香月良太について

名前 香月良太
生年月日 1982年7月27日
日本
出身 福岡県久留米市
プロフィール 久留米市立合川小時代から合川ビクトリーで軟式野球を始め、中学3年の時にボーイズリーグ春の全国大会福岡県予選で完全試合を達成。柳川高に進学し、平成11年九州大会で4試合に先発、45奪三振をマーク。12年センバツ、夏の甲子園に出場し、共に準々決勝で智弁和歌山高に敗れベスト8。13年東芝に入社。180センチ、78キロ。右投右打

本格派投手としてチームを甲子園ベスト8に

香月良太が野球を始めたのは小学1年生のころ。地元に遭った軟式野球のチーム、合川ビクトリーに所属すると、中学生になるとボーイズリーグへと所属。この頃から投手として頭角を現していた香月はエースで4番を務め、中学3年生時にはボーイズリーグの春の全国大会、福岡県予選で完全試合を達成するほど。これだけ素質を見せた投手だけに、九州の各県の有力校たちも香月のスカウトに奔走。結果的に香月は地元である柳川高校へ進学します。

甲子園の常連校である柳川高校でも、エースとして台頭した香月。150キロ以上のストレートを武器にする本格派なピッチングで話題になり、2年生秋からエースに。香月が主戦投手に君臨し手からの柳川高校は、春にセンバツ大会、夏に甲子園大会と2度も全国大会に出場します。大会屈指の好投手として話題になった香月はプロ野球チームからもドラフト候補生として注目されるようになり、2000年の高校生としては堂々のドラフト候補となりました。

その甲子園大会。香月は柳川高校のエースとして奮闘しますが、いずれもベスト8止まり。どちらも和歌山県の智辯和歌山に敗れる結果となりました。香月の実力は高校生離れしていましたが、智辯和歌山も夏の大会で甲子園大会新記録(当時)となる打率をマークする打撃をウリにしたチーム。総力戦に敗れた形でしたが、それでも香月の評価は変わりませんでした。

香月はドラフト候補生として期待されますが、自身の希望は上位指名。高校生の候補生にありがちなパターンではありますが、香月はどの球団からも上位の指名を受けられなかったために、社会人野球の東芝に進むことになりました。

ちなみに高校卒の選手がなぜ、上位指名でないとお断りという理由は「下位指名の選手は戦力外になりやすい」というケースが多いから。素材型の投手は特にそうした傾向が強いために、香月はこの時期にプロ入りしても3~5年で首になると考え、3年後のドラフト会議に賭けました。

2年目に大ブレイク。セットアッパーとして台頭

迎えた2003年。香月良太は東芝でもエース投手として台頭した後だけに満を持してドラフトに登場します。香月を高く評価していたのは地元である福岡ダイエーホークスなど複数の球団が名乗りを上げていましたが、香月を指名したのは近鉄バファローズ。自由枠の入団だけに期待の即戦力投手でした。

しかし、香月にとって不幸だったのは近鉄バファローズの指名だったこと。というのも近鉄の経営がこの頃から悪化し、翌04年の夏には球団消滅が決定。オリックスブルーウェーブに吸収合併という事態になります。香月自身も右肩を痛めてしまい、新人王候補として名前が挙がったにもかかわらず、香月はシーズン終盤に1試合登板したのみで近鉄時代を終えてしまいます。

近鉄とオリックスの選手を新規チームの楽天ゴールデンイーグルス、オリックスバファローズとの分配ドラフトで選手を分ける際、香月はオリックスに分配されます。この時点で肩痛を患っていた香月は翌05年シーズンも開幕は二軍で迎えますが、5月にプロ入り初の一軍昇格を果たします。

すると、14日の広島カープ戦でプロ入り初勝利を飾ると、中継ぎ投手としてブレイク。最終的にシーズンで47試合に登板し、防御率は2.36をマーク。高校時代の本格的なピッチングではなく、シュートを武器にした打たせて取るピッチングへとモデルチェンジしたのが功を奏しました。

しかし、香月の活躍はこの年限りになりました。翌06年から制球が定まらなくなり、07年含めて2年間でわずか9試合の登板に終わります。戦力外にされてもおかしくない成績でしたが、08年に香月は不死鳥の様に復活。32試合に登板して4勝0敗8ホールド、防御率3.11という成績を残します。この年にオリックスは終盤追い上げて、念願とも言えるクライマックスシリーズを経験します。

復活を果たし、チームを初のCSへ!

08年に復活した香月良太。翌09年は内転筋痛と腰痛を患ったことで開幕を二軍で迎えましたが、間もなく一軍へ昇格。すると、セットアッパーとして定着してリーグ2位となる64試合に登板して3勝3敗23ホールドという成績を記録。しかし、夏場に打ち込まれたため、防御率自体は4.18とセットアップとしては今一つの成績に終わりました。

長年の制球難を克服しだしたのは翌2010年。この年の香月は登板数こそ20試合近く減らしましたが、防御率は3.02と1点も向上させ、オリックスにはなくてはならない存在になりました。翌11年はセットアップとして機能して自己最高成績となる防御率2.12を記録しました。

ところが、12年の香月は乱調。52試合に登板したものの防御率は5.17。中でも香月の難点とされたのはチームによって防御率が違うところ。日本ハム戦では防御率が1点台となるにも関わらわず、西武戦になると6点台、楽天、ロッテ戦になると防御率は9点台になるという乱調振りでした。

巨人移籍も、活躍できずに現役を去ることに

13年シーズン前、香月良太は巨人へトレードされることになります。中継ぎ投手の補強を目指していた巨人は香月を積極的に起用し、4月には早くも一軍入り。23日には移籍後初のヒーローインタビューを経験します。

しかし、打たせて取るピッチングをするには球威がなさ過ぎた香月は間もなく一軍と二軍を行き来するようになり、さほど活躍できないまま一軍定着ができませんでした。若手投手の台頭に押し出される形になった香月ですが、14年に41試合に登板。しかし、この年は主に敗戦処理の役回りばかり。そして15年には若手の台頭に押されて移籍後最少となる14試合の登板に終わり、この年で戦力外通告を受けます。

現役続行を目指してトライアウトを受けた香月ですが、残念ながら獲得するチームはなく、香月は現役を引退することになりました。

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