体操男子個人総合で2012年ロンドン、16年リオデジャネイロ両五輪を2連覇した内村航平(33)=ジョイカル=が今月12日、東京体育館で引退イベント「KOHEI UCHIMURA THE FINAL」で栄光の現役生活にピリオドを打った。リオと東京大会のメンバーが揃う中、臨場感を味わってもらおうと、通常の試合ではあり得ないほど、器具近くに観客席を設け、種目ごとに照明を当てる演出にもこだわった内容は新たな体操の魅力を引き出した。

 計6種目で争われる個人総合は五輪2連覇と世界選手権6連覇で09年から16年まで8年連続の世界一に輝き、08年全日本選手権から17年NHK杯まで国内外の大会で驚異的な40連勝を記録。両肩痛を抱え、昨夏の東京五輪などは種目別鉄棒に絞ったが、最後は「体操は6種目やってこそ」との信念を胸にほぼ満席の約6500人の観客が見つめる中、19年8月以来となる全6種目を演じきった。最後は大団円ができ、仲間からの胴上げで6度宙を舞う姿はキングにふさわしい有終の美だった。

 孤高の存在でありながらも、決して独りよがりではない。そんな生き様が、このような前例のない花道をつくり上げたのだろう。誰からも愛された選手。それは大会での仲間たちの記者会見でのコメントからもにじみ出た。

 最も関係が深いのがリオ五輪団体総合金メダルメンバーだ。加藤凌平(コナミスポーツ)はリオ前年の15年世界選手権(グラスゴー=英国)前に左足首の靱帯を損傷。出場も危ぶまれていたが、内村に相談したところ「俺なら痛くても出るよ」との一言に迷いはなくなった。37年ぶりの団体総合の金メダルに貢献し「航平さんの言葉で出場を決め、団体金メダルを取れたからこそリオの金メダルにつながったと思っている」と断言した。

 その世界選手権で得意の平行棒と鉄棒に大きなミスが出て涙を流した田中佑典(コナミスポーツ)は、ホテルに戻った夜、同室の内村に「僕のことを必要としてくれますか」と問いかけた。「佑典はチームに必要だよ」。その短い言葉に救われ「そこでまた頑張ろうと思えた。いつも前向きな言葉で勇気をくれた。存在だけでもいてくれるだけでもその姿勢から影響をもらった」と感慨深げに振り返った。

 同学年で高校時代から切磋琢磨してきた山室光史(コナミスポーツ)は初出場した12年ロンドン五輪男子団体総合決勝の跳馬の着地で左足甲を骨折し、途中退場を余儀なくされた。チームは頂点に及ばず、銀メダル。その夜、失意に暮れる山室に内村は「4年後に一緒に戻って来よう」と声を掛けた。大学、社会人、内村と同じ場所で戦い続けてきた山室は言う。「その目標だけをずっと追い求めてリオまで走り続けた」。

 そして、内村に早くからその才能を見いだされたのが白井健三さんだ。「僕が10歳の時に、ひねっていただけの少年に『2016年の時には19歳か。(五輪に)いけるな』と言ってくれた。僕が五輪に出ることを誰よりも先を見抜いていた人間。先を見抜く力がずば抜けている」。敬愛してやまない兄貴分への感謝の思いを込め、引退イベントでは床運動と跳馬で自身の名前が付いた四つの「シライ」を披露。昨年6月に現役を引退したとは思えない完成度で花を添えた。

 種目別鉄棒に絞り、東京五輪で団体メンバーには入ることはなかったが、精神的支柱としてその存在感は際立っていた。演技の精度の高さから「失敗しない男」との異名も持つ萱和磨(セントラルスポーツ)には「練習では失敗していいんだよ」との言葉で重圧から解き放った。「練習でもミスは悪だと思っていたけど、その言葉を聞いたときにミスがあってもそこから学びが得られると知った。失敗は自分の財産になるという言葉をかけてもらって、練習で失敗を受け入れることができるようになった」と明かす。

 体操ニッポンを引っ張り続けてきた内村航平。自らの引き際でその思いを引き継ぐ後継者として名前を挙げたのが橋本大輝(順大)と北園丈琉(徳洲会)だ。

「東京五輪メンバーに関しては団体総合で(ROCに)僅差で負けているので、そこに関しては日本の体操が一番強いというのをまた証明してほしい。その中でも橋本大輝、北園丈琉にはかなり期待している。若いというのがかなり武器になるので、20歳と19歳。何でも思い通りにできる年齢だというので、守りに入らないで攻めた演技をやって、日本を引っ張っていってほしいという思いが強い」

 特に北園にはジュニア時代から目をかけ、鉄棒の技を直接指導したこともあった。18年ユース五輪5冠と輝かしい経歴から〝内村2世〟との呼び声も高く、東京五輪代表選考会で体操人生を左右するような大けがを負った北園を思いやり、「気持ちを切らさなかったら、絶対に戻ってこられる」と激励したこともあった。

 「後輩たちには僕を目指すんですはなくて、僕を追い越すくらいの活躍を期待している。僕を目標とするよりも自分たちがやるべきことをやって、自分にしかできない体操の道を進んでいってほしい」。その思いは間違いなく継承されているはずだ。


VictorySportsNews編集部