ダイナマイト関西について

名前 ダイナマイト関西
生年月日 1969年12月4日
日本
出身 京都府京都市
プロフィール 女子プロレスラーのクラッシュ・ギャルズに憧れ、中学卒業後の86年ジャパン女子に入門。同年対クッキー・ズラ戦でデビュー。リングネーム・ミスAを名乗りハレー斉藤とタッグを組んだ。

91年ダイナマイト関西に改名。同年8月に新団体JWPに移籍。同年全日本女子の川崎大会で山田敏代、豊田真奈美の保持するWWWA世界タッグ王座に挑戦、3本合計40分間に及ぶ大激闘の末、敗れはしたものの年間最高試合に選出される名勝負となった。

93年女子プロ・オールスター戦で宿命のライバル堀田祐美子をキック合戦の末、敗れる。95年3月WWWA世界シングル王座をアジャ・コングから奪取。12月同タイトル戦で豊田真奈美に敗れる。同年全日本女子プロレス殊勲賞を受賞。97年JWP無差別級王者の座を福岡晶に奪われる。2000年6月JWPを離脱。得意技はバックドロップ、通天閣スペシャル。173センチ、77キロ。

クラッシュギャルズに憧れて、リングデビューを飾る

ダイナマイト関西の本名は鈴木智江子。リングネーム通りに関西地方の京都府出身で、幼少期から関西はバレーボールに打ち込む選手でした。そんな彼女の人生が変わったといえるのが長与千種、ライオネス飛鳥が組んだタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」でした。美形の女子プロレスラーが男子顔負けの激しいファイトを見せる姿に感動した関西はいつしか「自分のあの舞台へ」と夢見るようになります。

関西の思いは冷めるどころか熱くなるばかりでした。そうして86年、中学を卒業すると関西は全日本女子プロレスのオーディションを受けに向かいます。しかし、当時女子プロレスラーを目指そうとする女性は多かったこともあり、関西は惜しくも落選という結果に終わります。しかし、女子プロレスラーをあきらめきれなかった関西は当時できたばかりのジャパン女子プロレスへと向かい、第一期生として入門を果たしました。

バレーボールで鍛えた関西の身長は173センチと女子にしては大柄な選手でした。厳しい特訓を受けた関西はこの年の8月に行われた後楽園ホールのクッキー・ズラ戦で念願のリングデビューを果たします。この時のリングネームは「ミスA」で、このネームでWCWへ出場、さらにはドラマ「ビー・バップ・ハイスクール」への出演経験もあります。

その後、関西はハレー斉藤とタッグを組み、飛躍していくことで女子プロレスファンからも注目される存在へとなっていきました。

リングネーム変更。新団体への移籍も

ジャパン女子プロレスの1期生として活躍を収めていたダイナマイト関西。しかし、肝心のジャパン女子プロレスの経営自体は不安定で、何度も崩壊寸前まで迫りました。そしてとうとう91年、ジャパン女子プロレスは崩壊し、人気レスラーの多数移籍を招く結果となってしまいました。

関西もこの中のひとりで、同年に誕生した新団体のJWPへと移籍し、当時はその旗揚げから参加していました。この時に関西はリングネームを「ミスA」から現在の「ダイナマイト関西」へ変更することとなります。初代JWP認定無差別級王座に就くなど、活躍を見せました。

そして、この年の関西のベストバウドと言えるのが全日本女子の川崎大会でそた。この大会で関西は山田敏代&豊田真奈美が保持していたWWWA世界タッグ王座に挑戦し、3本合計で40分間に及ぶ大激闘を演じきります。

結果的にこの試合で関西は敗れましたが、それでも年間最高試合に選出される名勝負となり、関西のプレースタイルに熱狂的なファンが付きました。

また、93年には女子プロ・オールスター戦で関西は宿命のライバルである堀田祐美子と壮絶なキック合戦を演じるなど、そのファイト溢れるプロレスは常に注目を集めました。

アジャ・コングとの名勝負が女子プロ界の注目カードに

堀田祐美子とならび、ダイナマイト関西のライバルとして知られるのが全日本女子プロレスに所属するアジャ・コング。女子プロ界のスター選手として知られる両者ですが、アジャにあって、関西になかったものと言われるのがWWW世界シングル王者。このタイトルは関西だけでなく、JWP所属女子レスラーは誰もが所有したことのないタイトルでした。

念願の赤いベルトを奪取すべく、関西は幾度となく挑戦を続けますが、アジャの壁は想像以上に厚く、毎回のように苦戦を強いられました。

しかし、その歴史が破られたのが95年3月のWWWA世界シングル王座でした。この試合で関西は宿敵アジャを下して、念願の赤いベルトを奪取を果たします。この関西の勝利は史上初となるJWF所属レスラーによるWWWA世界シングル王座獲得となりました。

晴れて最強レスラーのひとりとなった関西ですが、その栄華は長く続きませんでした。この年の12月に関西は同タイトル戦で豊田真奈美と対戦し、まさかの敗戦を喫し防衛はなりませんでした。しかしこの活躍は評価されて、関西はこの年の全日本女子プロレス殊勲賞を受賞しました。

ところが、関西の不振は翌年以降も続き、ついに97年にはそれまで所持していたJWP無差別級王者の座を福岡晶に奪われることになります。そして2000年の6月にはJWPを離脱し、フリーランスの道を選択したのです。

30年にもわたる現役生活にピリオドを

フリーランスに転身したダイナマイト関西の新たな拠点はGAEA JAPANでした。ここで関西はリングに上がり続けましたが、間もなく解散することになります。そして関西は06年からユニットOZアカデミー入りを表明しました。

もうキャリアは20年以上となるベテランレスラーですが、関西の闘志は消えることはありませんでした。しかし、08年のOZアカデミー認定タッグ選手権試合・敗者髪切りマッチに敗れ、丸坊主になったのは精神的にキツいものがあったのか、その後は精神的な理由で休養期間となりました。4ヵ月に復帰した関西は、20キロ近い減量を果たしての登場します。シャープな体つきになったことでしなやかな動きを取り戻した関西は翌09年の2月に行われたOZアカデミー認定無差別級王座の試合で尾崎魔弓相手に勝利して、タイトル奪還に成功しました。

そして関西のデビュー30周年となった16年、現役引退を発表しました。12月に行われた尾崎魔弓とのラストマッチは関西の得意技であるスプラッシュマウンテンを決めて勝利し、有終の美を飾りリングを去りました。

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