名前山崎勝己(ヤマザキカツキ)
生年月日1982年8月16日
日本
出身兵庫県伊丹市
プロフィール小学生から野球を始め、中島裕之とバッテリーを組んで全国大会出場。報徳学園高1年で夏の甲子園に出場。

2000年ドラフト4位でダイエーに入団。正捕手・城島健司の存在のため、入団以来丸4年間をファームで過ごす。2005年オフに城島がメジャーへ移籍したチャンスを生かし、2006年正捕手の座を掴む。翌年もチーム捕手トップの100試合に出場。

2008年からは、第2捕手の時代が続く。2013年、第2捕手として91試合に出場。オフに国内FA権を行使して、オリックスへ移籍。正捕手獲得はできないものの、貴重なベテラン捕手として活躍中。

通算成績は819試合、1,411打数279安打、4本塁打、105打点、4盗塁、打率.198(2016年まで)。報徳学園高卒、181センチ、76キロ。右投右打

小学生時代から捕手一筋で、報徳学園1年生で甲子園も経験

山崎勝己は兵庫県伊丹市に生まれ、小学生の頃から軟式野球を始めます。当時から捕手を務めており、中島裕之(現オリックス)とのバッテリーで全国大会にも出場しました。中学時代は兵庫伊丹に所属して、硬式野球をスタートします。卒業後は、兵庫の名門・報徳学園に進学しました。

山崎は、座ったままで二塁送球できるほど捕手として能力に優れ、1年生から強豪チームの主力となります。夏には、東兵庫県大会を勝ち抜き、チームとして4季連続甲子園出場という偉業を達成しました。富山商業との1回戦は、終盤まで4-2とリードしており1年ぶりの聖地勝利が近づきます。しかし、7回裏に逆転満塁ホームラン含めて6失点し、無念の初戦敗退となりました。山崎が正捕手となって以降も連続出場を目指しますが、その機会は訪れません。2年夏の兵庫県大会ベスト4が最高の成績で、2度目の甲子園出場は叶いませんでした。

城島健司の存在が大きく、ダイエー4年間一軍昇格できず

2000年度ドラフト会議、山田秋親、阿部慎之助らシドニー五輪日本代表選手たちが上位で指名される中、山崎勝己は福岡ダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)から4位指名を受けます。当時、絶対的な正捕手に城島健司が君臨しており、1999年のドラフト3位入団の的場直樹もいたため、将来を期待しての入団でした。

ファームでの身体作りからスタートしましたが、城島の存在はあまりにも大きく、一度として一軍昇格するチャンスが巡ってきません。守備はもちろん打撃の中心的存在であったため、試合終盤の守備固めなどの出番すらありませんでした。特に、チームが日本一を奪還した2003年は、城島が全140試合のフルイニング出場という野村克也以来史上2人目の大記録を達成します。結局、福岡ダイエーホークス時代の4年間、一度も一軍試合に出場することなく終わりました。

まさに死に物狂いでチャンスを生かして、正捕手の座を掴む

プロ5年目の2005年、チームは福岡ソフトバンクホークスとして生まれ変わると、初めて一軍出場機会を得ます。代打として登場して、2打席目に嬉しいプロ初ヒットを放ちました。その後マスクをかぶり、3試合ながら貴重な経験をします。そして同年オフには、城島健司が海外FA権を行使してメジャーリーグ移籍が決まったため、正捕手争いの火蓋が切って落とされました。

第1候補は、自身よりも5歳年上の的場直樹であり、2006年の開幕スタメンマスクを奪われます。山崎も、開幕3カード目に初めて先発出場すると、しばらく併用が続きました。同年の交流戦初戦では、ファウルチップを顔面に受けて前歯を3本折りながらも、強行出場して新垣渚を完封勝利に導きます。この執念が実り、そのまま正捕手として105試合に出場しました。2007年も、100試合に出場して正捕手を守りましたが、打率は1割台に低迷します。盗塁阻止率もリーグワーストでしたが、堅実な守備とリードには定評がありました。

ライバルが多く第2捕手降格も、リーグ連覇に日本一に貢献

しかし、2008年からは相次ぐライバルの登場に、正捕手の座は安泰となりません。2006年ドラフト3位入団の高谷裕亮、中日から移籍してきた田上秀則らと一つしかない正捕手のポジションを争いました。2009年に田上が138試合出場して正捕手を掴みましたが、2010年に打撃面で成長を見せて奪い返します。しかし、左膝内側半月板損傷で戦線離脱すると、チームはベテラン清水将海を緊急補強しました。

さらに2011年からは、西武で正捕手を務めていた細川亨も加入して争いはヒートアップします。それでも山崎は、100試合にこそ達しませんでしたがそれに近い数の出場を続けました。というのも、当時のソフトバンクの主力投手だった杉内俊哉、和田毅との相性がよく、専属捕手を務めたからです。2010年からは、チームの連覇に貢献して、日本シリーズでもマスクをかぶって大きな経験を積みました。

出場機会を求めてFA宣言し、自身の地元・オリックスへ移籍

2013年も91試合に出場して存在感を示しましたが、さらなる出場機会を求め、取得していたFA権を行使します。ソフトバンクそして、捕手強化を求めるオリックス・バファローズと交渉して、地元兵庫を本拠地とするオリックスへの移籍を決意しました。

西武からメジャーリーグを経て入団していた中島裕之と、小学生以来20年ぶりにチームメイトとなります。チームの正捕手は伊藤光が務めており、ソフトバンク時代同様に第2捕手を務めました。しかし、ディクソンの専属捕手を務めるなど、6年ぶりの2位浮上に貢献します。2016年は、若手の若月健矢の台頭で、後半戦の一軍出場機会は激減します。オフには、減額制限を越える提示を受けましたがオリックスに残留しました。2017年も、第3捕手の地位に甘んじていますが、チーム内の信頼感は絶大であり、勝てる捕手として若手の育成にも一役買っています。

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