文=中西美雁

偉大なエース、その唯一無二のキャリア

 長らく全日本女子バレー界を支えてきたエース、木村沙織がコートを去った。日本女子バレー界唯一のオリンピック4大会出場を果たし、2012年のロンドンオリンピックでは、28年ぶりとなる銅メダルの獲得におおいに貢献した。ロンドンオリンピックの銅メダルだけでなく、2010年世界選手権で32年ぶりの銅メダル、2011年ワールドカップで4位、2013年グランドチャンピオンズカップで銅メダルと、日本女子バレーが再び評価されるようになった影には、常に木村の姿があった。日本女子バレーの「顔」といっても過言ではない木村のキャリアを振り返ってみよう。

 1986年8月19日、埼玉県八潮市に生まれた。両親の影響で小学2年生からバレーボールを始め、6年生の時には東京新聞杯で優勝。小学生の頃にレシーブの基本を身につけた。中学校は名門の成徳学園中学校にスカウトされて進学する。先輩にはアテネ五輪出場の大山加奈、北京五輪、ロンドン五輪、リオ五輪をともに戦った荒木絵里香がいた。全日本中学選手権大会で優勝。高校は成徳学園(現・下北沢成徳高校)に進学して、春高バレーで優勝を果たす。17歳の時にシニア全日本代表に選ばれ、アジア選手権に出場。11月に行われたワールドカップで、故障した鈴木洋美に代わりメンバー入り。この大会では栗原恵・大山加奈が「メグカナ」として大ブームを巻き起こした。2004年アテネオリンピック世界最終予選の初戦イタリア戦でスタメン出場、14得点をあげて「スーパー女子高生」のキャッチフレーズでメグカナとともに人気を博す。

 アテネオリンピック本戦にも招集されたが、腰痛のためほとんど出場はかなわなかった。この大会の決勝戦を会場で観戦したことで、メダル獲得への意欲につながったといわれている。アテネに続き、北京五輪にも出場。同じくベストエイトにとどまった。ここで全日本女子チームの監督が、柳本晶一から眞鍋政義に交代する。眞鍋は木村を全日本女子チームの「エース」として扱い、木村の才能を覚醒させた。ここから冒頭で紹介したように日本女子バレーが再浮上する。

 国内でも、2005年に東レに入社し、2007/2008シーズンに東レの初優勝に貢献。そのまま東レは女子史上初のプレミアリーグ三連覇を成し遂げ、木村はMVPを受賞した。ロンドンオリンピック後は東レを退社し、トルコリーグに移籍。年俸は1億円だった。トルコリーグ優勝、チャンピオンズリーグ優勝に、リリーフとして貢献。翌年はガラタサライに移籍し、2014年に東レにプロ契約で復帰。2017年3月5日のNEC戦で公式戦を終えた。

 選手としては、サーブもよく、サーブレシーブもこなし、バリエーションにとんだスパイクで得点能力も高く、まさにオールラウンダーだった。「ミラクルサオリン」というキャッチフレーズでも親しまれたが、その通り、日本に何度も奇跡を起こしてくれた。攻撃の要でありつつも、レセプション(サーブレシーブ)の要でもあったため、対戦相手からは必ずサーブで狙われた。このため、「レシーブが苦手なのか」と一般の視聴者に誤解されることもあったが、決してそうではない。エースである彼女にサーブを集中して狙うことによって、少しでも攻撃に入るのを遅らせたり、攻撃態勢に入れないようにすることが目的だった。

 ロンドン五輪後、トルコリーグ移籍の頃には引退を考えていた。しかし、眞鍋監督に「全日本のキャプテンをやってほしい」と頼まれ、迷った末に引き受けて現役を続行することになった。実は木村は、それまでのバレー人生の中でキャプテンをやったことはなかった。「キャプテンという、今までやったことのない新しいことに挑戦する」という動機で、木村の現役続行は決まった。背番号は3。尊敬する竹下佳江の背番号を受け継いだ。22日に東レアリーナで行われた引退報告会では、「世間で期待されるような成績を出せなかったこともありましたが、キャプテンをやったことは、自分にとってよい経験でした」と涙ぐんだ。

女子バレー界が抱えることになる2つの空白

©️共同通信

 木村の引退後の日本バレー界は、二つの意味で大きな空白に悩まされることになるだろう。一つにはもちろん、プレーヤーとしての面。185cmあって攻守ともにすぐれた、しかも勝負強いエースは、なかなか出てくるものではない。同じポジションの後継者としては石井優希(久光製薬)、古賀紗理那(NEC)、黒後愛(東レ)などの名前が挙がっているが、まだまだ木村の担ってきた役割には達していない。彼女たちが切磋琢磨して木村を超えるプレーを見せてくれることを期待したい。

 そしてもう一つ、バレーボールの「人気」の面で見ても、ここ10年以上トップであり続けたアイコン的存在だったといえる。2003年のワールドカップで「メグカナ」が大ブレイクした後も、女子バレーが華やかな存在であり続けたのは、ひとえに木村の人気のおかげでもあった。普段はバレーを観ない一般人でも、「サオリン」の名前と顔は分かる、という人は多かったはず。筆者は「バレーボール専門の記者です」と自己紹介したときに「バレーボールって、木村沙織しか数字持っていませんよね?」と言われたこともある。185cmの長身で、あどけない小顔がちょこんとのっているスタイルの良さと、「オリンピックってワールドカップとは違うんですか?」「沙織も出られるんですか?」といった天然のキャラクターは、プレーと相まって絶大な人気をもたらした。女子アスリートは、ともすればルックス先行の人気が一人歩きすることもあるが、人気と実力を兼ね備え、男性からも女性からも好かれた希有な存在。それが木村沙織だった。

 これまではバレーボールが一番で、自由や家族はその下だった。今は、世界と戦うことがなくなって、家族との時間を楽しんでいるという木村。東京五輪にはコメンテーターとしての依頼が複数寄せられているとのことだが、十分家族との時間を満喫したあとで、またユニフォーム姿を見たいと願うファンは多いだろう。まずは、「勝負の世界でない」人生を幸せに送って欲しい。

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中西美雁

名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はスポルティーバ、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行っている。著書『眠らずに走れ 52人の名選手・名監督のバレーボール・ストーリーズ』