名前東出輝裕(ヒガシデアキヒロ)
生年月日1980年8月21日
日本
出身福井県鯖江市
プロフィール小3から野球を始め、錆江ボーイズで全国大会ベスト4。1997年夏、甲子園に出場して全国ベスト8達成。1998年も春夏連続で甲子園に出場。

1999年ドラフト1位で広島に入団。ルーキーイヤーから二塁手として活躍すると、2000年からは遊撃手へ転向。2001年にはフル出場。2002年、怪我をきっかけに出場機会を減らすと、レギュラーを失う。

2006年、再び二塁手レギュラーとして復活。2008年には、自身初の打率3割をマークして、二塁手ベストナイン獲得。2009年もベストナイン。その後も不動のレギュラーでしたが、2013年開幕直前に左膝の前十字靭帯断裂を負い、長期離脱。

2014年、二軍試合で復活を果たすも、一軍昇格できず。同年オフに二軍野手コーチ牽引となるも、以後一軍で出場することなく2015年限りで現役引退。2016年からは一軍打撃コーチに就任。

通算成績は1,492試合、5,094打数1,366安打、12本塁打、262打点、143盗塁、打率.268。ベストナイン2回。敦賀気比高卒、170センチ、67キロ。右投左打

敦賀気比高で甲子園3度出場するなど、野球エリート街道を歩む

東出輝裕は福井県鯖江市で生まれ、幼少の頃から野球を始めます。小柄ながらも走攻守すべてが揃うという野球センスの塊で、北陸では敵なし状態が続いていました。敦賀気比高校へ進学すると、1年生から三塁手レギュラーを奪い、内野手すべてに投手も務めます。そして2年時には1番二塁手として県大会を勝ち抜き甲子園出場を決めました。開幕戦に登場すると、0-0の5回2死から四球で出塁し、二盗、三盗を決めて、次打者の内野安打で決勝点を奪います。その後も、猛打爆発で準々決勝に進出しましたが、前橋工に延長で敗れました。

3年からは、1番投手でキャプテンとまさにチームの中心となります。北陸随一のチームは、春夏も甲子園出場を決めて、3季連続出場しました。しかし2年時のベスト8の成績を超えることはできず、春は3回戦敗退、夏は1回戦敗退します。それでも甲子園通算打率.460に鉄壁の守備を誇る東出は、高校選抜日本代表にも選出されて、第3回AAAアジア選手権を戦いました。遊撃手として大会ベストナインも獲得し、中村順司監督からも、立浪和義以来の逸材という高評価を受けます。同級生の松阪大輔は、横浜高校で甲子園春夏連覇を果たしましたが、負けず劣らず野球エリート街道を歩んでいました。

高卒ルーキーながら内野手ポジションを奪い、レギュラーに定着

松阪世代と呼ばれ、多くの有能な選手たちが揃った1998年ドラフト会議を迎えます。高校通算打率.464、34本塁打という打力、さらに俊足で高い守備力かつ投手もできるという東出輝裕は、広島東洋カープから1位指名されて入団しました。

開幕一軍こそ実現できませんでしたが、5月には二塁手として先発で初出場します。長らく広島の二塁手レギュラーを務めていた正田耕三は、前年で引退していました。その空いたポジションに対して、新外国人ディアス、木村拓也、笘篠賢治らが争う中、高卒ルーキーも参戦します。後半に入ると、東出は打率.227と低い数字でしたが、2番二塁手として定着しました。2年目の2000年からは、遊撃手の野村謙二郎をコンバートさせたことで、東出が代わって遊撃手を務めます。慣れないポジションでリーグワーストの失策数を記録しましたが、2番としてチーム最多の22犠打、チーム2位の17盗塁など初めて規定打席に到達させました。

怪我や新戦力の台頭で出場機会を失い、レギュラーを剥奪される

2001年には、遊撃手で140試合フル出場して、チームトップの49犠打に26盗塁とレギュラーを磐石な物とします。しかし、2002年に右大腿二頭筋肉離れを起こして戦線離脱すると、不本意なシーズンが続きました。新外国人シーツが遊撃手のレギュラーに座り、二塁手も木村拓也やラロッカ、山崎浩司などライバルがひしめき合います。2002年こそ107試合に出場しましたが、2003年からの3年間は全て二桁試合出場に留まり、2005年にはわずか39試合に留まり、完全にレギュラー剥奪されました。

二塁手レギュラーとして復活し、梵英心と1、2番コンビを形成

広島は、2001年から山本浩二が監督2期目に入りましたが、Bクラスから抜け出すことができず、2005年に最下位に転落します。そして2006年からは、球団OBであるマーティ・ブラウンに再建が託されました。同年は、二塁手にルーキー梵英心、遊撃手は山崎浩司という二遊間でスタートさせます。しかし山崎が打撃不振に陥り、東出輝裕にチャンスが訪れました。5月からは、二塁手・東出、遊撃手・梵の1,2番コンビで固定されます。すると4年ぶりに規定打席に到達し、キャリアハイの打率.282で久しぶりにレギュラーとして過ごしました。

初の打率3割に、2年連続ベストナインなど二塁手としてさらに覚醒

2007年も、梵英心と不動の1、2番コンビで機動力を披露し、広島打線を牽引します。そして翌年からは、さらにギアを挙げてリーグを代表する内野手へと駆け上がりました。2008年、スタートダッシュには失敗しましたが、課題の打撃で進化を見せます。本塁打は3年連続で0本でしたが、自身初の3割をマークする打率.310でトップ10に入りました。守備範囲が広いためリーグ最多失策でしたが、内野手最多得票でベストナインに選出されます。球団史上最年少でFA権を獲得しましたが、行使せずにチームに残留しました。

2009年もチーム全体が打撃不振に陥る中、獅子奮迅で2年連続リーグ9位の打率をマークします。打率.294と2年連続3割は逃しましたが、リーグ最多の8本の三塁打を放ちました。同年は、松阪世代として誰よりも早く通算1000本安打も達成します。安定した守備力も加味されて、2年連続で二塁手ベストナインに選出されました。

左膝前十字靭帯断裂し手術敢行も、一軍復帰は叶わず引退

その後も、不動の二塁手として活躍していましたが、2012年はシーズン途中に骨折を負い、7年ぶりに100試合出場に届きません。するとこの間に、ルーキー菊池涼介が一気に二塁手として台頭してきました。

まだまだ老け込むわけにはいかない東出輝裕は、2013年の開幕スタメンを目指してキャンプを過ごします。しかし、開幕約1カ月前の紅白戦で、左膝の前十字靭帯断裂という選手生命に関わる大怪我を負ってしまいました。早期の復帰を願い、左前十字靱帯再建術及び左半月板切除の手術を受けて、リハビリ生活に突入します。同年のシーズンは棒に振り、2014年ようやく二軍試合に出場できるほどに回復しました。

しかし、菊池は尋常ではない守備力でレギュラーを不動のものとします。オフに、現役選手でありながら二軍野手コーチを兼任し復活を目指しましたが、その後一軍試合に出場することはできませんでした。2015年オフに現役引退を発表し、そのままコーチとして残ると、2016年には指導者の立場で、自身初のリーグ優勝を味わいました。

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