「(震災直後は)スケートを本当にやめようと思った。ぎりぎりの状態でたくさんの方に支えられて、ここにいる。皆さんの思いを背負って表彰台に立てた」。2014年ソチ冬季五輪。19歳で日本男子初の金メダルを獲得した吉報は、被災地だけでなく、日本全体に勇気と感動を与えた。細部まで突き詰めた技術だけでなく、抜群の華やかさも備え、アスリートを対象とした民間会社の好感度調査ではでは常に上位に名を連ね、人気は高まるばかり。中国や韓国にも熱狂的なファンを広げ、国内だけでなく、海外の試合にもファンが押し寄せ、行く先々の空港やリンクで出待ちする光景は恒例となっていた。

 演技もさることながら、言葉も絶品だった。2015年11月のグランプリ(GP)シリーズのNHK杯で史上初の合計300点超えを果たした際には「〝絶対王者〟だぞと自分に言い聞かせてやりました」。翌年12月のGPファイナルで男女初の4連覇を達成時には「誰からも追随されないような羽生結弦になりたい」と言ってのけた。右足首故障から約4カ月ぶりの実戦となる2018年2月の平昌五輪ショートプログラム(SP)ではショパンのピアノ曲「バラード第1番」を完璧に演じきり、発した「僕は五輪を知っている」との言葉は多くの紙面を飾った。ほかにも2019年3月の世界選手権でネーサン・チェン(米国)に敗れて2位になった後の「負けは死も同然」、昨年12月に全日本選手権2連覇で北京五輪代表を決めた際の「(五輪)3連覇という権利を有しているのは僕しかいない。夢の続きを描いて、また違った強さで臨みたい」。メディアを引き込む天性の素質を持っていた。

 そんな不世出のスターだからこそ、メディアも放っておかなかった。報道も過熱し、週刊誌ではプライベートの隠し撮り写真が掲載されることも多かった。臆測で記事を書かれることも日常茶飯事。16年3月、世界選手権の開催地、米ボストンの空港に到着した際には、見知った数人の記者を前に「僕はアスリートなんですけど。スケートしたいだけなんですけどね。スケートとプライベートって全く関係ないし、僕はアイドルじゃない」と色をなしたこともあった。それ以降、表立って何か一つの報道に言及することはなかったが、会見では「訳もなく涙が流れてきたりとか、ご飯が通らなかったりとか、そういったことも多々あった」と苦しかった胸の内を吐露した。

 右足首の度重なる故障にも悩まされ、純粋に競技生活を楽しめた時期は少なかったのかも知れない。どの時代、どの試合、どの演技が最も自分らしくいられたのか、いつか聞いてみたい。ただ、この瞬間はフィギュアを心の底から愛しているんだろうなと感じたことが一度だけあった。それが北京五輪男子フリーが終わった8日後の2月18日、試合会場近くのサブリンクでの練習だ。貸し切り状態の氷上で音楽を流し、過去の演目を次々に演じ始めた。観客は大会スタッフ、ボランティアと報道陣だけ。

(1)「ホープ&レガシー」
(2)「パガニーニの主題による狂詩曲」
(3)「ノートルダム・ド・パリ」
(4)「ロミオとジュリエット」
(5)「バラード第1番」
(6)「秋によせて」
(7)「ホワイトレジェンド」
(8)「ノッテ・ステラータ」
(9)「SEIMEI」

 まさに珠玉の9曲。66年ぶりの2連覇を果たした平昌五輪フリーで演じた最後の「SEIMEI」は、終盤のコレオシークエンスからスピン、決めポーズまでとると、大きな拍手が巻き起こった。リンクから上がるとミックスゾーンで報道陣に「僕が今までのスケート人生の中で、落っことしてきたものというか、落とし物をしてきたみたいなものを全部やろうと。今ならできるって思って心の赴くままにスケートしました」とすがすがしく言った。そして、「公開練習しますか。くっそ自由な。もう、本当に皆さんには、取材とか関係なく、いつか、ただひたすら、こんなくだらない練習かもしれないけど、ひたすら、ただ、仕事忘れて、飲みながらでも、見てもらえる時間がいつかきたらいいなって思っている。本当にありがとうございました」と言葉をつないだ。

 あれからちょうど5カ月。記者会見では引退の言葉を使わない真意について「現役がアマチュアしかないみたいな感じですごく不思議だなと僕は思っている。野球を頑張っていて甲子園で優勝しました、プロになりました、それは引退なのかというとそうじゃない。僕はそれと同じだと思っていて、むしろここからがスタートでこれからどうやって自分をみせていくのか。挑戦し続ける姿や闘い続ける姿を皆さんに見ていただきたい」と語った。

 北京五輪では未完に終わったクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)にも挑み続ける。それと同時に自身が切り開いてきた複数4回転を跳ぶ高難度ジャンプの時代ではなく、プルシェンコ(ロシア)ら屈指の表現者がしのぎを削った時代の卓越したスケーティングも磨き挙げていく。「これからもどんどん勉強してどんどん深いフィギュアスケーターになっていきたい」。〝羽生結弦〟という重荷を少し下ろし、あるがままの滑りを追い求めていってもらいたい。


VictorySportsNews編集部