タチアナ・ナフカについて

名前 タチアナ・ナフカ
生年月日 1975年4月13日
ロシア
出身 ロシア・ドニエプロペトロフスク
プロフィール 1998年ロマン・コストマロフとアイスダンスのペアを組むが、翌年解散。2000年元アイスダンス選手で、コーチを務めるアレクサンドル・ズーリンと結婚し、女児を出産。その後、コストマロフの誘いにより再びペアを組み、2001-02年シーズン欧州選手権7位、世界選手権8位、ソルトレークシティ五輪10位。2002-03年シーズンはISUグランプリ(GP)シリーズ・スケートアメリカ、ロシア杯で2位となり、GPファイナルも2位。欧州選手権3位、世界選手権4位。2003-04年シーズンはGPシリーズのスケートカナダ、ロシア杯、中国杯で優勝し、GPファイナルで初優勝。欧州選手権、世界選手権でも初優勝を果たす。2004-05年シーズンはGPファイナル、欧州選手権、世界選手権でそれぞれ連覇を達成。2005-06年シーズンはGPファイナル、欧州選手権で3連覇、トリノ五輪で金メダルを獲得。シーズン終了後、引退。

モスクワ移住後に頭角を現す

タチアナ・ナフカが生まれ育ったのはドネプロペトロフスクです。現在ではウクライナの一つの都市ですが、ナフカが育ったころはソ連の一つの街でした。当時からスケートを行っていたナフカですが、より本格的に力を入れたのはナタリヤ・デュボワに出会ってからのことでした。

アイスダンス指導者として名を上げていたデュボワは一目でナフカの才能を見抜き、ドネプロペトロフスクで練習を積むよりも、より練習環境の整った大都市、モスクワでレッスンを積んだほうがいいと彼女を説得します。ナフカもデュボワの熱意のある誘いに乗って1988年にモスクワへ移住をし、そこで本格的にナフカはアイスダンスのスケートに打ち込み始めました。

折しもナフカがモスクワに渡ったころ、ソ連が崩壊します。そのためナフカはベラルーシにわたることになりますが、デュボワとの二人三脚のレッスンは継続しました。そんなナフカが表舞台に立ったのは1994-95シーズン。サムエル・ギャザリアンとペアを組んで臨んだNHK杯でした。華麗なダンスで見るものを圧倒したナフカでしたが、この大会でナフカペアは3位。しかし、このシーズンを最後にナフカはギャザリアンとのペアを解消してしまいます。ペアでの競技だけに合う、合わないはあるものですが、ペア解消の理由はギャザリアンの国籍の問題でした。選手個人の問題ではないだけになんとも複雑なコンビ解消となってしまいました。

モロゾフ、コストマノフとペアを組んで活躍

タチアナ・ナフカが続いてペアを組むことになったのはニコライ・モロゾフです。荒川静香のトリノオリンピック金メダル獲得時のコーチ、安藤美姫への指導などでも知られるフィギュアスケートの名コーチとして知られている人物です。

そのモロゾフと組んで臨んだのが長野オリンピック。同じ1975年生まれのコンビということでメダル獲得を期待されましたが、ナフカ・モロゾフのペアは残念ながら16位に完敗、これを機にモロゾフはコーチへの転身を決めて現役を引退します。またもナフカはペアを失うことになりました。

その後ナフカは、ロマン・コストマノフと新たにパートナーを組むことになります。世界ジュニア選手権優勝などの実績を誇りますが、オリンピック出場などのプロフィールを見ると、ナフカの方が上でした。それもあってか1999年に一度コンビを解消してしまい、ナフカとしては3度目のペアなし状態になります。

しかし、ナフカも競技からいったん離れる姿勢を見せたのもこの頃でした。ナフカは2000年に元アイスダンスの選手でコーチを務めていたアレクサンドル・ズーリンと結婚し、女児を出産。これで家庭に入ることが決定的になり、競技生活から身を引くことになります。

コストマノフの誘いで復活

一人の選手としてではなく、母としての道を選んだタチアナ・ナフカでした。女の子を育てる生活を送りますが、その才能はやはり貴重なものであったため、自らも引退するには惜しいという少々未練も残っていました。

そんなころにナフカの前に現れたのは元パートナーのロマン・コストマノフでした。もう一度ペアを組まないかと言う彼からの誘いに対してナフカもそれを選択します。2001-02シーズンから復活し、欧州選手権でいきなり7位に入る成績を収め、世界選手権でも8位に。この活躍を買われて2002年に行われたソルトレイクシティオリンピックのメンバーにも選出され、アイスダンスで10位に入ります。

ナフカが完全復活を遂げたのは2002-03シーズンのことでした。ISUグランプリシリーズではスケートアメリカ、ロシア杯で2位に入り、さらにグランプリファイナルでも2位。欧州選手権でも3位に食い込んだのをはじめ、世界選手権でも4位と前年よりも大幅に上げてきました。母になったことで精神的に強くなったナフカの演技はどこか力強いものがあり、見るものを圧倒するようになります。

復活を遂げたものの、キャリアを通じて優勝がなかったナフカですが、2003-04シーズンになるとついに優勝を果たします。ISUグランプリシリーズのスケートカナダ、地元で行われたロシア杯、さらに中国杯の3つを制する大活躍を見せ、グランプリファイナルでは悲願の初優勝を飾ります。さらに欧州選手権、世界選手権も制し、一気にナフカはアイスダンス界の女王に君臨します。

トリノ五輪で念願のメダル獲得

完全復活を遂げたタチアナ・ナフカでしたが、残るタイトルはオリンピックのメダルのみとなります。そのタイトルを自身を再びアイスダンスの世界に連れ戻したロマン・コストマノフとともに挑むことを決意します。

ナフカ・コストマノフのペアの前にアイスダンスの選手たちには、もう敵はいないも同然でした。翌2004-05シーズンもナフカたちはグランプリファイナル、欧州選手権、そして世界選手権の3冠を軽々と達成します。しかも全大会連覇と言う偉業を成し遂げます。当然のようにトリノオリンピックのメンバーに選出されることになりましたが、ナフカたちの目標は、オリンピックの金メダルとさらにハードルが上がりました。

迎えた2005-06シーズン。ナフカたちは手始めにグランプリファイナル、そして欧州選手権でそれぞれ3連覇を飾り、万全な調子でトリノオリンピックに出場。アイスダンスでは他の追随を許さない圧倒的な演技力、華麗な滑りが評価されてなんと優勝を果たします。ついにオリンピックの金メダルを獲得しました。

この大会後、ナフカはシーズンオフに現役引退を決意。母としての生活に戻ることとなりました。

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