「世界の舞台で闘えるようになりたい」小学校時代に受けた世界の刺激

―トランポリンを始められたきっかけを教えて下さい。

堺:元々は母が、産後に何か運動をしたいということで始めたんですけど。その練習に僕が一緒に行っていたのがきっかけですかね。生後半年くらいには、母が僕を抱っこしながら跳んでいたらしく(笑)。それが楽しかったっていうのもあり、2歳の誕生日を迎えてすぐにクラブに入りました。記憶としてはあまり残っていないですけど、気づいた頃には生活の一部になっていましたね。

―競技として本格的に取り組み始めたのはいつ頃からでしょう?

堺:小学校1年生から全日本のジュニアの大会には出場していたんですけど、6年生の時に初めて世界のジュニア大会に出場しまして。国内では通用していたのに、世界では決勝にも残れなかったんですよね。そこから「世界の舞台で闘えるようになりたい」と思うようになりました。そこからはたくさん練習するようになりましたね。

―そのジュニアの世界大会で特に印象が残っていることはありますか?

堺:僕としては演技点というところに自信があったんですけど、ロシアやカザフスタンの選手たちは、演技点だけでは補うことができないくらいに難度点が高くて。同い年なのに、難しい技をたくさんやっているっていうところで、世界との差を感じました。

―その後、高校では地元神奈川を出て、星稜高校に進学された訳ですが、星稜高校への進学を決めたきっかけを教えて下さい。

堺:小学校5年生の時に、初めて星稜高校の選手の演技を見たんですけど、技のキレがすごくあって、それに魅力を感じました。その後、小学生ながら、西川監督に星稜の合宿に参加させてもらえるようにお願いして。合宿に参加する中で、星稜なら自分の持ち味を成長させることができると感じていたので、僕としては星稜高校に行こうと決めていました。

―星稜高校時代は、インターハイを個人では2連覇、団体では3連覇されて、飛躍を遂げられたわけですが、特にご自身の成長につながった部分はどの辺りにあると考えられていますか?

堺:親元を離れて一人で生活をしなくちゃいけないので、逃げ道がないですし、三年間の寮生活を振り返ると、トランポリンだけに集中していたと思います。学校から寮が近かったので、練習が終わればすぐ帰るって感じで。自分と向き合う時間が多かったですね。寮に帰っても、トランポリンのことばかり考えているような生活でした。

―競技の特に技術の面ではいかがでしょうか?

堺:小学校の時に難しい技ができないのが悔しくて、中学校三年間でいろんな技をできるように練習していたんですよね。その流れで高校に入ったので、高い難度で、美しい演技ができるようになったのかなと思います。毎大会自己ベストを出せたくらい成長を実感していましたし、自信はついていきました。

―星稜高校といえば、野球やサッカーなどスポーツが強いことで有名ですが、他の競技の同級生との交流などはありましたか?

堺:スポーツをメインで行うコースで通っていたので、いろんな競技の選手と交流できましたし、教員の方もスポーツに熱心の方が多かったので、毎日刺激し合いながら生活していました。

写真=バンダイナムコアミューズメント提供

2018年からオリンピックレース仕様に。五輪に向けた覚悟。

ー逆に、大学では全日本選手権でのランクも中々あがらず、一見すると伸び悩んでいたように思うのですが、堺選手的にはどうでしたか?

堺:全日本選手権に関しては、高校二年生の時からずっと決勝には進出していたんですけど、毎年メダルが取れないとなると焦りも出てきて。自分自身にプレッシャーをかけていた感覚で、自分をうまくコントロールできていなかったのかなとは思います。ただ、毎年自分の成長は感じられていました。大学二年生の時に初めて世界選手権の代表に選ばれて、そこから3年連続で代表に入っていたので、レジェンドみたいな選手の方々と遠征に行けたのは僕の財産になっていると思います。

―当時、先輩の日本代表選手の方々からはどのような言葉をかけられていましたか?

堺:2017年で初めて世界選手権に出場した時は、右も左も分からない状況だったんですけど、当時キャプテンだった伊藤正樹選手が僕をすごい気にかけてくれました。世界選手権の団体戦は4人で出場するんですけど、「他の3人が得点は絶対に出すから、お前は自分のやりたい演技であったり、アピールしたいところを世界に向けて出していけ」と言って頂けたことが、僕の中で印象に残っています。伊藤選手は、それくらい自分の演技に自信を持っているんだなと思いましたし、当時の自分は不安が大きかったので、気持ちの違いは感じました。

―そして、大学4年生として迎えた昨年の2019年。全日本選手権で優勝したり、五輪の内定選手になったりと、飛躍の一年だったと思うのですが、ご自身の中で変化を感じられた部分はありましたか?

堺:2019年シーズンを戦った演技構成は、2018年シーズンの演技構成と全く同じなんですよね。2018年シーズンの演技構成を考えるタイミングで、2019年のオリンピックレースで披露する演技構成で練習をしようっていうふうに決めて。少し2018年当時の自分からすると、背伸びしたような演技構成で、2018年シーズンを戦い抜きました。その年は、どんな結果でも受け入れて、2019年のオリンピックの選考でしっかりと力を出せるように計画していました。そんな中で、2019年シーズンで結果が出て安心しています。あと、全日本選手権で優勝できたのは、今まで毎回決勝でダメだったところで結果を残せたので、自信にもなりましたね。オリンピックの切符を取るためのキーポイントだったのかなとは思います。

―2018年シーズン、結果が出ない中で、焦りなどはなかったんですか?

堺:もちろん結果が出れば嬉しいですし、毎回悔しい思いをするのは辛いことでしたけど、自分で選んだ道だったので、上手く受け入れられたのかなと思います。

―そして今年、バンダイナムコアミューズメントに入社された訳ですがバンダイナムコアミューズメントとしては初のトップアスリート採用ということで、話題になりました。入社された経緯を教えて下さい。

堺:僕自身はトランポリンしかやってこなかったので、社会人になってもトランポリンという競技に取り組むことで、なんがしかの方法で恩を返せるような企業様に入ろうということは考えていました。そんな時にお話をいただいて。バンダイナムコアミューズメントには遊びながら運動ができる施設がたくさんあるっていうところで、自分からも所属している企業に貢献しやすいかなと思ったのが、入社したいと思った理由の一つです。

写真=バンダイナムコアミューズメント提供

「こんな時期だからこそ基本を」コロナ禍での成長

―トランポリンという競技の魅力は、どのあたりにあるとお考えですか?

堺:トランポリンは、地上じゃ味わえない、空を飛んでいるような感覚になるんですけど、それは今までトランポリンをやってきた僕だけじゃなくて、初めてやる方でも実感できるものなので、そこが魅力的だと思います。トランポリンをやって、つまんなかったなっていう人には出会ったこともないですね。

―トランポリンという競技を、観客として見る場合の見どころを教えて下さい。

堺:競技の特性上、トランポリンのマットに髪の毛一本でもついてしまうと、そこで演技が中断するんですよ。トランポリン競技はやり直しが効かなくて、一回の跳躍で終わってしまう大会もあります。四年間続けて練習してきたものを、20秒間で出さなきゃいけないのに、2秒で終わってしまうとかもありえるんです。トランポリン競技は10種目なんですけど、それを全てやり切れるかどうか、そういうギリギリのところを戦っている姿を見てほしいですね。世界チャンピオンでも最下位になることもあるような、ドラマ性のある競技だと思います。

―堺選手ご自身の演技の中で、注目してほしいポイントはありますか?

堺:僕は技のキレの部分に自信を持っていて、技を作る習慣のスピードが早いのが特徴だと思います。あと、ひねりが得意なので、他の選手よりひねりが多いですね。

―コロナ禍で苦労した部分はありましたか?

堺:自分自身は計画的に物事を進めるタイプなので、いつ大会があるかわからない中で、今どういう練習をすればいいのか、わからなくなってしまったのが苦しかったです。例えば、何月に大会があるとかがわかれば、そこから逆算して練習できるんですけど。自分はいったいどこに向かって、練習しているのかわからない時期が長かったのは辛かったです。その中で自分が見出した解は、基本から見直して、シーズン中にはできないことをやろうということでした。そこからはスムーズに練習ができるようになりましたけど、そこにたどり着くのに時間がかかりました。

―コロナ禍だからこそ成長できた部分はありますか?

堺:4月から東京に来て、僕が初めて代表に入ったときの日本代表のキャプテンであった、伊藤正樹さんにコーチをお願いして、練習を始めました。その中で、また新しい演技の質が出てきて、そこは成長したのかなと思います。

―東京五輪延期の発表はどう受け止められましたか?

堺:ニュースが出たのは、就職で東京に来てすぐで。実は、五輪の開会式が僕の誕生日だったのもあって、今年の五輪開催を期待していたんですよね。そういうところでも、延期を受け止めるのは難しかったんですけど、意外とすぐに受け入れられたとは思います。皆さんの健康があってのスポーツであり、オリンピックだと思うので、延期の判断は間違いではないというふうに受け入れました。

―最後に今後の意気込みを教えて下さい。

堺:トランポリン競技は北京オリンピックからロンドン、リオと、メダルを期待してもらいながらもずっと4位できているので、トランポリン競技界全体としての夢であり、僕自身の夢でもあるメダル獲得を東京の舞台で僕が達成したいなと思っています。


VictorySportsNews編集部