名前ネイサン・ミンチー
生年月日1969年8月31日
アメリカ
出身出身 テキサス州
プロフィール1987年米国大リーグのエクスポズ、1993〜1994年、1996年レッドソックス、1997年ロッキーズを経て、1998年広島に移籍。

同年先発の柱として15勝を挙げる。1999年開幕投手を任されるも、不調で2勝に留まる。2000年に12勝をマークして復活。

2000年シーズン終了後、ロッテに移籍。新天地でも先発の柱として活躍して、2001年最優秀防御率を獲得。同年も12勝で外国人初の両リーグ二桁勝利達成者となる。その後も中4日の先発スタイルで貢献し続け、広島時代から続く二桁勝利を4年連続に伸ばす。

2002年、2003年にはロッテでも開幕投手を務める。2004年、怪我に不調が重なり4勝に終わると、契約延長を勝ち取れず同年現役引退。2007年からクリーブランド・インディアンスの日本担当スカウト就任。2009年からは、巨人駐米スカウトに就任。

NPB通算成績は187試合、74勝70敗0S、防御率3.64、1,201回1/3、626奪三振。最優秀防御率1回。
MLB時代の通算成績は15試合、3勝7敗0S、防御率6.75、64回0/3、38奪三振。フルーガービル高卒、右投右打、203センチ、118キロ

MLB2巡目指名と将来を嘱望されるも、メジャー定着できず

ネイサン・ミンチーは、アメリカテキサス州に生まれ、フルーガービル高校時代から大きな期待を背負います。その長身から放たれるピッチングは将来を嘱望され、1987年にMLBドラフトでは2巡目で、モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に指名されました。同年の1巡目指名のトップは、シアトル・マリナーズに入団し、イチローも憧れたケン・グリフィー・ジュニアです。球団数の多いアメリカは球団数での2巡目指名は、エクスポズの期待の高さを証明するものでした。

しかし、中々目が出ることなく、しばらくするとボストン・レッドソックスへ移籍します。マイナーでの登板を繰り返し、プロ6年目の1993年、ようやくメジャーデビューを果たしました。優勝の可能性が無くなったシーズン終盤に、先発として5試合を投げて1勝2敗、防御率3.55でまずまずのスタートを切ります。翌年もほぼ先発で6試合の経験を積みましたが、メジャー定着には至りませんでした。1997年にはコロラド・ロッキーズで2試合投げましたが、防御率13.50という不本意な成績を残します。結局、メジャー実働4年で、15試合、1勝3敗、防御率6.75に終わりました。

広島入団1年目、いきなり15勝をマークしてエースに就任

1997年オフ、ネイサン・ミンチーは、日本球界の広島東洋カープからオファーを受けます。メジャーでも希少な身長200センチを超える右腕は、海を渡り助っ人外国人として、日本球界にやってきました。広島は前年Aクラス2位を確保しましたが、先発の頭数が揃わなかったため、ミンチーに大きな期待を寄せます。1998年の第2戦を託すと、まさに打者に投げ下ろすピッチングを披露し、敗戦投手になったものの9回2失点完投して能力の高さを見せ付けました。

メジャースタイルのミンチーは、中6日が主流の日本と異なり、中4日でガンガン投げまくります。先発3試合目で日本初勝利をマークすると、その後もローテーションの軸として白星を稼いでいきました。ともにリーグ最多の35先発、投球回数236イニングで、15勝11敗、防御率2.75(リーグ4位)と来日1年目にしてエース級の活躍を見せます。同年の広島はリーグ防御率リーグワーストで、順位も5位に沈みましたが、ミンチーの活躍がなければ最下位転落もありえました。

来日2年目に研究されて不調に陥るも、翌年12勝で復活

来日2年目の1999年、ネイサン・ミンチーは広島の開幕投手を任されます。しかし、敗戦投手となると、そのまま中日が開幕11連勝して一気にリーグ制覇を実現しました。ミンチーは、同年も中4日先発を続けていましたが、2年目ということで他球団にも相当研究されます。高身長ながら、速球で押すタイプではなく、ゴロを打たせてアウトを取る技巧派であり、守備にも足をすくわれる場面もかなりありました。さらに夏場に故障したことで、登板機会が激減します。同年は、17試合、2勝9敗、防御率5.77と大きく数字を落としました。

1年の成績次第で即解雇となる助っ人は、大幅に年俸ダウンしましたが広島に残留します。自身以外にも新たな外国人がチームに加入しましたが、先発として復活の投球を見せました。相変わらず中4日で、マウンドに上がると、6月には月間MVPを獲得する活躍でチームを久々の優勝争いに参加させます。佐々岡真司、黒田博樹と右の強力3本柱を形成しましたが、4番手以降が埋まらず、ずるずると順位を下げていきました。それでも来日1年目に続く、リーグ最多の先発登板&投球回数で、チームトップの12勝をマークします。防御率もリーグ9位の3.49と見事な復活を印象付けました。

ロッテで外国人初の両リーグ二桁勝利達成し、タイトルも獲得

広島にとって貴重な先発の柱でしたが、日本野球に慣れた計算できる投手は他球団も放っておきません。マネーゲームには勝てない広島は、ネイサン・ミンチーを手放さざるを得なくなり、2001年からは千葉ロッテマリーンズへ移籍となりました。当時のロッテは広島同様、先発の頭数に苦しみ、順位も下位を低迷します。中4日で投げられる先発は、当然のように即主力となりました。

同年30試合に登板して、最優秀防御率のタイトルを受賞し、12勝14敗と負け越したものの外国人初の両リーグ二桁勝利を実現します。2002年は広島時代に続いて2度目の開幕投手に抜擢されると、2年目に打ち込まれた教訓を生かして、さらに成績を伸ばしました。自身3度目のリーグ最多先発、最多投球回数を達成して、15勝14敗、防御率2.85と2年連続で好成績を収めます。無尽蔵なスタミナぶりは全く衰えず、2003年も開幕投手、4年連続二桁勝利を達成する14勝とチームに大きく貢献しました。

日本球界7年で現役引退すると、現在は巨人駐米スカウト就任

低迷するロッテの柱となっていたネイサン・ミンチーでしたが、2003年は防御率4.54と数字をかなり落としました。2004年は、開幕投手を清水直行に譲り、復活を目指します。しかし、故障も重なり不調に陥ると、大きく打ち込まれるようになりました。同年は11試合の先発に留まり、成績も4勝3敗、防御率5.70と相当不本意なものに終わります。先発投手陣の頭数も揃ったロッテは、ミンチーと契約延長せず、自身も現役引退を決意しました。

それでも日本球界7年の実績は買われ、2007年からの2シーズン、クリーブランド・インディアンスの日本担当スカウトに就任します。2009年からは、巨人国際部駐米スカウトとして、日本で成功する新外国人発掘を任されています。


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