名前 田中健太郎
生年月日 1979年6月7日
日本
出身 埼玉県坂戸市
プロフィール 中学時代は捕手として活躍。松商学園に進学、投手に転向。平成10年ドラフト5位で巨人に入団。183センチ、88キロ。右投右打

長野の名門校へ越境進学

田中健太郎が生まれ育ったのは埼玉県の坂戸市。埼玉県のちょうどど真ん中に当たるところでした。都心からも40キロ程度しか離れていないためか、都内のチームで野球をする者もいましたが、田中は地元埼玉でプレー。子供のころから運動神経が良かったせいか、すぐにレギュラーに定着。堂々たる体躯を生かして、田中は住吉中学時代には捕手として起用されていました。

京田で強肩の田中は高校進学時、県内からも多数のスカウトがありましたが、田中が選んだのは長野県にある松商学園。決して野球どころとは言い難い長野県の学校でしたが、歴代の卒業生にはプロ野球選手がずらりと並ぶ名門校。戦前のころの優勝実績ばかりが目立ちますが、田中が入学する前だった91年には上田佳範を擁して甲子園で春は準優勝、夏はベスト8に入る活躍を見せました。中でも91年夏の甲子園ではあのイチローを擁した愛工大名電を破るという実力を見せました。

偉大なる先輩の存在を知ってか知らずか、田中は埼玉から越境入学する道を選択。そして間もなく田中は1年生ながらベンチ入りを果たします。夏以降の新チームにおいて、田中の強肩に目を付けた監督は田中を投手へコンバートすることを決断。捕手仕込みの強肩とリードで鍛えた投球術で田中は間もなくエース投手にのし上がっていきました。

速球派投手として巨人が注目

2年生にしてエースに君臨した田中健太郎。捕手時代から鍛え上げた強肩から放たれるストレートは140キロ台を常時記録する速球派。さらに捕手としてチームをまとめ上げてきた実績を買われて、2年生秋からの新チームではキャプテンを任されるほど信頼を勝ち得ていました。

そんな田中のハイライトと言えば何といっても3年の夏。長野県大会を順調に勝ち進んでいった田中たちは決勝戦でも勝利して、91年以来となる6年ぶりとなる夏の甲子園の切符を掴みました。長野県屈指の古豪復活ということで大いに注目される中で田中は投げることになりました。

迎えた甲子園緒戦は1日目の第2試合。相手は山口県の西京高校。初出場校ということで確勝を期していた松商学園でしたが、結果は3-4とまさかの一回戦負け。しかし、田中自身のピッチングは悪くなく、この試合では敗れたものの、最速145キロを記録するなど、本格派投手としての印象を強めました。

この年のドラフト候補生として注目されていたのはなんといっても六大学リーグのスターである高橋由伸と川上憲伸。そして田中と同じ高校生では平安を準優勝に導いた川口知哉、水戸商業のエースだった井川慶などの左腕投手が注目を集めていました。その中で田中への注目度はあまり高いわけではありませんでしたが、高校生にして145キロを投げられる投手と言うのは当時貴重だったこともあり、素質に賭けていたチームも少なからずあったと言われています。

迎えたドラフト会議。目玉中の目玉だった高橋が予想とは異なり巨人を逆指名して入団するという波乱の展開あり、川口が4球団の強豪の末にオリックスへ入団するなどありましたが、田中の名前がコールされたのは5位指名の際。選んだのはなんと、高橋を逆指名で獲得した巨人でした。

この年の巨人は大型補強の甲斐もなく4位に終わりましたが、とりわけ投手陣の崩壊が影響したと言われています。素材型の田中を獲得したのは数年後の主戦投手としての期待があったといっても過言ではないでしょう。

度重なるコンバートも一軍は遠い存在に

下位指名ながら、田中健太郎は巨人選手の一員に。背番号は「91」とかなり大きな番号でしたが、憧れの巨人軍入団で喜びにあふれていました。しかし、田中の方はこの時点ですでに限界が来ていたことわかります。

入団早々の練習で田中は早くも肩を負傷。そのため2年目の99年まで登板することもできず、リハビリに時間を割きましたが、一向に良くなる気配が見られないために首脳陣はコンバートを決意。当時手薄になっていた捕手へのコンバートを言い渡します。

投手→捕手へのコンバートとして知られているのが織田淳哉。投手としても一軍登板のある選手を監督の発案で捕手にコンバートして結果的に使い物にならずに4年で戦力外通告を出したように田中からしたら悪い前例にしか見えませんでしたが、田中の場合は捕手の経験があったことで問題ないと見られていました。

折しも当時の巨人の捕手事情は引退間近の村田真一に、第二捕手の座から脱却できずにいた村田善則、そして杉山直樹と駒和はいてもどれも決め手に賭ける選手ばかり。そのため、田中にもチャンスがあるように思われましたが…01年には大学ナンバーワン捕手の呼び声高い阿部慎之助が入団。田中の起用はますます限定的なものになりました。

故障には勝てず、現役引退へ

ますます起用が限られてきた田中健太郎ですが、首脳陣もなんとか田中を生かす方法を考えるため、阿部慎之助の入団前後から田中は内野の練習も行うように。しかし、当時の巨人の内野と言えば、ファースト清原和博、セカンド仁志敏久、サード江藤智、ショート二岡智宏とレギュラーがキッチリと固まった状態。これに元木大介らのスーパーサブらがいるのではますます田中の出場機会はありません。結局田中は一軍に一度も上がることがなく02年に戦力外通告を受けてチームを追われることになりました。

巨人退団後は投手として再起するために練習を再開しましたが、間もなくひじの故障が発覚。志半ばで無念の引退を余儀なくされてしまいました。

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