名前笠原栄一(カサハラエイイチ)
生年月日1966年6月11日
日本
出身群馬県伊勢崎市
プロフィール佐波農2年で1試合21奪三振を記録するなど活躍し、チームを県大会ベスト8に導く。

1985年ドラフト1位でロッテに入団。1986年初登板するが、勝利を挙げられず。1992年肩を故障。1994年ダイエーに移籍し、1996年退団。

引退後はコンビニエンスストアを経営。息子二人(将生、大芽)もともにプロ野球選手となり、2012年には史上初の親子&兄弟による一軍試合登板を達成。

通算成績は22試合、0勝8敗0S、防御率6.98、49回0/3、35奪三振。佐波農(現・伊勢崎興陽高)卒、右投右打、188cm、84kg

群馬県大会で21奪三振を記録し、一躍スカウトの注目を集める

笠原栄一は、1966年、群馬県高崎市で生まれます。群馬県立佐波農業高等学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校)に進学しましたが、それまで甲子園出場経験はなく、高校も笠原自身も無名の存在でした。夏の群馬県予選も1年時から2年連続で3回戦敗退します。しかし、190センチ近い身長に成長した高校2年、秋季大会で周囲が驚く快投を披露しました。

西邑楽との試合には0-1で敗れたものの、同試合で21奪三振という快挙を成し遂げます。群馬県大会として歴代トップの数字を築き上げると、突如スカウトからの注目を集めるようになりました。1984年夏の群馬県大会は本命不在で、笠原率いる佐波農業高の初出場にも大きな期待が注がれます。しかし、打線が課題のチームは、準々決勝で敗退して夢の甲子園には届きませんでした。

ロッテドラフト1位指名という高評価でプロ生活をスタート

1984年のドラフト会議は、ロサンゼルス五輪で3本塁打を放った広沢克己、そして、明治大学のエースとして日米大学野球でもMVPを獲得した竹田光訓という投打の2人が注目されます。それぞれ3球団から1位指名を受けて、広沢はヤクルトに、竹田は大洋と二人ともセ・リーグ球団への入団が決まりました。その他、嶋田兄弟(兄・宗彦、弟・章弘)が揃って阪神に指名されたことも話題となります。こうした中、稲尾和久が監督を務めるロッテオリオンズは、未完の大器・笠原栄一を1位指名するという驚きの選択をして、周囲を驚かせました。

佐波農業高校出身として初のプロ野球選手となり、球団はかつて金田正一が監督時代に背負った背番号34を与えます。1984年のロッテは、落合博満、リーら強力打撃陣、仁科時成、深沢恵雄、石川賢ら二桁勝利トリオらが活躍して、3年ぶりにAクラス2位となっていました。そのため、高卒ルーキーの笠原は、将来の大器としてファームスタートとなります。ルーキーイヤーの1985年、主砲・落合が3冠王、村田兆治が怪我を克服して17勝をマークするなど2年連続2位と好調の中、自身の一軍試合出場はありませんでした。

未完の大器から抜け出せず、プロ初勝利が遠い日々が続く

1986年、落合博満が2年連続3冠王獲得するも、投手陣が崩れBクラス4位へ転落します。そして、笠原栄一は同年シーズン終盤に、プロ初登板の機会が与えられました。10月18日のダブルヘッダーで、初先発しましたが、3回2/3で3失点KOされて敗戦投手となります。翌日のダブルヘッダーでも先発投手を任されましたが、2回2/3で2失点して2日連続の負け投手となりました。

その後も、毎年のように一軍登板チャンスを与えられながらも、制球難という悪癖は治らずプロ初勝利はもちろん、一軍定着できない日々が続きます。1988年には、6試合18イニングに登板しましたが、17四球に4本塁打と散々な成績に終わりました。1990年から、チームの監督として金田正一が復帰すると、背番号が41へ変更となります。1991年には、キャリアハイの7試合に登板して、防御率3.71とまずまずの成績を収めましたが、プロ初勝利を手にすることは出来ませんでした。

プロ生活12年で未勝利に終わり、ワースト記録とともに引退

入団8年目の1992年、肩を故障してルーキーイヤー以来の一軍登板無しに終わります。すると1993年11月、プロ初勝利を挙げないままに、福岡ダイエーホークスへのトレードが決まりました。移籍2年目の1995年、4年ぶりの一軍登板を果たします。しかし、2試合2イニングで、3本塁打を浴びて8失点というかつてないほどに打ち込まれました。翌年もダイエーに在籍しましたが、一軍登板なしに終わり、ついに現役引退を決意します。結局、ドラフト1位で指名されながら12年間で0勝というプロ野球ワースト記録を樹立して、ユニフォームを脱ぎました。

息子二人もプロ投手となり、史上初の親子&兄弟の一軍登板達成

引退後は、福岡に移り、コンビニエンスストアのオーナーとして勤務します。そして、息子たちが、自身と同じくプロ野球の世界へ飛び込み大きな話題となりました。長男・将生、次男・大芽はともに父親譲りの長身から投げ下ろす本格派として、ともに学生時代から名を馳せます。将生は、福岡工業大学附属城東高校時代の2008年、巨人からドラフト5位指名を受けて入団しました。4年目の2012年5月、プロ初登板を先発で実現させて、プロ野球史上初の親子先発を果たします。同年9月には、父が成し遂げられなかったプロ初勝利も手にしました。

弟・大芽も、福岡工業大学附属城東高校時代、福岡県秋季大会および九州大会で、110個という歴代1位の大会奪三振記録を樹立します。そして、兄が初勝利を収めた2012年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから5位指名を受けて入団しました。兄弟でプロ野球選手かつ父親もプロ野球選手という、父・堂上照、長男・剛裕、次男・直倫親子以来の珍しいケースが誕生します。2015年、兄・将生が野球賭博により無期限失格処分を受けて巨人を去りましたが、弟・大芽は、2017年5月に一軍初マウンドを踏んで、史上初の親子&兄弟で一軍登板を達成しました。


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