東尾理子について

名前東尾理子
生年月日1975年11月18日
日本
出身福岡県福岡市
プロフィール昭和58年からゴルフを始め、小学6年の時83でラウンド。平成2年、関東ジュニア3位に。富士見中では東日本中学選手権5位が最高。

平成3年、帝京高に進学、ゴルフ同好会も発足させ、キャプテンを務める。

平成4、年京セラ・ジュニアカップ(米国サンディエゴ)優勝。同年第1回日本アママッチプレー優勝。

平成6年、全米女子アマでベスト8入り。

平成7年、奨学金を得てフロリダ大学に留学。

兵士英10年、全米大学体育協会が全米のスポーツ優秀者に贈るオールアメリカン、学業優秀者に贈るアカデミック・オールアメリカン、全米女子プロゴルフ協会がゴルフと学業が優秀で社会福祉に貢献した学生に贈るダイナ・ショア・アワードをそれぞれ受賞。

平成11年、米国女子のフューチャーズツアー、SNETクラシックで優勝。同年プロテストに合格。

平成、13年7月リコーと所属契約を結ぶ。同年11月初の賞金シード権を獲得。161センチ、50キロ。

ゴルフを始めたキッカケは両親の影響

東尾理子は西武ライオンズのエースとして通算251勝を挙げた東尾修の一人娘として生まれました。プロ野球選手の娘らしく、父から譲り受けた運動神経は一級品。中でも父が好きだったゴルフに、東尾は興味を示していきました。

ちなみに東尾の母もアマチュアレベルではありましたが、数々の女子ゴルフ大会に出場していた経歴の持ち主。そのため彼女もゴルフにのめり込んでいきました。

そんな東尾がゴルフを始めたのはなんと8歳の頃。当時としてはかなり早い段階からクラブを手にしていました。英才教育を施された東尾はメキメキと成長し、小学6年生になると、なんとラウンドを83で回るようになっていました。

学生時代に大会優勝を達成。華麗なるアマチュア時代

小学生の時点ですでにセミプロレベルまでの腕前になっていた東尾理子。当時の東尾家は埼玉県内に住んでいましたが、彼女はすでに上京し、都内にある私立中学の富士見中学校へ進学。東日本中学選手権で5位に入るという活躍を見せていました。

高校入学にあたり、東尾理子は帝京高校へ進学。都内のスポーツ名門校として知られる学校ですが、肝心のゴルフ部は当時ありませんでした。

並の少女なら、ここで断念してしまいそうですが…東尾は自ら動いて、ゴルフ同好会を創部し、キャプテンに就任します。

そして東尾のゴルフの才能がこの頃から開花します。高校2年生になった92年、アメリカ・サンディエゴで行われた京セラ・ジュニアカップを優勝。この年から行われた日本アママッチプレーも制します。この頃から東尾は「プロ野球選手・東尾修の娘」から「期待のアマチュア女子ゴルファー」として知られるようになりました。

輝かしい成績を収めた東尾は94年に日本大学へ進学。全米女子アマでベスト8入りを果たすと、翌95年には奨学金を得てフロリダ大学へ留学。さらにレベルの高いステージでゴルフをすることになりました。

アメリカ留学後も東尾は頭角を現し、98年には全米大学体育協会が全米のスポーツ優秀者に贈るオールアメリカンという賞に加え、学業優秀者に贈るアカデミック・オールアメリカン、さらに全米女子プロゴルフ協会がゴルフと学業が優秀で社会福祉に貢献した学生に贈るダイナ・ショア・アワードをそれぞれ受賞。未来のスターゴルファーとしての道を切り開きました。

99年にはアメリカ女子のフューチャーズツアー、SNETクラシックで優勝を飾ります。そしてこの年の8月に行われたプロテストに一発合格を果たし、東尾は晴れてプロゴルファーになりました。

プロゴルファーデビュー5年目でプレーオフ準優勝を果たす

アマチュア時代に素晴らしい成績を残した東尾理子だけに、プロ転向後も期待が寄せられました。記念すべきデビュー戦となったのは大王製紙エリエールレディスオープン。注目を集めましたが、残念ながらこの大会は予選落ち。アマチュア時代に輝かしい実績を残してきた東尾ですが、プロの洗礼を受ける形になりました。

しかし、その後東尾は頭角を現し、翌00年にはヴァーナルカップRKBレディースで5位T、リコーと所属契約を結んだ01年には再春館レディース火の国オープン、ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントでそれぞれ5位Tという成績を残します。これらの成績が認められて、11月には初の賞金シード権を獲得するに至ります。

プロゴルファーとして東尾がキャリアハイを迎えたのは03年。11月に行われた大王製紙エリエールレディスオープンで彼女は当時の日本の女子のトップゴルファー、大山志保らを差し置いて-7という好スコアを記録。同スコアを残した古閑美保と優勝をかけてプレーオフで対戦することになりました。

このプレーオフで東尾は惜しくも敗れますが、それでも成績は準優勝という素晴らしいもの。プロゴルファーとしても成功した東尾ですが…好事魔多し。その後の彼女はケガに悩まされることになりました。

故障に悩まされながらも、ママゴルファーとして復帰も

プロゴルファーとして素晴らしい成績を残した03年の暮れ、東尾理子は祖母のお見舞いの帰りに駅の階段から転落して両足の靭帯を損傷。全治3ヵ月という大ケガを負いました。このケガの影響で翌04年は大王製紙エリエールレディスオープンで6位Tに入ったのが最高成績に終わりました。ちなみにこの年からアメリカのLPGAツアーに本格参戦するようになりました。

ところが東尾は06年、またも故障に悩まされます。この時に負傷していたのは肩。腱板損傷と滑液嚢炎で痛めていた肩を手術することになり、この年はシーズンを棒に振ることになりました。

しかし、復帰した後の東尾はかつてのような成績を残せなくなりました。このころから東尾は帰国して国内ツアーに専念するようになりますが、09年に俳優の石田純一と結婚し、12年には長男を出産。この間、東尾はゴルファーとしての活動をセーブしていいましたが、14年に行われたLPGA主催のクォリファイティングトーナメントで復帰し話題になりました。

その後、東尾は16年に第二子となる長女を出産して再び休養に入りましたが、現在もトレーニングを積んでいるということで、いつの日かママゴルファーとしてグリーンに復帰するかもしれません。


VictorySportsNews編集部