名前木戸克彦(キドカツヒコ)
生年月日1961年2月1日
日本
出身大阪府堺市
プロフィールPL学園時代に西田真二(のち広島)とバッテリーを組んで、1978年春センバツでベスト8、夏は逆転のPLと恐れられて全国優勝。優勝投手・西田真二と共に進学した法政大学でも、捕手として5季連続ベストナインを受賞するなど、3度のリーグ戦優勝。

1983年ドラフト1位で阪神に入団。1985年正捕手に抜擢されるとり、13試合に出場して38年ぶりの日本一に貢献。同年はゴールデングラブ賞を受賞。1986年にはオールスターに初出場。

1990年まで正捕手を務めるも、1991年から故障と若手の台頭で出場機会を減らす。1996年兼任コーチとなり、同年シーズン終了後、引退。

1997年バッテリーコーチを経て、2001年ヘッドコーチ就任。2003年から二軍監督を務めて、2度のウエスタンリーグ優勝(2003年、2005年)。2008年、阪神コーチに復帰すると、2009年からは一軍ヘッドコーチ就任。2012年以降はフロント入りして編成本部として活躍中。

通算成績は965試合、2,192打数505安打、51本塁打、226打点、8盗塁、打率.230。ダイヤモンドグラブ賞1回。PL学園卒、法政大学卒、右投右打、178cm、91kg

甲子園全国制覇、大学時代は5季連続ベストナインなど大活躍

木戸克彦は、大阪府堺市に生まれ、浜寺中学校野球部時代からその名を馳せます。進学先の高校も大きく注目される中、PL学園を選択しました。強豪チームはいきなり5度目の夏甲子園に出場し、全国舞台でも決勝戦まで進出します。しかし1年生の木戸に出番は回ってこず、チームも6年前同様、悔しい準優勝に終わりました。2年秋からの新チームでは、主将を務めて正捕手として牽引します。3年春には同級生エースの西田真二とのバッテリーで、初めて甲子園に出場しました。準々決勝で箕島高校に惜敗しましたが、堂々のベスト8を実現します。そして、この経験を糧とすると、夏の大会で快挙を成し遂げました。

厳しい大阪府予選を勝ち抜いて2季連続出場を決めると、甲子園でも僅差の試合を勝ち抜いていきます。しかし中京高校との準決勝では絶体絶命の窮地に追い込まれました。9回表終わって、0-4と大きくリードされます。しかし瀬戸際の9回裏に打線が4点を取って同点に追いつくと、延長12回裏にサヨナラ勝ちを収めました。そして高知商業との決勝でも、0-2の9回裏に自身の犠牲フライなどで反撃すると、一気に3点を奪って同校初の優勝を勝ち取ります。2試合連続の奇跡を起こして、逆転のPLとして異名をとりました。

卒業後は西田とともに法政大学へ進学します。西田は外野手に転向し、甲子園でも対戦した好投手・田中富生もチームメイトとなりました。自身も大学屈指の捕手に成長すると、2年秋から5季連続のベストナインを受賞して、在学中3季の優勝に貢献します。高校時代同様に、主将も務め、日米野球日本代表にも2年連続で選出されました。

阪神ドラフト1位で入団し、田淵幸一の背番号22を引き継ぐ

1982年ドラフト会議では、荒木大輔に加えて、法政大学の主力選手たちも大きく注目されます。阪神タイガースは、木戸克彦を単独1位で指名し、田中富生が3球団競合で日本ハム、田中の抽選を外した広島は、外れ1位で西田真二を指名と法政大学から1位指名入団が実に3名も誕生しました。

木戸は、大学の先輩でもある田淵幸一が背負っていた背番号22を与えられるなど、球団の大きな期待を背負います。しかし、捕手は経験が何より大事なポジションでもあり、まずは二軍スタートとなりました。そして、柴田猛コーチから時に鉄拳制裁も浴びるほど厳しく指導を受けます。一軍試合でも1年目には8試合、2年目に26試合と貴重な経験を積みました。

3年目に正捕手に抜擢されると、阪神38年ぶり日本一に貢献

1985年、阪神監督に吉田義男が着任すると、木戸克彦は正捕手に抜擢されて開幕戦からマスクをかぶります。一軍経験は少ないものの、巧みなリードと強肩で阪神投手陣を支えました。同年の阪神はランディ・バースを中心とした打線が大爆発して、4月から首位に立ちます。木戸は8番打者ながらも、6月に3打席本塁打を放つなど意外性を発揮しました。

7月に一時首位を明け渡したものの、再び奪い返すとそのままゴールテープを切ります。自身は、103試合に出場して正捕手の座を守り、実に21年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。さらに西武ライオンズとの日本シリーズでも、全6戦で先発マスクを任されます。当時、すでに黄金時代に突入していた西武も破って38年ぶりの日本一を達成し、オフにはダイヤモンドグラブ賞受賞と最高のシーズンを過ごしました。

チームが低迷する中、阪神正捕手を長年にわたって務める

1986年は、1学年下の嶋田宗彦とレギュラー争いを演じるも、正捕手の座を守ります。同年は、95試合の出場に留まりましたが、初のオールスターゲームにも出場しました。チームは、日本一を達成した翌年こそAクラス3位でしたが、1987年に最下位に転落すると、長い低迷期に突入します。1988年、木戸克彦はキャリアハイの121試合に出場して、初めて規定打席に到達させましたが、2年連続最下位となりました。それほど肩が強くない捕手でしたが、リードには定評があり、その後も阪神正捕手を務めます。ほぼ同年代の中西清起、平田勝男と3人は、NHKトリオと呼ばれファンにも愛されました。

第2捕手となっても精神的支柱として貢献し、35歳で引退

1990年まで6年間正捕手を務めていましたが、自身の故障に山田勝彦、関川浩一ら若手の台頭もあって出場機会を減らします。1993年以降は、50試合出場を超えることがなくなりましたが、チームの精神的支柱として貢献しました。若手投手のよさを引き出すリードなどでも、存在感を示していましたが、年齢的に限界が近づきます。1996年は、兼任コーチとして過ごし、同年現役引退を決意しました。

指導者時代も阪神一筋で過ごし、現在はフロントとして活躍

引退後も、そのまま阪神のコーチに就任します。野村克也監督時代は、絶大の信頼を置かれていました。2003年から二軍監督に就任するとウエスタンリーグ優勝を飾り、一軍の18年ぶりのリーグ優勝に花を添えます。2005年も一軍二軍でともに優勝するなど育成と勝利を両立させました。2008年から再び阪神コーチとして復帰すると、その後2011年まで一軍ヘッドコーチを務めます。現在はフロント入りして、編成の立場として球団を支えています。

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