木村沙織について

©Getty Images
名前木村沙織(キムラサオリ)
生年月日1986年8月19日
日本
出身埼玉県
プロフィール両親に影響を受けて小学2年生からバレーボールを開始。成徳学園高校に進学すると、17歳にして全日本代表に招集される。

アテネ五輪出場にも貢献し、スーパー女子高生として一躍有名となる。東レ入社後も、チームを常勝軍団にさせる傍ら、常に日本代表として日本のエース格を務める。ロンドン五輪では、28年ぶりのメダル獲得となる銅メダル獲得に大貢献。2012年からはトルコリーグへ挑戦し、世界レベルを体験。リオ五輪には主将として、女子史上初の4大会連続五輪出場。

2017年現役引退を表明。元ビーチバレー選手の日高裕次郎と結婚。身長185センチ。

バレーの名門校へ進学すると、17歳にして日本代表デビュー

木村沙織は、バレーボール経験者だった両親に影響を受け、小学2年生から自身もバレーボールを始めます。小学生時代から優勝を経験していますが、決して突出した存在ではありませんでした。しかし、名門、成徳学園中学校に進学すると身長もぐんぐん伸びて、バレーのレベルも一気に上達します。中軸選手として、全日本中学校バレーボール選手権大会優勝などを成し遂げました。

バレーの名門校である成徳学園高校(現在の下北沢成徳高等学校)に進学すると、高校2年生で早くも主力となります。2003年3月には、春高バレーでチームの連覇に貢献。さらに8月にも連覇を狙いインターハイに出場しましたが、惜しくも敗れ3位に終わりました。しかし当時若干17歳だった木村は、突如日本代表強化合宿に召集され、アジア選手権にも出場して日本代表デビューします。今ではスパイクのイメージが強い木村沙織ですが、セッター登録でした。そして自身も、語っているように木村沙織は何かのプレーに突出しているというよりは、オールラウンドプレイヤーでした。

参照:【スポーツの現場】女子バレーボール界を牽引した「サオリン」木村沙織さん、攻守万能のプレースタイル支えたサーブレシーブの“開眼”(1/3ページ) - 産経WEST

「スーパー女子高生」として活躍しアテネ五輪出場に貢献

2004年3月、春高バレー3連覇を目指して順調に決勝に進みましたが、試合中の怪我もあって惜しくも準優勝に終わります。しかし同年5月に行われたアテネオリンピック最終予選で、再び日本代表に招集されました。かつて日本のお家芸とも呼ばれた女子バレーでしたが、前回大会シドニーではまさかの出場権を逃し、まさに崖っぷち状態でした。2大会連続出場を逃すわけにはいかないチームは、初戦のイタリア戦で木村沙織をスタメン起用します。すると、14得点をあげてまさに救世主となり、オリンピック出場権を奪還しました。あどけない笑顔で人気も爆発し、スーパー女子高生としてその名前は全国区となりました。オリンピック本戦でも、期待をこめてアタッカーとして招集されましたが、腰痛でほとんど試合出場はできず、コートの外で日本のベスト8を見送りました。

日本のエースに成長し、ロンドン五輪で28年ぶりのメダル獲得

©Getty Images

木村沙織の腰痛は長引き、不完全燃焼で高校でのバレー生活が終了します。卒業後は、実業団東レへ入社し、成徳学園中学時代の先輩・大山加奈、荒木絵里香らと同じ東レアローズへ入団しました。V・プレミアリーグとして2年目の2007/2008シーズンには、自身の活躍もあって悲願の初優勝を成し遂げます。さらにそこから女子史上初の3連覇などまさにチームの主力として活躍し続けました。

この頃、日本代表としても当然のように名を連ねており、2008年北京五輪へも出場します。栗原恵、高橋みゆきらアテネ五輪を経験するエースたちも揃ったチームでしたが、前回同様ベスト8に留まりました。メダル獲得国との差は歴然で、日本女子チーム監督も眞鍋政義に交代します。すると、眞鍋監督は新チームのエースに木村を指名し勝てるチーム創りに着手しました。実力十分のエースに責任感が加わり、日本女子バレーが再浮上する兆しを見せていきます。2010年のワールドグランプリでは9年ぶりにブラジルに勝利、同年の世界選手権では32年ぶりの銅メダルなどの実績と共に、絶対的エースに成長していきました。2012年には世界ランキングも3位と、まさに世界と互角に戦えるだけのチーム力強化に成功していました。

そして迎えたオリンピックイヤー、最終予選の最終戦まで出場権獲得できないという綱渡りの状況を打破して、ロンドン五輪出場を確定させました。予選では6チーム中の3位となりなんとか決勝トーナメントに進出します。2大会連続で敗れている準々決勝の相手は、強豪中国であり、過去の五輪対戦で1セットすら奪えていませんでした。しかし、木村は33得点をマークする大活躍で、フルセットの死闘を制し劇的な勝利を収めます。準決勝で敗れるも、3位決定戦で韓国を3-0のストレートで下し、28年ぶりのメダル獲得を実現しました。全試合にフル出場したエースは、眞鍋監督の起用に満点回答しました。

世界最高峰リーグも経験、史上初となる4大会連続の五輪出場

©Getty Images

2012年、ロンドンでの激闘を終えた木村沙織は、新たなチャレンジとして世界最高峰リーグであるトルコ・ワクフバンク・テュルクテレコムへの移籍を決断しました。レベルの高いリーグでもあるため、日本のエースといえど常時出場するレギュラーにはなれません。それでも、元々オールラウンダーでもあったことも幸いし、随所に存在感を見せました。ヨーロッパチャンピオンズリーグ優勝、トルコカップ、トルコリーグも制すという貴重な経験を積み、実はこのまま現役引退を考えていたと言われています。

参照:木村沙織がコートを去った女子バレー界は、今後どうなるのか | VICTORY©Getty Images

しかし、ともにロンドンで共にメダルを獲得した眞鍋監督は、現地に何度も足を運び現役続行を懇願しました。熟考の末、快諾すると、全日本でバレー人生初となるキャプテンに指名されます。そして2014年6月から、再び東レアローズへ復帰し、初のプロ契約を締結しました。2016年5月、リオ五輪世界最終予選では、キャプテンシーも発揮し8チーム中の3位を確保し無事に出場権を掴みました。

そして迎えたリオ五輪、女子バレー史上初となる4大会連続の五輪出場を実現します。本戦では新戦術ハイブリッド6など、ロンドン五輪銅メダルを越える目標を立てましたが、準々決勝でアメリカに破れ5位に終わりました。4年前には、セッター竹下佳江、リベロ佐野優子、主将の荒木絵里香という大きな軸が複数確立していました。しかしリオでの軸は木村一人であり、ロンドン越えはとても困難でした。帰国後に、2016-2017シーズン限りでの現役引退を表明します。人気実力ともに抜群だったこともあって、早くも木村沙織ロスが叫ばれています。


VictorySportsNews編集部