井川里美について

名前 井川里美
生年月日 1978年10月24日
日本
出身 茨城県
プロフィール 小学4年からバドミントンを始める。中学2年の時、全日本ジュニア選手権シングルス中二以下部門で優勝。大宮市の強豪・埼玉栄高に進学後、平成8年インターハイで初の団体優勝に貢献。また全日本ジュニア選手権シングルスで優勝したほか、9年台北オープンに出場。同年英国で行われる世界選手権に日本代表として出場。12年シドニー五輪ダブルス代表。長身からのスマッシュと、球筋を読む機敏さに定評がある。183センチ、77キロ。NTT東京を経て、サンコー所属

中学時代から全国制覇を経験

井川里美がバドミントンに触れたのは小学校4年生の時。当時はマイナースポーツだったバドミントンですが、学生のクラブ活動として人気のスポーツ。その中で井川は持ち前の運動神経を生かしてすくすくと実力を伸ばしていきました。中学に進学してからも井川はバドミントンを続けましたが、当時はシングルスの選手として活躍していましたが、ハイライトとなったのは中学2年生のころ。全日本ジュニア選手権に出場した際のことでした。

中学生の大会で屈指の大きな大会となるこの大会ですが、井川はシングルスの選手として出場。中学時代から長身だった井川は角度のあるスマッシュを武器にした攻撃力を発揮してトーナメントを勝ち進むように。やがて中学2年生以下の部門で優勝を果たしました。さらに井川はヨーロッパで行われたヨーロッパジュニアシングルスに出場するために遠泳し、この大会でも優勝を飾る快挙を成し遂げました。

さらに全国中学生バドミントン選手権にも出場した井川はこの大会でもシングルスで準優勝を飾るなど、中学生では屈指の実績を誇るようになりました。高校進学時に井川は全国屈指のバドミントンの強豪校である埼玉栄高校に進学。バドミントンのキャリアをさらに伸ばしていくことになりました。

名門校に進学し、インターハイ制覇

埼玉栄高校に進学した井川里美。全国屈指のバドミントンの名門校だけに部員のレベルも今までとは比べ物にならないくらいに高いものでした。いくら中学で実績を残していても高校では試合に出場できないままで卒業してしまう生徒も多くいる中で、井川は1年生のころからレギュラー入り。シングルスで実績を残して行くようになりました。

まず、井川が出場したのは高校全日本ジュニアシングルス。この大会で井川は1年生にしていきなり2位に入る実力を見せます。この大会には3年連続で出場していて、2年生時には3位、そして3年生になると優勝を飾るなど、3年連続でトップ3にまで上り詰めるという大活躍を遂げました。

井川の最大の武器となっていたスマッシュは高校時代からすでに切れ味抜群で、さらにプッシュやドライブと言った速いショットだけでなく、ドロップなどの緩いショットも効果的に使うなどして緩急を生かしたバドミントンで勝利をもぎ取っていました。

さらに井川はシングルスだけでなく、ダブルスでも適応していきます。ダブルスで初のタイトルとなったのが全国選抜バドミントン選手権大会ダブルス。この大会で井川は初めてとなるダブルスでの準優勝を得て、マルチプレーヤーとしても高い適性を見せるようになりました。

そして高校時代の井川の最大のタイトルとも言えたのが、インターハイ。団体で出場した井川は埼玉栄の全国制覇に大きく貢献。返す刀で国民体育大会も優勝し、高校生が獲れるタイトルはほぼほぼ総なめにしました。

ダブルスプレーヤーとして数々のタイトルを獲得

井川里美は高校を卒業後、NTT東京に入社。社内のバドミントン部に所属して、実業団選手としてプレーするようになりました。入社間もない97年には台北オープンに出場するなど、早くもその実力を発揮しました。

高校時代まではシングルスで実績を残していた井川ですが、この頃から活躍の幅を広げるためか、ダブルスの方をメインにするようになっていきました。同じバドミントンでもシングルスとダブルスは似て非なるものですが、2人で対戦するダブルスの方がシャトルのラリースピードが速くなる傾向があり、強烈なスマッシュを武器にする井川はこちらの方が性に合っていたようで、ヨネックスオープンのダブルスベスト8を皮切りに、キューバ国際大会で優勝、カナダ国際大会の3位入賞などの実績を積み重ねていきました。

これらの活躍もあり、井川はバドミントン女子ダブルスの実力者として認められるようになり、オリンピックを目指すバドミントン日本代表に選出。長峰弘子とのダブルスを組むようになりました。

シドニー五輪出場。引退後は指導者の道へ

オリンピックイヤーとなる00年、井川里美は念願とも言えるシドニーオリンピックにバドミントン日本代表選手として出場。バドミントン界のみならず、スポーツ全体で最高峰の戦いの舞台に臨み、井川は選手としてピークを迎えました。世界ランキングも17位をマークするなど、その実力は世界レベルに達しました。

これで燃え尽きたのかその後の井川は成績が低迷したことで現役引退を決意。引退後の井川は自身のキャリアを後進に伝えるため、スクールを開設。現在までに1000人以上の生徒を育て上げていき、日本のバドミントンレベルの向上に一躍買っています。

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