名前秋山エリカ(アキヤマエリカ)
生年月日1964年12月31日
日本
出身福岡県福岡市博多区冷泉町
プロフィール小学1年から中3までクラシックバレエを習う。

福岡・中村学園高で新体操を始め、1983年大学選手権1位、全日本3位。同年11月の世界選手権で日本人としては最高の27位。ロス五輪では13位に入り、1984年11月の全日本で初優勝、女王の座に輝いた。

1988年ソウル五輪15位。1989年史上初の全日本選手権6連覇を達成。1990年11月引退。1991年10月から2年間ソ連でコーチの海外研修を受ける。アトランタ、シドニー五輪の日本代表コーチ、アテネ五輪では日本代表監督を務める。

結婚、出産で一時新体操界から離れるも、現在は東京女子体育大学教授、社団法人日本新体操連盟の理事など後進の育成に活動中。東京女子体育大学卒。

東京女子大学時代に大きく頭角を現し、日本代表としても活躍

秋山エリカは福岡県で生まれ、幼い頃は病弱で身体を鍛えるためにクラシックバレエを習います。博多二中学時代に、器械体操を始めると、中村学園高校進学と同時に新体操へ転向しました。新体操競技は、1963年にブタペストで第1回世界新体操選手権大会が行われ、日本では1968年の全日本新体操学生選手権からスタートします。そして、山崎浩子が1980年から全日本選手権を5連覇するなど、新体操の火付け役として存在感を表していました。

秋山は、高校卒業後に東京女子大学へ進学し、徐々に頭角を現します。1983年には、大学選手権で優勝を飾り、全日本選手権でも3位と女王・山崎に迫りました。そして、この頃から日本代表にも選出されます。同年の世界選手権大会(ストラスブール)では、団体戦7位、そして個人総合では山崎の34位をしのぐ27位に入りました。

ロサンゼルス五輪後の全日本を制して、日本の第一人者となる

新体操競技は、1984年のロサンゼルス五輪から、正式に採用されます。同大会では個人戦のみであり、日本からは山崎浩子と秋山エリカの二人が代表として参戦しました。体操競技で、ベテラン具志堅幸司が個人総合で金メダル、森末慎二が3回の鉄棒競技をオール10点という離れ業で金メダルと大いに日本を沸かせます。まだまだ認知度が低い新体操でしたが、第一人者の山崎が8位、秋山が13位とまずまずの成績を残しました。

山崎が、ロス五輪を最後に引退表明し、秋山が新体操界を牽引する立場となります。1984年には、全日本選手権を初めて制して、世代交代を確実なものとしました。その後、同大会を6連覇するなど日本の第一人者としてリードします。それでも、世界とのレベル差は大きく、1985年の世界選手権大会(バリャドリッド)では団体6位、個人総合では30位と不本意な成績に終わりました。

2大会連続出場のソウル五輪では、個人総合13位に終わる

日本の新体操歴史は浅いため、練習方法の手本がなく、手探りの状態が続きます。そんな中、秋山エリカは、持ち前の肩関節の柔らかさを武器に、独創的な動きでオリジナルの技を編み出していきます。特にフープやリボンを使った演技には定評がありました。

1987年の世界選手権大会(バルナ)では個人総合16位と前年よりも少し持ち直します。同大会では、新体操王国ブルガリアで開催されており、同国のビアンカ・パノバが史上初の個人総合の全12演技で10.00点満点を出して、完全優勝を飾りました。そして、1988年、このブルガリアとソ連の一騎打ちとなるソウル五輪が始まります。日本からは、秋山と若手の大塚裕子の二人が代表として出場しました。前回の13位よりも好成績が期待された秋山でしたが15位、大塚は予選敗退で27位に終わります。そして、金メダルが記載されたパノバはこん棒のキャッチミスが響きメダルには届きません。金メダルはライバルだったマリーナ・ロバチ(ソ連)が圧巻の演技で獲得し、新体操競技の覇権もソ連が奪いました。

世界選手権で好結果を残し、川本ゆかりに女王を引き継ぐ

その後も、全日本選手権の覇権を譲らず日本の第一人者として活躍します。そして、1989年の世界選手権大会(サラエヴォ)では過去最高の個人総合8位入賞を果たしました。予選で、上位国の出場者が2名に絞られたという状況でしたが、世界選手権における日本人最高順位を確保します。ソ連、ブルガリアという新体操強豪国が参加した上での好結果を残し翌1990年に現役を引退しました。

その1990年からは、川本ゆかりが全日本選手権を初制覇し、そこから5連覇を達成します。山崎浩子から続く女王の座が見事に受け継がれ、同大会は1980年から1994年までの16年間を3人が独占しました。

引退後は指導者に専念し、日本代表コーチとして後進を育成

1991年から、ユニバーシアード大会でも新体操が加入するなど、競技人口も増えていきます。秋山エリカは、同年10月から新体操最高峰のソ連にて、2年間のコーチ研修を経験しました。バルセロナ五輪では、山田海蜂、川本ゆかりの二人が日本代表として参加するも、山田18位、川本37位と惨敗します。アトランタ五輪から、団体競技も正式種目となりましたが日本は出場権を得られませんでした。秋山は、同大会およびシドニー大会でも日本選手団のコーチとして五輪に参戦します。2004年のアテネ大会では、監督として挑みましたが、唯一出場した村田由香里は個人総合18位で予選敗退しました。

同年に13歳下のパン職人と結婚し、40歳で長女、42歳で長男を出産したためしばらく新体操から離れます。しかし、2009年には第29回世界新体操選手権三重大会の日本選手団新体操個人コーチに就任するなど現場復帰しました。その後も、東京女子体育大学教授、社団法人日本新体操連盟の理事として後進の育成に力を注いでいます。

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