005年から日本を主戦場に戻り、2006年から3年連続で2勝をマーク。2011年結婚、2013年出産を経て、2014年ツアー復帰。ツアー通算24勝(うち米国ツアー2勝)。163センチ、65キロ。一方、アクセサリー集めの趣味が嵩じて、デザイン・販売にも乗り出す。著書に「スイングの冒険」がある。白鵬女子高卒

アマチュア時代28勝の実績を積み上げて、プロテストも一発合格

福嶋晃子は、1973年、神奈川県横浜市にアスリートの血を引き継いで生を受けます。父・久晃は、PL学園時代甲子園に出場し、大昭和製紙を経て大洋ホエールズに入団したプロ野球選手でした。プロ入り後も、正捕手の座を長年守り、6年連続二桁本塁打を放つなど通算19年を過ごしました。小学4年生時、父の勧めもあってゴルフに出会い、青木功の師匠でもあった林由郎に教えを請います。中学時代は、ほかにソフトボール、バスケット、テニスなど様々なスポーツにも熱中していました。

幼少の頃から小児喘息と戦いながらも、13歳からゴルフに専念して日本ジュニアゴルフ選手権にも出場します。そして1988年、15歳で関東ジュニアゴルフ選手権を制すと、アマチュアゴルフ界で圧倒的な強さを見せていきました。1989年から日本ジュニアゴルフ選手権を3連覇すると、アマとしてプロトーナメントに出場するようになり、1991年の日本女子オープン含めて、実に11度のベストアマを獲得します。ドライビングコンテストでも、プロをしのぐ飛距離を出すなど、日本女子ゴルフ界の新生として大きく期待されました。

1992年には、アマチュアの立場で全米女子オープンに出場し、29位タイと大健闘を見せます。そして同年8月、アマタイトル28勝をひっさげてプロテストに挑むと、見事一発で合格しました。

プロ3年目から2年連続賞金女王に輝くなど、トッププロに成長

プロ転向初年度は、女子プロ史上3人目のアルバトロスを達成して話題をかっさり、2年目の1994年3月、ダイキンオーキッドでツアー初優勝を飾ります。同年、早くも賞金ランキング5位でフィニッシュすると、1995年も2勝(サタケジャパンクラシック・広島女子オープンゴルフ、ヤクルトレディースゴルフトーナメント)してランキングをさらに3位に挙げました。1996年も2勝(NEC軽井沢72ゴルフトーナメント、富士通レディース)をあげ、さらに優勝を逃した試合でも好位置をキープします。その結果、プロ転向4年目にして、史上最年少賞金王に輝きました。

一躍トッププロに躍り出た福嶋晃子は、1997年も圧巻の成績で2年連続賞金王を手にします。全米オープンで9位と大健闘を見せると、3試合連続優勝を達成するなどシーズン6勝をマークして、2位に4,000万以上の大差をつけました。

米ツアー挑戦すると、いきなり2勝をマークし存在感を見せる

1998年も2勝を挙げるも3年連続の賞金女王を逃すと、その後アメリカ女子ツアー(LPGA)の「クオリファイイング・スクール」を5位で通過します。そして1999年から主戦場をアメリカに移しました。飛距離で海外選手にひけをとらない福嶋晃子は、チャレンジ初年度に快挙を成し遂げます。日本人最速となる出場12戦目「フィリップス・インビテーショナル」にて見事に初優勝を飾りました。さらに同年10月には、「AFLAC チャンピオンズ」でも優勝を飾り、賞金ランキング15位と海外でも大きく結果を残します。目標としているメジャーでも、2000年6月の全米オープン9位、そして2001年3月にはナビスコ選手権で2位タイに食い込みメジャー自己最高位を更新しました。

腰痛に悩まされながらも、国内で安定した強さを取り戻す

アメリカに挑戦している間にも、日本国内でコンスタントに優勝を飾っていました。しかし連戦による疲れもたまり、深刻な腰痛に悩まされます。2005年からは再び日本を主戦場としましたが、同年は優勝を上げることができず、賞金ランキングもトップ10から漏れていました。

しかし、元広島カープのトレーナーの種田博人の治療を受けて症状が改善すると、2006年から再び輝きを取り戻します。同年9月におよそ2年ぶりの優勝を飾ると、10月にも樋口久子IDC大塚家具レディースを勝利し1998年以来の国内2勝を達成しました。さらに好調を持続させ、同年から3年連続でシーズン2勝を達成します。すると2008年には賞金ランキング4位まで復調させるなど健在振りをアピールしました。

高齢出産を経て、ママさんゴルファーとしてツアーに復帰

2010年、生涯の伴侶と出会い、2011年7月に結婚します。そこから試合数をセーブして家庭を優先し、高齢出産に挑戦しました。しかし、なかなか子どもを授かることができず、不妊治療を続ける毎日を過ごします。精神的な落ち込みはプレーにも影響し、2012年は賞金ランキング96位でシード権も失ってしまいました。しかし、同年12月ようやく妊娠が発覚し、2013年9月待望の第1子を授かります。

日本女子プロゴルフ協会には産休の制度がありましたが、シード選手にしか適用されませんでした。そのため試合に復帰したいといっても、簡単に出場はできません。子育てに苦労する毎日を送りながら、2014年6月、主催者推薦という形でおよそ1年半ぶりにツアーに復帰しました。ほぼ練習をしていない状況でしたが、1番ホールから283ヤードをかっ飛ばすビッグドライブを披露します。何とか予選を通過し、通算1オーバーの50位に終わりましたが、またスタートラインに立ちました。今度はママさんゴルファーとしても健在振りをアピールしています。

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