清水大輔について

名前 清水大輔
生年月日 1981年9月7日
日本
出身 千葉県松戸市
プロフィール 小学2年から野球を始める。中学時代は軟式野球部で投手、右翼手を務めた。卒業後、柏陵高に進学。167センチと小柄ながら切れのあるカーブに定評があり、平成11年春のセンバツに出場。同年夏の甲子園では、旭川実業戦で先発全員から15奪三振の完封、ベスト8に進出。全員奪三振は大会史上17年ぶり19人目。12年早稲田大学に進学。左投左打。65キロ

小柄な身体も運動神経は抜群!

清水大輔が野球を始めたのは小学2年生のころ。小柄な体ながら運動神経抜群だった清水はすぐに野球の虜となり、年を重ねるにつれてめきめきと頭角を現すように。6年生になるころには早くもエース投手としてプレーするようになりました。

通常なら、中学に上がる際にはリトルリーグなどで硬式球に触れることも考えますが、清水の住んでいたエリアにはさしたる強豪チームはなく、地元の中学の野球部に入部。軟式野球部で清水はさらにテクニックを伸ばしていきました。
小気味いいストレートとカーブのコンビネーションはこの頃からの清水の武器で、中学でもエース投手として君臨。また、左打者で俊足の清水は攻撃面でも重要なキーパーソンになっていたため、登板しないときはライトを守り、チームのチャンスメーカーとして機能していました。

これだけの実績を挙げている清水でしたが、高校野球のスカウトたちからは無名の存在。その小さな身長から大成しないと思われたのかは定かではありませんが、習志野高校、銚子高校などの千葉県の甲子園常連校は清水をスルー。結局清水は地元にある県立高校の柏陵高校に進学します。

圧倒的な切れ味のカーブで奪三振を量産

高校に進学した清水大輔は間もなく野球部へ入部。ここで初めて硬式球に触れることになった清水ですが、ここで劇的な変化がありました。

もともとストレートとカーブのコンビネーションが冴える投手ではありましたが、硬式球にボールが変わったことでカーブの落差がさらにアップ。そのためこの頃から清水の投球は奪三振が増えだし、千葉県内の高校でも有数の投手として知られるようになります。

そんな清水がエースとして台頭した2年生秋。柏陵高校は秋の県大会を勝ち進んで翌春の春のセンバツ大会に駒を進めました。これが柏陵高校として史上初となる甲子園出場になりました。しかし、99年のセンバツ大会では静岡高校相手に5-7で敗れてしまい、1回戦で姿を消してしまいました。

高校時代の清水のハイライトとなったのが、高校3年時の夏。圧倒的な投球で夏の甲子園大会に駒を進めた清水はこの年の甲子園大会でも東邦の朝倉健太、桐生第一の正田樹らとともに主力投手のひとりと称されていました。

その中でも初戦で圧倒的なピッチングを見せたのが清水。初戦の旭川実業戦で清水は小気味いいカーブが冴え渡り、初回から奪三振を量産。気が付けば旭川実業の先発メンバーは全員三振を喫し、清水はトータルで15奪三振をマークしました。

この先発全員からの奪三振と言う記録は甲子園でも史上19人目。17年ぶりの快挙にプロも注目する投手になりました。これで勢いに乗った清水と柏陵高校は夏初出場にもかかわらず、大会ベスト4にまで進出しました。

早稲田大学の黄金期のエースに

高校を卒業した00年、清水大輔は早稲田大学へと進学。野球部に入部しました。清水と同期の野球部員と言えば、甲子園で活躍した鳥谷敬、由田慎太郎、そして青木宣親らともチームメイトになりました。

この頃の早稲田大学はかつての栄光が幻かのように負けていたこともあり、清水が入学した前年から方針を転換。野村徹監督が就任して選手のスカウトを積極的に行うようになりました。清水の入学はそうした強化策の2年目。そのため、これほどまでの有力選手が揃ったともいわれています。

清水ら早稲田大学のメンバーが本格化したのは01年の春。2年生になった清水はエースを務める和田毅の2番手投手として起用されることが多く、和田-清水と言った継投策や、清水が先発して勝利することもありました。この年に早稲田大学は六大学史上初となる通算1000勝を飾ると、かつての栄光が戻ってきたかのように復活します。

中でも早稲田大学史上に残る黄金期となった、02年春からのリーグ戦。この春季リーグで優勝すると、和田がドラフト候補生として注目された中での秋のリーグ戦も優勝。清水たちが4年生になって迎えた03年は早稲田の真の強さを見せるシーズンになりました。

この年の春季リーグから最高学年の投手としてエースに君臨した清水は、自らの快投で春季リーグを優勝し3連覇を果たします。そして清水が大学生として集大成として迎えた03年の秋季リーグ。このリーグ戦でも清水率いる早稲田大学は無敵の強さを見せ、優勝。なんと10戦全勝で勝利するというおまけ付きでした。清水は早稲田大学史上初ともなる4連覇を飾る主力選手となりました。

ちなみに清水は優勝を決めた早慶戦で15連勝を記録するなど、大学球界でも無類の強さを発揮しました。

JR東日本でマネージャーとして活躍

ドラフトのシーズンとなった03年秋。清水大輔の同級生である鳥谷敬、由田慎太郎、青木宣親、比嘉寿光と早稲田大学の選手が4人もプロ入りを果たしましたが、その中に清水の名前はなし。やはり167センチと言う小柄な体が大成しないと考えられたためか、プロ入りはなりませんでした。

大学卒業後、清水はJR東日本野球部に就職。現在ではマネージャー・トレーナーとしてチームを支える存在になりました。


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