やったらやったで、なにかいいことがある

 フェイスブックに投稿された一枚の写真。それが、すべてのはじまりだった。有り体に言えば情熱である。水面に投じられた小石の波紋のように、その情熱はやがて大きな輪となって広がっていった。

 写真に写っていたのは、リオデジャネイロ五輪のバドミントン会場だった。心を動かされた。2016年、晩夏のことである。日本セパタクロー協会のアンバサダー矢野順也が当時を振り返る。

「知人がアップした写真でした。セパタクローはオリンピック競技ではありませんが、それでも他の競技と同じようにみんなが世界の頂点を夢見てやってきた。だけど、史上初の金メダルを獲得したバドミントンの女子ダブルスでさえ、その偉業を伝えるメディアは少なかった。そのときに、自分たちも何かを伝えなければいけない、自分たちにできることをやろうと思ったんです」

 バドミントンのコートは、くしくもセパタクローと同じサイズである(13.4m×6.1m)。ネットの高さも一緒(ポスト部1.55m、中央部1.52m。女子は0.1m低い)。そのことも、バドミントンに自然と連帯感を抱く要因となった。

 動かずにはいられなかった。まずはセパタクローの写真を集めて、およそ2分間の動画を作成した。トップ選手のコメントも掲載した。「この競技の素晴らしさが1人でも多くの人に伝わってくれたらと思っています」。そのひとことに、たくさんのメッセージを詰め込んだ。

「なんでもそうかもしれませんが、やったらやったで、なにかいいことがあると思うんです。やらないよりはやったほうがいい。なかには反発もありますよ。だけど、それを差し引いて考えても、セパタクローのためにはよくなる可能性のほうがはるかに高いんです」

 時計の針が、少しずつ動き出した。タイミングを同じくして、国立代々木競技場の第二体育館に空きが出た。じつはこれまでも、代々木第二体育館の空き状況は調べていた。しかし、ずっと縁がなかった。今回は運もあった。すぐに日程を押さえた。もちろん選手、関係者のコンセンサスもとらなければいけない。いずれにしても、これで会場が決定した。

セパタクロー界にとって総決算の大会

©Katsuaki IWAMOTO

 少なくともあと一つ、大会を開催するうえでの呼び水がほしかった。「海外のチームを呼んではどうか」という話も出た。とは言え、海外からチームを呼ぶほどの潤沢な資金はない。条件にピッタリと当てはまったのが、世界の強豪国マレーシアのチームだった。交渉はスムーズに進んだ。もちろん、実力も申し分ない。こうして、マレーシア航空の2チームが参戦することになった。

 あとは、日本人選手の選考だ。12月の全日本選手権を選考会にした。選手に告知するまでの時間は短かったが、なんとか理解を得ることができた。そして、7チームの参戦が決まった。

 2003年まで第一線で活躍し、世界を渡り歩いてきた矢野が言う。

「僕が若いころは、こういうチーム同士の試合を見るために、高いお金を払って海外に行っていました。だけど、今は日本のチームもレベルが高い。僕が見てもおもしろい。すごく贅沢な試合ですよ」

 大会を協賛してくれるスポンサー探しもはじまった。個人での支援もあった。これまでのつながりから、複数の企業が名乗りをあげてくれた。

「スポンサーだけではありません。大会の設営にも、セパタクローの元選手がたくさん携わってくれました。看板の設置は、広告代理店で働いている元選手が協力してくれた。会場の装飾をやってくれた花屋さんも、もともとは選手です。今までセパタクローに携わってくださった方ばかり。まさにセパタクロー界にとっては、総決算のような大会です」

 観客のターゲットを子どもに設定した。9年後の2026年には、愛知県と名古屋市でアジア大会が開催される。今回の大会に足を運んでくれた子どものなかから、未来の日本代表が出てきてくれたらうれしい。その思いから、大会当日は、選手がプレーするコートでセパタクローの体験会が開催されることになった。

「子どもをはじめ、たくさんの人に『こんなにすごいスポーツがあったんだ』って思ってもらえるような大会にしたいですね。セパタクローという競技の本質を楽しんでほしいです」

 2026年のアジア大会まで、あと9年。その間、ただ指をくわえて待っているつもりは毛頭ない。競技レベルでも、世界の頂点に立つ。その意味でも、今回のグランドチャンピオンシップは、「強化」「普及」「育成」の3本柱が一体となった形と言えるだろう。

「メジャーかマイナーか、というのはあくまでも競技人口が多いか少ないかを表す言葉ですよね。その競技のおもしろさを表すモノサシではありません。見ていただければわかると思います。本当におもしろいですから」

 もしかすると、セパタクローの、そして日本のスポーツの見方を大きく変えるかもしれない。現場を目の当たりにすれば、それがけっして大げさな話ではないことに気づくのではないだろうか。

岩本勝暁

著者プロフィール 岩本勝暁

1972年生まれ。大阪府出身。2002年にフリーランスのスポーツライターとなり、バレーボール、ビーチバレーボール、サッカー、競泳、セパタクローなどを取材。2004年アテネ大会から2016年リオデジャネイロ大会まで、夏季オリンピックを4大会連続で現地取材する。