森かおりについて
名前 | 森かおり |
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生年月日 | 1979年8月23日 |
国 | 日本 |
出身 | 福岡県北九州市 |
プロフィール | 平成12年全日本社会人ダブルス優勝、シングル2位。オランダオープンダブルス3位。全日本総合シングル2位。13年スイスオープンダブルス3位、ヨネックスオープンジャパンシングル3位。三洋電機所属。157センチ、49キロ。
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高校時代から頭角を現す
森かおりがバドミントンを始めたキッカケとなったのは母親の存在でした。ママさんバレーボールのように主婦の中で行うバドミントンのサークルに入っていた母に連れられて8歳から森はバドミントンをスタート。
バドミントンはひとりだけでできるスポーツではないため、どこかのチームに入らないと上達は見込めないと思われましたが、森には双子の妹がいました。そのため小学生のころはバドミントンジュニアの「京都クラブ」をはじめ3つのクラブチームに入る一方、家に戻ってからは双子の妹とともに練習に明け暮れました。最良の練習パートナーに恵まれたこともあり、森はメキメキと成長を遂げていきました。
やがて中学に進学した森はバドミントン部に所属。中学の時点でバドミントンを始める子が多いだけに多くは基礎的なことから始めるものでしたが、森は小学生時代からバドミントンを始めていただけにそのレベルはすでに中学生離れしていました。実際に森は全国中学生選手権でシングルスの優勝を飾りました。
森の勢いは高校生になってからも変わりませんでした。95年に入学すると全国高校選抜大会でシングルスの部門で3位に入り、さらにインターハイではシングルスで準優勝。1年生にしてこれだけの実績を残した森は当然、バドミントン界で注目される選手になりました。
翌年の森はインターハイにシングルスとダブルスで出場。バドミントンのシングルスとダブルスは似て非なるものですが、森はこの2部門でもともに準優勝。そのスキルの高さを見せつけました。
過去2大会連続で準優勝だっただけに念願の優勝を賭けた最後のインターハイでしたが、この大会では惜しくもシングルス3位。実力は十二分に示しましたが、優勝まであと一歩と迫りながら届きませんでした。
鬼池めぐみとのペアでダブルスでも大活躍
高校卒業後、森かおりは進路に悩むことになります。当時はプロのバドミントンチームがないのはもちろん、比較的マイナースポーツだっただけに学生の間しかできないスポーツとなっていました。しかし、「オリンピックに出たい」と願っていた森にとってオリンピックへの最短ルートである実業団チームへの入社が最も手っ取り早い手段。そのため森は高校を卒業して間もなく、三洋電機に入社しました。
入社後の森は本来のシングルスだけでなくダブルスでも積極的に試合に参加。入社1年目の98年には全本総合選手権でシングルス3位、女子ダブルスベスト16という成績を残しました。さらに全日本社会人選手権ではシングルスベスト8、そして近畿総合大会ではダブルスで優勝。これまでシングルもダブルスも等しく好成績を残していた森ですが、意外にもダブルスでの優勝はこれが最初のこととなりました。
森はこの時、ダブルスでは先輩にあたる鬼池めぐみ選手と組むようになりました、森-鬼池のペアはこの当時最強を誇り、国内大会どころか数々の世界大会にも出場するようになりました。森が入社2年目となった99年にはマレーシアオープン、タイオープンでダブルスでそれぞれベスト16、ベスト8に入る活躍を見せています。なおこの年のもりはシングルスでも積極的に世界の場に臨み、この2大会のほか、韓国オープン、台湾オープン、そしてジャパンオープンに出場。韓国とジャパンオープン時にはシングルスでベスト16に入っています。
14年ぶりのヨネックスオープン入賞
森かおりと鬼池めぐみのペアで三洋電機は好成績を収めるようになりますが、そのピークとなったのが00年~01年のこと。まずは00年。全日本社会人選手権で森はシングルス準優勝、そして女子ダブルスで優勝を飾ると、全日本総合選手権でもシングルス準優勝、女子ダブルスベスト8に入ります。さらに海外戦ではデンマークオープンとオランダオープンに出場し、デンマークでは女子ダブルスベスト16、オランダでは3位に入るという活躍を収めます。
日本のバドミントンのレベルは当時さほど高いわけではなく、発祥の地であるイギリスをはじめとしたヨーロッパの選手や中国、アジア圏の選手が強いことで知られていました。そのため、バドミントンの一流メーカーであるヨネックスが主宰するヨネックスオープンで日本人選手が入賞するのはほんのごくわずかなこと。森たちが参加する前では87年に入賞して以来、誰もしていませんでした。
そんな日本人が圧倒的に不利な大会であるヨネックスオープンに森と鬼池は01年に参戦。この大会で森たちは本来のバドミントンを生かし切って見事に3位入賞。14年ぶりの快挙を成し遂げました。
アテネ五輪でベスト16入り
ヨネックスオープンで快挙を果たし、バドミントンの世界で注目されるようになった森かおり。彼女の最大の目標となったのが「オリンピック」に出場することになったのは04年。アテネオリンピックでバドミントン日本代表に選出されました。
この大会、日本代表勢は組み合わせに恵まれず、1回戦で散ることがほとんどでしたが、森は日本代表勢で唯一の2回戦を突破してベスト16入り。日本代表勢で唯一の好成績を残しました。
その後、4年後の北京オリンピックの出場を目指しましたが、森は惜しくも落選。その時にオグシオペアが話題になったことで忘れ去られた感がありますが、現在の隆盛の礎を築いたのは間違いなく森と言えるでしょう。