佐古賢一について

名前 佐古賢一
生年月日 1970年7月17日
日本
出身 神奈川県横浜市
プロフィール 小学校3年から本格的にバスケットボールを始める。北陵高校3年の時、能代工を破って高校総体優勝。中大3年の時、全日本入り。平成5年いすゞ自動車に入社し、以後チームの司令塔として全日本選手権優勝4回、リーグ優勝5回に貢献。ベスト5を6度、MVPを3度受賞。この間、全日本メンバーとして6年広島アジア大会に出場し、銅メダルを獲得。7年福岡ユニバーシアード準優勝、10年アテネ世界選手権代表。ポイントガード。179センチ、78キロ

野球少年がバスケへ目覚めたワケ

佐古賢一が生まれ育ったのは神奈川県横浜市。もともとは野球が好きだった佐古は、リトルリーグでプレーしていたように野球選手として有望な少年でした。しかし、バスケットボール好きだった父の影響もあって小学3年生のころにはリトルリーグと並行してバスケットボール部にも入部。主に内野を守っていた佐古の送球は、後のバスケットボールの正確無比なパスワークにもつながっていったのかもしれません。

佐古がバスケットボールに絞ったのは中学生になってから。汲沢中学校のバスケットボール部に入部した佐古はこの頃からポイントガードとしてプレー。積極的なオフェンスはチームの得点の原動力となり、さほど強豪校ではなかった汲沢中学校を全国中学校バスケットボール大会で3位に導く原動力となりました。

そのため、佐古のもとには高校バスケットボールの関係者が続々と登場。早くも争奪戦となりましたが、佐古が選んだのは福井県の北陸高校。バスケットボール界では屈指の名門校として知られる学校でした。

バスケの強豪校でインターハイ制覇

佐古賢一が進学した北陸高校には、同期メンバーとして塩屋清文、高柳信也、東野智弥らが入学。後に実業団バスケットボール界で活躍する選手がこれだけ揃っており、いかに北陸高校が強豪チームだったかがわかります。

北陸高校が強いチームなのは確かでしたが、インターハイで優勝したことはこの当時ありませんでした。というのも佐古が高校生だった当時、インターハイの名門チームと言えば、福岡大大濠や能代工業。とくに能代工業の強さはけた外れで、毎年ベスト4は当たり前、優勝も何度となく経験しているというまさに絶対王者。それだけに北陸高校にとっては雲の上とも言える存在の学校でしたが、佐古たちが入ったことで北陸高校は息を吹き返していきました。

最大の目標となっていた、インターハイ制覇を達成したのは88年。佐古たちが高校3年生として迎えた大会でした。あれよあれよという間に勝ち上がった北陸高校は、決勝戦で絶対王者の能代工業と対戦。一進一退の攻防となりましたが、北陸高校が68-57で下して見事に優勝。中でもこの大会中の活躍が目立った佐古は高校ナンバーワン選手とまで称されるようになり、この功績が称えられる形で前日本ジュニアに選出。アジア選手権4位と箔を付けました。

高校を卒業した後、佐古は中央大学に進学。大学3年生になった91年には全日本のメンバーに初招集され、神戸アジア選手権では3位に導く活躍を見せました。

ギガキャッツの中心選手としてプレー

大学を卒業した佐古賢一は93年、いすゞ自動車に入社。ここで佐古は社内にある男子バスケットボールの実業団チームであるリンクス(のちのギガキャッツ)に入部します。高校ナンバーワンプレーヤーの座をほしいままにした佐古にとってレギュラーを獲得するのは容易いことだったのか、間もなくスタメン入りを果たし1シーズン目からいきなりオールジャパン優勝、個人タイトルとしてはアシスト賞を獲得するというポイントガードとして満点の成績を収めました。

佐古が選手としてのキャリアハイを達成したのは95年。この年の佐古は全日本ではユニバーシアード準優勝、そしてJBLでも自身初となるMVP、ベスト5に入るという活躍を見せました。この後も佐古の快進撃は続き、98年にはアテネで行われた世界選手権の代表選手として名を連ねました。

02年、佐古が所属していたギガキャッツが廃部になることが決まり、佐古は行き場が無くなってしまいましたが、間もなくアイシンシーホースに移籍。ギガキャッツ時代の佐古のタイトルはMVP3回、ベスト5は7回、そして3ポイントシュート賞2回、アシスト賞2回とポイントガードとして重要なタイトルを軒並み獲得しました。

故障には勝てず、現役引退へ

アイシンシーホースに移籍し、心機一転を図った佐古賢一。これと同時にプロプレーヤーとして転向も決断します。名実ともにバスケットボール界のスターとなった佐古はいつしか、その正確無比なプレーも相まって「ミスターバスケットボール」の称号で知られるようになりました。

ところが、佐古に悲劇が襲い掛かったのは05年。JBLファイナルを前にしたところで左足のアキレス腱を断裂してしまいました。バスケットボールの選手にとって命とも言える箇所のケガだけに復帰は難しいとされていましたが、不屈の闘志で06-07シーズンに復帰。07年にはアジア選手権で主将を務めたように全日本へも復帰しました。

しかし、やはり全盛期の動きとは程遠く、11年に現役を引退。現在ではバスケットボールの男子日本代表のアシスタントコーチとして活躍しています。

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