名前川井貴志(カワイタカシ)
生年月日1976年9月16日
日本
出身大阪府
プロフィールオール住之江ボーイズから大阪桐蔭高校に進学。高校時代は甲子園出場経験無し。城西大学時代は、3年春季にチームとして初優勝を実現。

1999年ドラフト3位でロッテに入団。同年6月対西武戦でプロ初先発。2000年5月対近鉄戦で初勝利を挙げる。4年目には、セットアッパーとして51試合に登板し、防御率2.76をマーク。翌年も54試合登板。

2004年から調子を崩すと、出場機会が減り、2006年シーズン途中に楽天にトレード移籍。貴重な左腕として、先発にリリーフにフル回転。

2012年以降は、ローテーションの谷間を埋める役割を担う。2016年、5試合登板に終わり現役引退を決意。オフから楽天打撃投手に転身。

通算成績は307試合、28勝36敗0S、3ホールド、防御率4.51、622回1/3、385奪三振。大阪桐蔭卒、城西大学卒、180センチ、78キロ。左投左打

大阪桐蔭時代は甲子園出場できず、城西大学で1部優勝を経験

川井貴志は、大阪府で生まれ、中学時代にはオール住之江ボーイズで野球の腕を磨きます。そして、自身中3の夏に創部4年目にして全国制覇を成し遂げた大阪桐蔭高校に進学しました。しかし、激戦区大阪で、府大会を連覇するのは並大抵のことではありません。1年生時は、ベスト4まで進出しましたが、2、3年時は準々決勝進出もできずに、高校生活を終えました。

卒業後は、首都大学リーグを戦う城西大学へ進学します。同期の小山田保裕と左右の投手柱となり、3年春季に城西大学初の優勝を成し遂げました。しかし、同年秋季には一転して1部最下位に転落します。2部降格は免れましたが、それ以降の優勝は達成できませんでした。

ドラフト3位でロッテ入団も、即戦力としては不本意な成績

1998年ドラフト会議は、横浜高校で春夏連覇を達成した松阪大輔含めて、有力選手が多く豊作の年といわれます。千葉ロッテマリーンズは、逆指名で小林雅英、里崎智也という二人の即戦力を獲得しました。そして、彼らに続く3位指名で川井貴志を指名しました。同年は、同期の小山田保裕も広島東洋カープから5位指名されて入団と、城西大学から一気に2名のプロ野球選手が誕生しました。

1999年、即戦力として期待された川井は、開幕第3戦にリリーフとして初マウンドを踏みます。6月には初先発するもKOされて敗戦投手となり、1年目は7試合の登板に終わりました。2年目には、初勝利を先発で飾るなど4勝をマークし、リリーフ含めて22試合に登板します。3年目は、25試合に登板して2勝2敗、防御率3.38と安定感を見せましたが、首脳陣が期待していた先発定着は実現しませんでした。

セットアッパーに定着して、ロッテ勝利の方程式の一角を担う

同期入団の小林雅英が、2年目途中からチームのクローザーに定着したのに対し、川井貴志は3年で6勝と不本意な成績に終わります。4年目を迎える前に、同じ左腕の工藤公康(当時巨人所属)とともに合同自主トレに臨み、長年第一線で活躍してきたメンタル面を学びました。

すると4年目に、キャリアハイの成績を残します。5月下旬から一時的に先発に回るときがありましたが、基本的には中継ぎとして、51試合という多くの試合に登板しました。主に勝ちゲームの7回を任されて、小林宏之、小林雅英に繋ぐという勝利の方程式の一角に定着します。同年は4勝1敗、防御率2.76と十分合格点の成績を残しました。

不調の時期が続き、31年ぶりの下克上日本一達成に貢献できず

2003年も、2年連続50試合登板を達成し、4勝0敗と黒星無しで終わりましたが、防御率は4.42と数字を悪化させます。2004年、10年ぶりに復帰したバレンタイン監督によって、完全に中継ぎに固定されましたが、防御率7.11とかなり安定感を欠く結果となってしまいました。

2005年、今江敏晃、西岡剛ら若手が上位打線に定着し、つなぎの4番サブローを中心に強力マリンガン打線が機能します。同年からスタートしたセパ交流戦の初代王者となるなど、好調を維持しました。川井貴志も中継ぎとして登板しましたが、打ち込まれるケースが多く夏場に二軍降格となります。その後も、チームが快進撃を続ける中、一軍に復帰できない日々が続きました。結局、シーズン終了までをイースタンリーグで過ごし、防御率8.10という相当不本意な数字が残ります。シーズン2位からの、下克上日本一に貢献することが出来ない屈辱の一年となりました。

ロッテでの出場機会が失われ、東北楽天へのトレード移籍

2006年も、シーズン開幕から一軍に呼ばれることなく、2ヶ月が経過します。すると、同じパ・リーグの楽天へのトレード移籍が発表されました。新チームに合流すると、交流戦では先発に抜擢されて2年ぶりの白星を手にします。その後も、貴重な中継ぎとして13試合に登板しました。

当時の楽天は、前年に球団として産声をあげたばかりで、慢性的な戦力不足に悩みます。こうした状況にありながら、2007年は3試合、2008年は登板無しと出場機会がほとんどありませんでした。2010年からは、2年連続で二桁先発登板というチャンスを手にします。任されたマウンドで、完璧に抑えることはありませんでしたが、試合を作ることにかけてはしっかりと仕事をしました。

ベテランとなっても、谷間の先発を務める役割をこなす

30代中盤となった川井貴志は、新たな形で、チームでの存在感を高めます。登板機会は、シーズンを通して、10試合を超えることがありませんでしたが、先発ローテーションの谷間を埋める人材として重宝されました。毎年、投手陣の調子が落ちた夏場に現れて、与えられた仕事をこなします。いつしかついたニックネームから、「困ったときのボブ」として及第点の成績を収めていきました。しかし不惑の40歳となった2016年、5試合登板(先発2試合)、防御率8.22という、楽天移籍後ワーストの成績に終わります。すると、限界を感じて、自ら現役引退を表明しました。

18年間の現役生活にピリオドを打つと、球団に残り打撃投手に転身しました。2017年からは、その役割を続けながら、チーム戦略室戦略R&Dグループの一員としても活躍しています。

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