イチローについて

名前鈴木一郎(スズキイチロウ)
生年月日1973年10月22日
日本
出身愛知県
プロフィール3歳からバットを握ったイチローは、野球の虜となり、小学3年生から練習は毎日欠かさないようになります。中学時代には全国大会3位入賞、名門・愛工大名電高校に進学すると一年生からレギュラーを奪取し、甲子園にも2度出場。

1991年オリックス・ブルーウェーブ(現在のオリックス・バファローズ)にドラフト4位で指名され入団。3年目の1994年、仰木彬監督の元、登録名イチローとして大ブレイク。日本プロ野球史上初となるシーズン200安打を達成し首位打者を獲得しました。以降、7年連続首位打者となるなど、日本を代表するヒットメーカーとして君臨。2000年オフに、日本人野手として初めてメジャー挑戦を表明。

シアトル・マリナーズ在籍一年目から、首位打者、盗塁王、新人王、MVPとタイトルを獲得。2004年には、MLBシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。2016年まで3チームを渡り歩き、MLB通算3,000本安打を達成。日米通算で史上最多安打を更新中。

NPB時代の通算成績は951試合、4,098打数1,278安打、118本塁打、529打点、199盗塁、打率.353。首位打者7回、打点王1回、盗塁王1回、最多安打5回、最高出塁率5回。MLB時代の成績(~2016年)は、2,500試合、10,166打数3,030安打、114本塁打、760打点、508盗塁、打率.313。首位打者2回、盗塁王1回。

幼少期通ったバッティングセンターにはイチロー専用ゲージが存在

3歳で初めてバットを握ったイチローは、遊びたい盛りの幼少期のほとんどを野球の練習に費やしました。まさに努力の天才という言葉が当てはまり、小学3年生時代からのバッティングセンター通いは一日たりとも欠かすことがなくなりました。さらに通常の球速では満足できなくなり、イチロー専用のゲージが作られましたが、それは現在でも残っています。中学時代もエースで中軸を務めたイチローは、全国大会3位に貢献しました。

名門・愛工大名電時代には2度甲子園に出場

多くのオファーの中から、地元の名門・愛工大名電に進学したイチローは一年生からレギュラーを獲得。ともに初戦敗退とはなりましたが、2度甲子園にも出場し、3年春には投手としてマウンドも経験しました。

高校3年間の通算打率は5割を越え、さらに3年生に限れば打率7割オーバーとすでに打撃の天才として名を馳せていました。

プロ3年目に登録名イチローで大ブレイクし、NPB史上初のシーズン200安打達成

1991年、イチローはオリックス・ブルーウェーブにドラフト4位で指名され入団します。打撃の天才としては意外にも下位指名ですが、当時は投手としても名前が挙がり評価が分散していたからと言われています。

当初のイチローは、自身があみ出した振り子打法を批判され、2年間で36安打と頭角を現せずにいました。しかしプロ3年目に、チームの監督に仰木彬が就任、新井宏昌が打撃コーチとなると状況が一変します。二人の理解者に打撃センスを見出された天才は、登録名をイチローとして売り出され、一転してレギュラーに抜擢されました。すると2017年現在でも日本記録である69試合連続出塁を記録するなど、最多安打記録も更新し、ついには日本プロ野球史上初となるシーズン200安打を達成して一気にスターダムにのし上がりました。

前人未到の7年連続首位打者を獲得し、日本人野手初となるメジャー挑戦を表明

その後のイチローは、オリックスラインナップに不動となり、チームの連覇、日本一にも大きく貢献します。中軸にも座るようになると、安打はもちろん、打点も稼ぐ打者として活躍し続けました。

7年連続首位打者、5年連続最多安打、3年連続MVPなどタイトルも多く獲得し、外野守備力にも優れたイチローは7年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞します。そして、2000年オフにポスティングシステムを利用して、日本人野手初となるメジャー移籍を表明しました。

日本時代の安打製造機振りをフルに発揮し、MLBシーズン安打記録を更新

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当時、任天堂も共同オーナーだったシアトル・マリナーズが、イチローの独占交渉権を獲得し入団が決まります。線が細く、全く未知数の日本人野手に対しては、期待よりも圧倒的に多くの懐疑的な声が寄せられました。

しかし、そうした声を自らの実力で、自身への声援に変えていきます。開幕から出場し続けたイチローは安打を量産し、当時歴代9位のシーズン242安打を放ち、首位打者になったばかりか、盗塁王、さらにはMVPのタイトルも獲得しました。

メジャー4年目の2004年には、262安打を放ち、MLBシーズン最多安打記録を更新します。その後も前人未到の10年連続200安打を達成するなど数々の記録を打ち立てたイチローは、メジャーリーグでも屈指の巧打者となりました。

メジャー3チーム目のユニフォームで、日米通算安打世界記録を達成

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イチローは、メジャー挑戦した2001年から、10年連続200安打という偉業を達成します。通算10度という数字はピート・ローズに並ぶメジャー史上1位タイですが、10年連続での達成には頭が下がります。しかし、2011年に初めて打率3割、シーズン200安打の達成を逃すと、徐々に成績が降下し始めました。2012年途中には、まさかの電撃トレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍します。すると、これが刺激となったイチローは安打を量産し、自身にとっては12年ぶりの地区優勝を経験しました。

2015年からは、初のナ・リーグとなるマイアミ・マーリンズへ移籍します。この時、両リーグで3番目に年長の選手であったイチローも、全盛期ほどの活躍はできなくなりレギュラーではなくなっていました。それでも代打など少ない出場機会を生かし、2016年には日米通算で史上最多となる4,257安打を達成します。さらにメジャー通算3,000本安打に、500盗塁もクリアしたイチローは、2017年シーズンも現役選手としてプレー中です。

メジャー16年で故障者リスト入りはわずか1度という強靭な肉体

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2017年が、プロ生活26年目となるイチローの凄さは、徹底された自らの体調管理にあります。ここまで、大きな故障は一度もなく、メジャーで故障者リストに入ったのは、第2回WBCに参戦した疲労から、胃潰瘍を患ったときのただ一度だけです。

その強靭な肉体をキープするのは、ルーティン化されたトレーニングです。自宅やホーム球場、オフを過ごす日本などに、特設ジムを作り、いつでもどこでもストレッチやトレーニングができる環境を整えています。自身も目標にしている野手として初となる50歳での現役プロ野球選手という快挙も、さらりと達成してしまいそうな勢いです。


VictorySportsNews編集部