ピエトロ=ピレル・コットレルについて

名前 ピエトロ=ピレル・コットレル
生年月日 1974年12月20日
イタリア
出身 サッパーダ
プロフィール 1997年クロスカントリースキーの世界選手権4×10キロリレーで銅メダルを獲得。’98年長野五輪50キロフリーで16位。2002年ソルトレークシティ五輪4×10キロリレーで銀メダル、30キロフリーで4位、20キロパシュートで6位。2005年世界選手権15キロフリーで初優勝。2006年トリノ五輪は4×10キロリレーで金メダル、30キロパシュートで銅メダルを獲得、50キロフリーは5位。2007年世界選手権30キロパシュートで銅メダル。2007〜2008年シーズンW杯はクロスカントリーで総合2位となり、全体総合3位。2008〜2009年シーズンW杯クロスカントリー総合優勝。2010年バンクーバー五輪15キロフリーで銀メダル。2011年世界選手権4×10キロリレーで4位、30キロパシュートで13位、50キロフリーで19位。180センチ、70キロ。

クロスカントリースキーの名所で生まれ育つ

ピエトロ=ピレル・コットレルが生まれ育ったのはイタリアのサッパーダという街。人口はわずか1300人しかいない小さな街で、アルプス山中の村で夏季冬季ともに涼しいリゾート地と知られる街ですが、同時に山々に囲まれたエリアナだけにウインタースポーツと言えばもっぱらスキーのみ。それも整備されたスキー場ではなく、荒れたオフロードを走るクロスカントリースキー。コットレルはまさにクロスカントリースキーをするには最適な街で生まれ育ったと言えるでしょう。

コットレルはこの街でスキーを始めると、すぐに素質を現し、本格的に始めるようになります。そんなコットレルが最初に頭角を現したのは97年、23歳の年でした。この年に行われたクロスカントリースキーの世界選手権でイタリア代表に選出されたコットレルは4×10キロリレーの選手として出場し、イタリア代表の銅メダル獲得に大きく貢献します。

この活躍が認められたコットレルは翌98年に行われた長野オリンピックの代表選手に選出。この大会では個人競技の50キロフリーに出場しましたが、まだ世界の壁はコットレルには厚かったようで結果は16位に終わります。しかし、オリンピックに出場したことは結果的に24歳のコットレルの成長を促すことになり、その後のメダル獲得を期待させるものになりました。

ソルトレイクシティ五輪で銅メダル獲得

ピエトロ=ピレル・コットレルが主に行っていたクロスカントリースキーとは、雪上に設営されたコースをスキーで駆け抜けるというシンプルなもの。しかし、地域によって異なる地形を持つだけにあらゆるテクニックや体力がモノを言うスポーツで、すべてのスキー競技の原点とも言えるものでした。

加えてコットレルが行うのは双方に特に制限のないフリー走法と呼ばれるジャンル。長野オリンピックではこうしたフリー走法の個人種目に出場しましたが、このころから個人競技よりもリレーに重きを置くようになりました。

クロスカントリースキーのリレーとは1チームを3~4人のチームで編成し、各メンバーが指定された距離を走るというもの。コットレルの場合は4人が10キロを走る4×10キロリレーを主戦場としました。

長野オリンピックから急成長を遂げたコットレルは02年のソルトレイクシティオリンピックにも出場。この大会では4×10キロリレーに加え、20キロパシュートという追い越し型の団体競技に出場し、さらに前回今一つだった個人種目では30キロフリーに出場し、メダル獲得を目指しました。

前回は振るわなかったコットレルですが、30キロフリーでは惜しくもメダルには届かなかったものの、4位に入る大健闘を見せると、この勢いに乗って20キロパシュートでは6位入賞、さらに4×10キロリレーで3位に入り、見事に銅メダルを獲得。念願のメダリストの仲間入りを果たしました。

地元トリノ五輪で悲願の金メダル

念願のメダリストになったピエトロ=ピレル・コットレル。04年には30歳を迎え、クロスカントリースキーの選手として脂が乗り切ったコットレルはその後も活躍を続けていきます。

まず、05-06シーズンの世界選手権ではそれまで縁のなかった個人競技でコットレルはメダルを獲得。15キロフリーで優勝したコットレルは自身初となる金メダルを獲得しました。この勢いに乗ったコットレルは翌年に行われるトリノオリンピックに照準を合わせていきました。

イタリア人のコットレルにとって、地元イタリアのトリノで行われるオリンピックはとても重要なものでした。32歳とオリンピックに出場するには最後のチャンスとも言える年での開催だけにコットレルの熱の入り方も違いました。

このオリンピック、イタリア代表に選出されたコットレルは前回メダルを獲得した4×10キロリレーに加え、30キロパシュートの団体競技、そして長野オリンピック時に辛酸をなめた50キロフリーに出場し、メダル獲得を目指しました。

距離が長かったのか、50キロフリーこそ5位に終わりましたが、4×10キロリレーでコットレルはイタリア代表を優勝に導く大活躍。地元オリンピックで念願とも言える金メダルを獲得しました。さらにパシュートでもコットレルの勢いはとどまらず、銅メダルを獲得し、ほぼ満点の成績を収めました。

バンクーバー五輪で個人種目のメダル獲得

トリノオリンピックの終了後もピエトロ=ピレル・コットレルの躍進は続き、07年の世界選手権では30キロパシュートに出場して銅メダル。さらに07-08シーズンではクロスカントリーで総合2位に入る大活躍を見せ、全体でも総合3位に食い込みました。

そしてワールドカップの優勝はよく08-09シーズン。このシーズンのワールドカップでコットレルはクロスカントリーに出場して総合優勝の快挙を成し遂げました。

結果的に自身最後となったオリンピック、10年のバンクーバーオリンピックに出場したコットレル。この大会ではずっと取り逃していた個人種目のメダルが目標でしたが、コットレルは15キロフリーに出場すると、2位に入り銀メダル。長年取り逃していた個人種目のメダルさえも獲得しました。

これで燃え尽きてしまったのか、その後のコットレルは目立った成績を残せないまま、13年に現役引退を表明しました。


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